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守りたいと願うのに


 次の週の月曜日。
 ようやく碧が学校にやって来た。
 周りの目は、以前よりずっと碧を蔑むように刺した。


 守りたいと願うのに



「と、こうなるので、この場合こう行動する方が、有利になれる可能性が出てくる」
「……」

 教師が長々と説明する中、2列空けて左隣の碧は、いつものように腕の中に顔を埋めて眠っている。その耳には栓がしてあり、周りの音はほとんど聞こえていないよう。それをちらりと見て小さく苦笑し、また教師の話に耳を傾ける。俺も辺りの雑音には気を向けないで、授業にだけ集中するように努めた。



 昼食を食べるのも、別々の場所ですることにした。この前見られてしまったからには、もう迂闊に一緒に食事なんてできない。俺は倉庫裏の屋根の上で、碧は変わらず屋上前の階段で食べることにした。その話し合いは碧の家に行った時にしたので、学校に来てからはまだ一言も喋っていない。朝も警戒して何も話さなかった。
 折角碧が学校に来たというのに、これでは何も変わらない。姿を見れて安心できはするが、話は聞けないので実際にどう考えているかは知ることができない。見える部分の痣は確かになくなったが、瓶で殴られたであろう胴の辺りはどうなのだろう。まだ痛むのだろうか。それとももう治ったのだろうか。そんなことすらまだ聞けていない。


「……ふぅ……」

 三つ持ってきたおにぎりを食べ終え、指に残った米粒を舐めとる。最後に茶を一口飲んで、その場を後にしようとする。が、その時後ろからドン、と衝撃が襲い、それに少し驚いて振り返る。

「やあっとみつけたーっ!」
「イノ……!?」

 イノがいつの間にか忍び寄って、後ろから飛び付いたらしい。首に腕を回され、体を密着させられる。少し体重も掛けられている。

「いちいち抱き付くな、重い」
「やぁだ、折角見つけたのにー」
「……うぜぇ」
「またまたぁー、ホントシャイなんだからぁ」
「あーっ! ちょっとイノ、離れなさいよー!!」

 今度は何だ、と声のした下の方を見れば、サクラがこちらを見て指をさしていた。面倒で鬱陶しいやつらだ、と半ば諦めて溜息を吐いていると、上の方からも視線を感じた。サクラも近くへ来て二人でぎゃいぎゃいと騒がしく言い合う中、徐に前方斜め上を見上げれば、人影があった。逆光で見え難くて目を細めると、こちらを見ていた人物はくるりと方向を変えて見えない所へ行ってしまう。その時長い髪がふわりと浮いて、はっと気付く。

 あそこは屋上だ、碧が見ていたのかもしれない。

「──……」
「サスケ君、何見てるの?」
「……別に」

 屋上に行く階段で食事をすると言っていたのに。碧は自ら屋上に出たことは一度もなかったのに。どうして。それにちゃんと昼食を食べたのだろうか。また何も食べてないんじゃないだろうな。心配だ。

「……誰か居たの?」
「居たが、誰かは知らねえ。見えなかった」
「ホントにー?」
「しつこいぞ。いい加減離れろ」

 白を切り、イノの腕を外すと教室の方へ戻る。つれないんだから、と文句を言うイノの言葉は無視して、頭の中では碧のことしか考えていない俺は、もう一度チラリとだけ屋上を振り返った。当然誰も居なかった。





 やっとのことで放課後になった。取り敢えずは修業して、戻ってくると、いつもと同じく碧だけが教室に居て、碧は机で眠っていた。その腕の下には大きめの紙がある。また絵を描いていたのだろう。以前と同じように途中で眠ったのか、鉛筆が中途半端な所に転がっている。

「……」

 周りに誰も居ないかと、一応一回りぐるりと辺りを見回す。居ないことを確認すると、今日初めて碧の傍へ寄った。日が長いので、六時前の空はいつもなら綺麗なオレンジになる。だが今日は朝から少しずつ天気が悪くなり、今は曇天だ。

