36 「げほっ、げほっ、っごほ…………ぅぅ……」 真夜中に、咳で目が覚めてしまった。手で口元を押さえて、すぐ側に居るサスケくんに咳が掛からないようにする。咳き込み方が激しかったからか、サスケくんも少し起きてしまったようだ。 「けほ、こん、ごほっ、ご、ごめ、ごほ、」 睡眠妨害を謝ろうとするけど、上手く話せないほどに咳が続く。失った酸素を取り戻そうと息を吸うと、喉の患部を刺激してまた咳を誘発してしまう。思い通りに呼吸ができなくて苦しい。 すると首だけを向けていたサスケくんがごろりとこちらへ転がり、布団を捲って身を寄せた。咳が当たってしまう、と反射的に息を止めて我慢しようとするけれども、上手くいかない。いっそ反対を向いてしまったほうがいいか、と思った時に、サスケくんの手が、私の背中を優しく撫でた。 「! げほっ、」 「……落ちついて、ゆっくりおさめろ……」 私の咳が掛かることを気にせずに、背を撫でてくれる。早く止めようと焦っていた私の気持ちを宥めるような手付きに、ほっとして、少し楽になる。 「ごほ、こほ、……こん、こん、」 そうしてようやく治まってきて、足りない酸素をゆっくり取り戻す。サスケくんの手もゆるやかに止まって、そのままくたりと力が抜ける。 「……ありがと、サスケくん」 「……ん……」 辛うじて返された返事は、サスケくんがすでにほとんど眠っていることを教える。 暑いからと布団を被らず寝ていたのに、このままくっついて寝てしまっても大丈夫かなぁ。だけど嬉しいから、できたら離れたくないなぁ。 サスケくんに触れさせてもらっていた右腕に、改めて触れる。二の腕に、絡めるように右手を潜り込ませ、左手はサスケくんの手のひらに指を伸ばす。小指を引っ掛ける程度だけど、サスケくんの手に、触れているのだと、それだけでとても嬉しくて幸せで、穏やかな気持ちになる。 朝は、サスケくんが起きようとした気配に目が覚めた。私が右腕を掴んでいたから起きられなかったらしくて、申し訳なく思いながらもそもそと離れた。 伸びをしたあと、喉がカラカラなことに気付いて、枕元に置いてあったスポーツドリンクを飲む。夜中にたくさん咳をしたのと、シャツが張り付くほど汗を掻いているからだ。ううん、寒いけど暑いって、どうしたらいいんだか。 ふと時計へ目をやると、もう六時を半分過ぎていた。そういえば随分とぐっすり眠っていたような気がする。風邪薬の眠くなる成分のせい、ではなくて、たぶん、サスケくんが一緒に寝てくれたからだろうなぁ。だって昨日は早くに起きた。照れ笑いのようなものが零れる。 「ふふ……おはよう、サスケくん」 「あ、ああ……」 背中を向けて座っているサスケくんに、嬉しくなったついでに挨拶をした。サスケくんはまだ寝起きでぼんやりしているのか、意識がこちらにないようだ。かく言う私もそんなにしっかり脳が覚醒しているわけでもない。語尾が間延びしている。 「サスケくん……シャワー浴びる?」 「ん、……いや、浴びるなら、一旦帰る。着替えたいしな」 「そっか、それもそうだね」 枕元に落ちている冷却シートを見付けて、新しいのに張り替えなきゃなぁと思ったり、朝ご飯は何を作ろうかなぁと考えたり、“一旦”ってことはまた戻って来てくれるつもりなのかなぁと思ったり。ふわふわと、まとまりのない思考が浮かんではすぐ消える。 「じゃあ、あたしはシャワーしてくるね」 べたべたのシャツを浮かせながら、ベッドから降りる。収納ボックスを重ねただけの服入れから着替えを取り、込み上げた欠伸を少しだけ噛み殺しながらドアへ向かう。サスケくんはまだぼんやりと、座ったまま床を見詰めていた。 ピピッ、ピピッと体温計が鳴る。結局探しても見付からなくて、昨日サスケくんが買ってきてくれたものだ。 「……ん。