「4年間の大学生活を振り返って」
真っ暗

 今月の終わりに、私は大学を卒業します。ゆとり世代(笑)のモラトリアム期間(笑)などと揶揄され続けた4年間でしたが、本当に色々なことがありました。
 微妙な偏差値の大学だからか、うちの大学がおかしいからかはわかりませんが、騒がしい授業が多く、教室の後ろの方で集団で楽しそうに授業を受けている若者どもを恐ろしく感じた結果、前の方で一人で授業を受けていたら、真面目な上に一匹狼的な人間だと勘違いされていたこともありました。本当はただ小心者だっただけで、恐ろしすぎて授業中は後ろを振り返ることさえできませんでした。
 サークルで、同期や先輩方から「浮いてるよね」と言われていた人から「お前やっぱり浮いてんな」と言われたときの衝撃は、まるで昨日のことのように鮮明に思い出すことができます。きっと私は今でも浮きに浮いています。浮くことの二乗です。もうここまでくると、何も怖いものはなくなりました。
 バイトは、うまくいかないことがとても多かったです。お客様には愛想よくできるのに、同僚の皆さんには愛想よくできないという病を患っていたため、色々なことがありましたが、いま思い返してみればいろいろな意味で本当に良い社会勉強になりました。張り倒すぞ。

 ここまで、授業・サークル・バイトと、大学生がいかにも使いそうな出来事の枠組みを用いて、私の大学生活の思い出を振り返ってきましたが、私はそのいずれにも、あまり「うぇい↑↑↑↑うぇい↑↑↑↑」といった感じで関わることはできなかったように思えます。
 そんな何事にも中途半端だった私の大学生活を一言で表すと、この言葉に尽きると思います。
「本当に、モテなかった。」
これは決して謙遜ではありません。最早謙遜であってほしかったと願うほどに、謙遜ではありません。
 私も、実は夢見る乙女なので、大学に入学する前は、大学生になればたいていの女の子には自然に彼氏ができるのだと、信じている部分がありました。私はきっと、世の中に「例外」という言葉が存在する意味を忘れていたのでしょう。気がつけば、何もないまま4年間が過ぎ、周囲の女の子たちから様々な話を聞くばかりで、耳年増になるとはこういうことなのかと、強く実感する日々でした。
 しかし、今や時代は「(疑わしいことこの上なくもありますが)総草食」です。異性との交際経験のない若者は増加傾向にあるそうです。私の友人たちの中にも、今まで一度も付き合ったことのないという人は、少数派ではありますが、確かに存在します。そうした人同士で集まって、辛い現実を嘆きながら酒を飲むこともあります。これがまた楽しい。
 でも、たいていの場合、私は彼女たちともレベルが違う。「本当に、モテなかった。」の「本当に、」に込められた強さを捉え損ねてはいけません。私は、この4年間、アプローチされたり、デートしたり、さらには好きな人ができることさえありませんでした。このレベルまで達すると、アプローチとは?デートとは?という疑問さえ浮かんできます。
 世の中、恋愛だけではないということは間違いではありません。しかし、恋愛が世の中の一部であることも、残念ながらまぎれもない事実だと、私は思うのです。私は一体、この4年間何をしていたのでしょうか?

 私の大学生活は「本当に、モテなかった」。これは一見、悲しいことのように思えますが、都合のいいように、私が息をしやすいように、見方を変えることもできます。つまり、「本当に、モテなかった」私だからこそできたこと、あるいはこれから先できることがあるということです。例をあげると、自分がモテるかモテないかについて、ここまでねちっこく文章を書くことができているのも、私が「本当に、モテなかった」からだといえると思います。

 こうしたことも踏まえた上で、私の4年間の大学生活を総括すると、「モテなくて良かった」。
そんなわけあるか!!!!!!!!!!!!ガッデム!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!