「……碧、そろそろ起きろ」
「……」

 眠る碧が座る長椅子へ片膝で立ち、すぐ隣で声を掛けるが、無反応。聞こえていないのか、と思い、そっと耳に掛かっている髪を横へ払う。案の定耳栓を着けっ放しで、小さく溜息を吐いた。仕方なく肩を軽く叩く。

「おい、起きろ」
「! ぅっ、な、…………あ、サスケ君……」
「……帰るぞ」
「え……? あ、そうだった……耳……」

 ようやく起きた碧は、耳栓をしていたことも思い出し、それを外した。その時腕が浮いて、紙に描いてある絵の全貌が見えた。碧はまだ寝ぼけているのか、それに気付かない。

「……」
「……どうし……あ、」
「これ、」
「ご、ごめんね、直ぐ片付けるからっ」

 はっと気付くと碧は慌てて片付けてしまい、絵はスケッチブックの間に挟まれて鞄の中に収まった。碧が机にのせた鞄を、見透かしたくて、じっと見詰める。

「……その絵、……ずっと描いてたのか?」
「、……見た、よね……」
「ああ……」
「……」

 屋上から見たのであろう角度。
 昼休みのあの光景が描かれていた。
 やはりあれは碧だった。
 しっかり見て、記憶して、絵を。
 どんな気持ちで?

「……ごめん、勝手に描いて……」
「別に謝る必要なんかない。……むしろ俺だろ、謝るのは」
「……そんなこと……ないよ。だって、いつものことだし……」
「いつものことだからって、……」

 きっと嫌だったはずだ。
 嫌に決まってる。
 俺なら怒る、何でもっと早く離れないんだ、と。

「……サスケ君が毎日大変なのは、仕方ないんだよ。……だって、サスケ君だから……」
「……」

 座ったまま俯いている碧を上から見ているから、表情が見えにくい。長い髪も邪魔して、余計にそうだ。だから片足で膝立ちしていたのをやめて、碧の隣に座る。

「……本当にそう思ってるのか?」
「、……うん、思ってるよ」
「……」
「だって、……分かってたよ、こうなるの。それに……」
「……それに?」
「……、……」

 渋るように口を噛んで、言わない。そこまで言い掛けておいて言わない、ということは、途中で言わない方が良いことに気が付いた、ということだろうか。愚痴のようなものでも、碧の本心が聞けるなら聞きたい。いつもいつも一枚の壁を張って、大切なことに限ってぼやかすのだから。

「……なんだよ、言えよ」
「……怒るから、言わない……」
「俺が怒るから? だから言わないのか?」
「……うん……」
「……」

 碧は時々、変なところで正直だ。そこは正直に言ってしまうとむしろ怒られるだろう、という事を言ってしまったりする。やはり人より会話や意思の疎通が下手なのだろう。俺も上手い方ではないが。

「怒らねえから」
「……怒るよ絶対……」
「……怒らない。言えよ」
「……」

 なるべく声を落ち着かせて、宥めるように言う。そうしてじっと、伏せた碧の横顔を見詰めて、観念するのを待つ。ややすると、恐る恐る口を開こうとし始めた。

「…………その、……ヤキモチなんか、できる身分じゃない……と、思って……」
「……それだけか?」
「……鬱陶しいよね、嫉妬なんて……」
「……」

 はぁっと大きく溜息を吐いて、軽く叩くように碧の頭に手をのせる。怒るのを通り越して、呆れた。碧は体を伏せたまま、俯かせていた顔をじりじりとこちらへ向けた。

「……阿呆、そんなこと思うわけないだろ」
「……サスケ君はそうでも、……どうしてもそう思っちゃうんだもん……」
「確かに度を越せば鬱陶しいかもしれねえが、お前の場合、もう少し主張するくらいで丁度良いんだよ」
「……そうかなあ」
「そうなんだよ」
「……」