熱は下がったな」 「うん。体のダルさはもうないよ」 ベッドの縁で並んで座るサスケくんの手元を見れば、渡した体温計が平熱を表示している。あとは喉と鼻さえ良くなれば完治だ。そう思いながら小さく咳をする。ご飯も問題なく食べられたから、時間が経てばそれだけで治るだろう。 「なら、あとは……」 そこまで言って、言葉を濁すサスケくん。それを引き継ぐように、私が続けて言う。 「うん、あとは一人でも大丈夫だよ。ごめんね、サスケくん……二日も迷惑掛けちゃって」 「……いや、いいんだ」 「修業も宿題もできなくて、鬱憤溜まってるかな」 「…………そんなこと、」 思ってない、と、力なく溢す。体温計を見るように、俯いたまま。 サスケくん、元気無いな。どうしちゃったのかな。風邪を移した、というわけでもなさそうだし、やっぱり私のことで、色々考えてるのかな。整理をつける時間が欲しいって言ってたから、一人になりたいのかもしれない。 「……サスケくん」 「……ん、なんだ」 「今度、何か……お礼させてね。お祭りでもたくさん奢ってもらったのに、看病までさせちゃって、返しきれるか分からないけど……」 「…………んなこと、別に気にしなくていい」 「ううん。それだけじゃなくて……もっと、たくさん……恩返し、したいから」 サスケくんは、私の心を救ってくれたから。私でさえ許せない私の存在を、ゆるしてくれたから。 今もその事でずっとサスケくんを悩ませているのだとしたら、私が元気になった反動で、サスケくんが元気をなくしているようで、本当に申し訳ないし。 「……サスケ、くん」 恐る恐る、左手を差し出す。サスケくんはそれを見て、なんだと思ったのか、不思議そうに体温計を渡した。違うんだけどな。体温計は右側へ受け流して、もう一度左手を出す。 「んと、……手を……」 「…………」 サスケくんは、少しだけ躊躇った。その間に顔を見上げれば、悩むように顔をしかめていて、私の視線に気付いてから、手を重ねた。 「……あのね、」 これは、私のワガママなんだけどね。 私はもう『きれい』じゃないんだけど。私の体は汚れて穢れて、本当なら、サスケくんに触れてもらうのだって、ダメだって分かってるんだけどね。 だけどサスケくんに触れる度に、サスケくんに触ってもらえる度に、少しずつ、『きれい』に戻れるような気がするから。サスケくんが私を、大事にしてくれる度に、心も体もなにもかも、浄化されていくような気さえするから。 「……だから、……」 「っ、」 「!」 話している途中なんだけど、重ねていた手を引いて抱き寄せられた。びっくりして途切れたけど、もう少しだから続ける。 「……だから、傍に居させてね。汚いけど、ごめんね」 サスケくんが首を横に振った気配がした。一瞬、ダメなのかと思ったけど、たぶん、『汚くなんかない』『謝るな』って意味のほう。 少しだけ体を離して、一瞬見詰め合うようにされる。その間に、また、なにか躊躇って、潤んだ目を閉じて、おでこを合わせた。サスケくんが苦々しげに目を閉じる、そのほんの僅かな瞬間、瞳が紅く、なっていたような気がした。 「……」 「……お前が思ってるほど、俺は綺麗じゃない」 「そんなこと、ないよ。サスケくんは、何よりも特別だもん」 「……なに言ってんだ」 だって、綺麗な色だよ。眼の色も、目縁に溜まる涙の色も。とっても純粋で、美しい色だよ。 苦しげに、たまらなさそうに、おでこをぐりぐりと押し付けられる。ちょっとだけ痛くて、サスケくんの胸の痛みが伝わるようで、苦しいよりは、とにかく嬉しかった。 サスケくんが哀しそうにしているのに、私はどうしても嬉しさに破顔してしまう。嫌な女の子だね。 (160723) [←] [→] [絵文字で感想を伝える!(匿名メッセージも可)] [感想を届ける!] |