もともとひどいアレルギー性鼻炎で、年中鼻水とくしゃみが絶えないのですが、特にこの花粉症の時期は症状がひどくなり、よく手持ちのポケットティッシュがなくなり、トイレットペーパーで鼻をかんでいる真っ暗です。お陰様で、鼻のまわりのファンデーションは全て剥がれ落ち、イチゴもびっくりの毛穴たちがこんにちはします。加えて、トイレットペーパーなんかで鼻をかんでしまっているので、鼻のまわりが赤くなります。赤くなり、目立ち、よく見てみると、黒々とした無数の毛穴。こうなればもう私には怖いものは何もありません。素晴らしい。

私の小鼻の毛穴がどうしてこんなことになってしまったのかも謎ですが、私の体毛がどうしてこんなことになってしまったのかということも謎というか、最早私にとっては「毛」が人生をかけて探求すべきテーマ的なポジションにおさまってしまっています。どうせならもっとシャレオツなテーマが良かったのですが、この何となく地味で不潔な感じが真っ暗らしくもあると自分でも思います。
そういうわけでして、最近はあまりアピールはしていないけれど、私は体毛が尋常ではなく濃いです。私よりも体毛が濃い女性には会ったことがありません。ネットで色々と調べていると、もっと体毛の濃い女性もいることはいるようですが、とにかく、私の体毛が日本女性の平均値よりも格段に濃いことは明らかです。まあ明らかも何も、日本女性の平均的な体毛がどのくらいの濃さなのか知りませんが。
小学生の時、まだ私の生活習慣の中に「体毛を剃る」という概念が存在しなかった時は、よく同級生からゴリラゴリラ〜と馬鹿にされました。よくよく考えてみれば、なぜ人を馬鹿にする表現にゴリラが出てくるのかもわかりませんが、私の腕は自然のまま、つまりフサフサでした。もう触ったら気持ちがいいくらいにフサフサでした。
中学生くらいから「体毛は剃るべきものなんだ」という感覚が私にも芽生え始めました。同じく体毛の濃い(しかし憎らしいことに私よりは薄く、範囲も狭い)母は、剃ると余計濃くなるから、肌を傷つけたらいけないから、と私が体毛を剃ることに当初は反対していましたが、私は母の意見などお構いなしに必要以上に体毛を剃っていました。クソ真面目なのにも関わらず、一度眉毛が消えたこともありました。そうしているうちに、体毛の処理をしたことがない、あるいはほとんど処理をしたことがない同級生もいるということがわかってきました。むしろ、私が皆と同じように体毛の少ない状態を保つためには、皆以上に頻繁に、時間をかけて、熱心に処理をしなければいけないということに気がついてしまったのです。そうしたことに気がついた頃から、私の体毛は私にとって小さなコンプレックスとなったように思います。

そして数年前から、ついに脱毛サロンが低価格化し、電車内などでも広告を通して頻繁に見かけるようになりました。低価格化って言っても高いんでしょ?と考えていた私は、まわりの友人たちの圧倒的、本当に圧倒されてしまうほど多数が、脱毛サロンに通っていることを知り、卒倒しかけました。いや、さすがに卒倒しかけたというのは話を盛りすぎたと思います。そこまでして体毛って処理しないといけないの?しかも女だけ?と疑問を感じつつも、私は小心者なので体毛の処理をやめてフサフサの毛を他人に堂々と見せつけることもできず、体毛の処理が少しでも楽になるなら、と友人の紹介で脱毛サロンのお試しプランをお願いしてみることにしました。

とりあえず、脇に脱毛器で光をあててもらいました。それだけでは効果もへったくれもわからなかったので、一度家に帰って継続するか考えさせてくださいと脱毛サロンのおねえさんに頼みました。すると、おねえさんは「うちに来る子はみんなやるって決めてから来る」とか、「みんな全身コースを頼むのに、脇だけで悩む子そうそういないよ」とか、色々言ってきました。って、お試しプランじゃなかったのかよ!とお試しの要素がほとんどないお試しプランに心の中で激しくツッコミを入れつつ、契約をしないと帰してくれなさそうな雰囲気を察知し、テンパった私はなぜか値下げ交渉に入り、見事成功し、契約を終えて帰宅しました。ちなみに、私の友人も全身コースで契約をしている人が多かったのですが、総額30万円以上。ローンをくんで支払い続けます。どこの貴族階級だよ。
帰宅後、やはりもう脱毛サロンに行きたくないという気持ちに加え、脇が異常に痒くなったこともあり、私はクーリング・オフの制度を生まれて始めて使用しました。脇は痒くなりましたが、良い勉強になりました。そして私はこの日をきっかけに、大変申し訳ないのですが、若くてきれいなおねえさんが苦手になりました。