 納得できないようだが、無理矢理納得させる。身分とか資格云々の話は、どうしてもなくならないらしい。少しくしゃくしゃと頭を撫でて、少しだけそれを咎めた。

「俺はむしろ……嬉しい」
「ぇ、……何で?」
「……お前が、俺のことちゃんと……好きだって証拠だろ」
「、……う、ん……」

 恥ずかしいことを言った。自惚れだとただの恥さらしだ。でも碧は、小さいながらもちゃんと肯定の返事をして、照れたように腕の中に顔を隠した。

「だから、嫉妬くらいしたって構わない」
「……」
「むしろ、……してくれねえと困る」

 碧の頭に手をのせたまま、空いた右手でがりがりと自分の頭を掻く。無性に恥ずかしい。どこまで俺に言わせるつもりだ。頬の熱が取れないのを、忌々しく思う。

「……自信持て、ちゃんと……」
「……無理だよ……」
「否定するな。……分かってるか? お前は、……俺が惚れた女なんだぞ」
「! ……サスケ君、が……」
「……そうだ」

 もう限界ギリギリだ、穴が在ったら入りたい。右肘を突き、頭を掻いていた右手は頭を抱えている。どうにも顔が熱くて、気温が高いのも手伝って汗が流れる。
 左隣から視線を感じて、チラリと見る。頭に手をのせられた状態のまま、碧がこちらを見ていた。碧も少し、耳が赤い。

「……だから、自信持て」
「…………頑張って、みるよ……」
「……その意気だ」

 載せた左手で碧の頭を撫でて、熱さの残る顔を上げる。碧も少しだけ顔を上げて、小さく照れ笑いしながら、赤い頬を軽く手で触った。それを見て、心臓が跳ねる。

「っ、……」

 今の 表情は かなりキた。

 ゴッ、と鈍い音を立てて机に頭を打ち付けた。決してわざとではない。ただ勢い余っただけで、お陰で酷く痛む。恥ずかしいことを言ってただでさえ速まっていた心臓が、更に少し速度を増した。不意打ちでアレはキツい。

「サ、サスケ君っ、大丈夫!?」
「……大丈夫、だが……」
「……だが?」
「……」

 碧が体を起こしたから、左手が肩の辺りまで落ちている。自分の頭にのった右手を下ろして、ゆっくりともう一度顔を上げる。心配そうに見詰める碧が、また可愛くて。

「……サスケ君……?」
「……碧」
「なに?」

「キスが、したい」

「…………え?」

 何かのスイッチが切り替わったかのように、すんなりとその言葉が出た。顔もさっきほど熱くない。その代わり身体の中心が熱くて、キスをしたいと思った。
 急なことに少し戸惑う碧の肩を抱いて、右手で碧の頬をなぞる。照れと恥ずかしさで真っ赤な碧の肌は、上気して熱い。頬を撫でた手はそのまま奥へ滑り、碧の首の後ろに指を掛けた。



「……サスケ、君……」
「碧……好きだ」



 碧は熱で潤んだ目を反射的に閉じて、俺を受け入れた。

 柔らかく触れた唇は温かくて、
 甘い気持ちになる。

 少しの間に感じたけれど、やや長かったかも知れないキスを終える。離れた瞬間に碧が吐き出した息が、少し熱かった。

「……好きだ」

 両腕でしっかり抱き締めて、さっきよりも耳に近い場所で囁く。自分の心臓の音と碧の心臓の音が混ざり合って、もうどちらのものか分からない。
 碧が遠慮がちに添えた手が、俺の服をきゅっと掴む。

「……あた、しも、……好き」

 離れたく ない。
 ずっと一緒に居たい、守ってやりたい、のに、俺には手段が無い。
 どうすれば碧がこれ以上傷付かなくて済むのだろうか。
 俺は一体、どうすれば良いんだ。

 曇天の空から、ぽつぽつと雨が降り出した。



(20080202)


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