なぜかここ数年、旅行に行くときは始発に乗るという謎の現象が起こっているのですが、やはり私は夕焼けよりも日の出派ですかね。




「カワイイは作れる!」というCMが一時期話題になっていましたが、どう足掻いてもカワイイが作れない真っ暗です。おそらく、世間のカワイイの概念が変わらない限り、私がカワイイになることは不可能でしょう。

私は、近頃ではよく揶揄されている女子同士の「カワイイ〜!」「カワイイ〜!」「カワイイ〜!」は、お祭りのときの「ワッショイ!」というかけ声に近いものだと思ってきました。皆で同じ言葉を発し、同じ気分を共有することで、場を盛り上げる効果がある点に関しては、「カワイイ〜!」も「ワッショイ!」もさしたる違いはないのではないのでしょうか。女子同士の「カワイイ〜!」は本当はカワイイと思っていないのにも関わらず、人に合わせて「カワイイ〜!」と言ってしまう人がいることも、揶揄される理由のひとつではあると思います。しかし、それならば「ワッショイ!」と言っている人も、全員が心から「ワッショイ!」と思った上で言っているのでしょうか。絶対に全員が心から「ワッショイ!」と言っている、とは言い切れませんよね。それなのに、「カワイイ〜!」と言う女子たちばかりが揶揄される。これは、不公平ではないでしょうか?

と、「カワイイ〜!」擁護派に見える真っ暗ですが、「カワイイ〜!」と口々に言う女子に対して、それ本当にカワイイと思って言ってんの?とか、私の趣味ではないとか、場の空気を一瞬にして凍らせてしまうことの達人でもあります。もうエルサどころの騒ぎではありませんね。
お祭りで考えるとですね、「ワッショイ!」と言う人たちに対して、それ本当に盛り上がって言ってんの?、私はこんな祭りじゃ盛り上がれないなどと言っているようなものです。失礼極まりないですが、私はお祭りは大好きなのでご安心ください。

このように、本当は全員がカワイイと思っているわけではないのに、場の空気を乱さないために「カワイイ〜!」と言ってしまうのが、「カワイイ〜!」女子であり、私は思ったことをそのまま口に出してしまいがちなため、そうした女子たちについていくことができず、友達が少ないのだと思っていました。ていうかそもそも声が野太すぎてあのカワイイ〜!の音階についていけない。しかし、先日、女子同士の「カワイイ〜!」について、新たな考えが浮かんできたのです。
それは、女子同士の「カワイイ〜!」連呼現象は、全員が心からカワイイと思っているから生じている可能性があるのではないか、ということです。つまり、周りに合わせて無理に「カワイイ〜!」と言っているのではなく、カワイイと感じたものに対して素直に「カワイイ〜!」と言った結果、「カワイイ〜!」連呼現象が発生しているとは考えられないでしょうか?

私は、私がカワイイと感じられないものに対して、「カワイイ〜!」と連呼しあう女子のほぼ全員に対して、そういう場面を目撃する度に、本当は別にカワイイと思ってないだろとツッコミを入れていました。
しかしそれは、私が自分の価値観のみを基準として物事を見てしまいがちなことの表れでもあると思います。自分とは異なる価値観が存在することを、無自覚のうちに意識から排除し、心からカワイイ!と思っている人がいる可能性を考えなくなってしまう。

まあとにかく私は、真っ暗なので、本当に真っ暗なので、どう考えても多くの人がカワイイ!と認識しているとされているものをカワイイ!とは思えないし、自分がカワイイ!とは思えないものに対して「カワイイ〜!」と言う気にもなれないので、自分に対してカワイイを作ることは不可能だと思います。
結論としては、カワイイは、自分の考えるカワイイが世の中でカワイイとされているものと一致しているか、一致していなかったとしても世の中でカワイイとされているものをきちんと認識し、それに合わせることができる場合においてのみ、作れる!!!!!!ふざけんな!!!!!寝る!!!!!!!!昼間だけど寝る!!!!!!!!