私は物事に対するポジティブな解釈が得意なので、きっとこれは「そんなに頑張って体毛を処理しなくてもいいんだよ」という意味なのだと、脱毛サロンでの一件に対して考えるようになりました。正直、体毛が濃くても、別に電車の中で隣の人に私の体毛が突き刺さって怪我をさせるわけでもないのだし、そんなに他人様に迷惑をかけているとは思えません。でも中には、体毛が無理!という人もいると思います。知り合いから、カワイイ女の子と良い感じだったのだけれど、その女の子の肘に生えていた剃り残しの毛に気づいた瞬間一気に萎えたという話を聞いたときには、戦慄しました。なぜそれほどまでに体毛は悪いものだと見なされるのか、そしてなぜ膨大なお金や時間をかけてまで体毛を処理しなければならないのか、これは本当に謎です。しかも、これほどまでに体毛を処理することが「良い」とされているのは、日本くらいではないでしょうか。

そういうことなので、私は今日も人からは見えない腕や脚はフサフサの状態で街を闊歩してまいります。これだから冬服は素晴らしい。愛してるよ。





調理が全くできないにも関わらず、調理補助のお手伝いを始めて早半年、ようやく包丁の扱いが普通の人間に近づいて来ましたが、なぜか玉ねぎの皮を必死で剥いていたら爪が剥がれた真っ暗です。なぜ玉ねぎの皮ではなくて私の爪が剥がれてしまったのか、それは永遠の謎ですし、自分がどれだけアクロバティックに玉ねぎの皮を剥いていたのかも永遠の謎ですし、いつも適当に玉ねぎの皮を剥いているので、正しい剥き方というものがあるならば、それも永遠の謎です。と言いたいところですが、Google先生に聞けばすぐ教えてもらえること間違いなしです。

そんなわけでして、爪の痛みに耐えながら帰りの電車を待っていると、なんと大学から電話がかかってきました。え?私なんかやらかした?トイレの鏡が細く見えるように作られているのがムカつくって言いまくっていたのがバレた?先生の疲れ具合は髪の毛の乱れ具合を見ればわかると豪語していたのがバレた?それとも卒業取り消し?ここまできて?とまでは考えませんでしたが、おそるおそる電話に出ました。
すると、「真っ暗さんが優秀な成績を修められたので、卒業式で総代を務めていただきたい」といった旨のお電話でした。私はひどく動揺しました。え!それって首席ってこと?私って意外とすごかったんじゃん!やば!でも別にオールSでも何でもないのに私が首席ってうちの大学やばくね?大学って勉強するところだよね?やばくね?と、なぜか自分の大学の教育機関としての機能を問題視し始めるほどに動揺していました。

とりあえず、本当に動揺していたので、もう一度言ってもらうことにしました。すると、私は自分が夢を見ていたということに気がつきました。本当は私は、首席でもないし、卒業式で総代を務める必要もないし、自分の大学の教育機関としての機能を問題視する必要もなかったのです。すべては、爪の痛みとホームの煩さと、突然降りだした雪の寒さによる幻聴でした。一瞬でも舞い上がった自分が馬鹿みたいでした。
というわけで、自慢(にならないような気もするの)ですが、総代ではなく副総代に選ばれました。卒業式では、万が一総代に選ばれた学生が欠席した場合に、総代の代わりに卒業生を代表して学位を授与される、いわば補欠ポジションらしいです。何だか良いように使われているような気もしますが、ひとまず真っ暗さん、ちょっとだけおめでとうございます!ちょっとだけありがとうございます!ちょっとだけどういたしまして!首席を逃すところが、何とも真っ暗さんらしいですね!張り倒すぞ!
そんな感じで、卒業式で同期が集団で「アーーーーーーー!!!◯◯ちゃんアーーーーーーー!!!」みたいに騒いでいるところを目にするのが苦痛すぎて、卒業式とか行かなくて良くね?と思っていましたが、頑張って出席して、補欠ポジションを華麗に務めてきたいと思います。





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