「21歳ってさ、ハタチに毛が生えたようなものじゃん?でもさ、もう22歳になったら完全に大人だからね?もう後戻りできない感半端ないからね?」

と、早生まれのため、同学年の友人たちから散々脅されてきましたが、ついに私も生誕22周年を迎えました。おめでとうございます!!!ありがとうございます!!!真っ暗さんが生まれてきてくれて本当に良かったわ!!!私もあなたが生まれてきてくれて本当に良かったわ!!!真っ暗さんと出会えて本当に良かったよ!!!私もあなたと出会えて本当に良かったよ!!!地球の全てにサンキュー!!!銀河の果てまでサンキュー!!!
しかし私は思うのです。年齢に関係なく大人な人は大人だし、子供な人は子供だし、そして私は後者だし、現代版通過儀礼説のある就職活動も投げ出したし、22歳なんて年齢、全く怖くないもんね!!!もうすぐ社会人になる友人たちには、お金持ちになったら一緒にご飯食べるときに消費税分だけ奢ってくださいって言ってあるもんね!!!自分が情けなくて涙が出るぜ!!!お肌の曲がり角は25歳だと信じて疑わずに安い基礎化粧品を使いまくっていたら、正直使わないで肌を放置することもあったりしたら、女子力の高い友人から「何言ってんの?お肌の曲がり角なんてもうとっくに過ぎてるよ。」と恐ろしいことを言われましたからね。それでもやめられない、500円の化粧水と乳液。本当にもう何も怖くないですよ。本当に。

21歳は、度を越すほどに楽観的な私にしては葛藤の多いときでした。それは主に、家族に関することでした。私の家が母子家庭であること自体は何の問題もないのですが、それとはまた別のところで、いや、もしかしたらやはりその問題も母子家庭であることに起因しているのかもしれませんが、簡単に言ってしまえば「面倒なこと」がたくさんありました。事情を説明するのが難しい上に、もともと人に弱音を吐いたりすることが苦手な性格なこともあり、親しい友人などにもそうした問題について話せないままでいました。普通の家族生活をあたりまえのように享受している友人の話を聞いて、聞き流しつつも、内心腹立たしく思ったこともありました。まあそうやってうまく自分の中だけで抱えているつもりでも、そうした問題にぶつかった直後に、飲みすぎて嘔吐しながら泣き喚くなどの汚物きわまりない行為をして友人たちには迷惑をかけてしまったこともあるので、結局は人に弱音を吐かずに堪えている自分に酔いしれていたかっただけなのだと思います。

って、いやいや、勝手に悲劇のヒロインぶってんじゃねーよ。本来ならば、よくよく考えてみるまでもなくわかることなのですが、私から見て「普通の家族生活をあたりまえのように享受している」人であっても、多かれ少なかれ家族に関する悩みを抱えているものです。私だって、何も知らない人からしてみればそのように見えるのかもしれない。うちは家族に関する悩みなんてないよ、という人がいるかもしれませんが、家族に関してではなくても、生きている中で何ひとつ悩まずに、一度たりとも自分の抱える問題と向き合わずに済むような人はいないんじゃないでしょうか。しかし、自分が悲劇のヒロインモードになってしまうと、どんどんそこにのめりこんでいってしまって、そんな当然のことがわからなくなってしまうんだろうなと思います。そんなわけでして、22歳の真っ暗は悲劇のヒロインではなく、単なるヒロインを目指してアンチ・エイジングに励むことにしましたので、今後ともよろしくお願いいたします。

ちなみに、この雑記(?)は1つ年をとるごとに新しいものにしています。過去のものは「A」のページから適当な感じでクリックしすれば適当な感じでリンクがあります。また、今までと少し仕様を変えまして、17歳の真っ暗、18歳の真っ暗、19歳の真っ暗、20歳の真っ暗、21歳の真っ暗と、まるで成長記録のような気持ちの悪い表記にしました。まああまり成長していないのですが。たまに過去のものまで読んで下さる方がいるようなので、一応ここに書いておきます。





| 次




第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -