先週とはまるで違う気分で始まった月曜日。公私混同は社会人としてあるまじき所業だと言い聞かせて、ただ無心で黙々と活字と向き合い続けた火水木曜日。そうしてやっと訪れた金曜日。今日まで実弥さんからの連絡は無く、わたしもまだ、できずにいた。


終業のベルが鳴って報告書を提出して、荷物をまとめ、帰路へとつく。夕飯はどうしよう。何も考えずに眠ってしまおうか。そうして目が覚めたら、実弥さんに…

その時、片手に持っていた携帯電話が震えて、つい反射的にその画面に触れてしまった。


《今夜家に行く》


表示された短いその6文字には有無を言わさぬ迫力があった。


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電子時計が19時を知らせた。恐らくもう暫くしたらその時がくる。夕飯は、食べられる気がしなかった。


先週と違うのは部屋に灯がついていることだけで、気分はそれよりも重かった。1ヶ月前のわたしだったら、実弥さんがいいなと言ってくれたキャンドルを焚いて、夕飯を準備して、いちばんお気に入りの部屋着に身を包んで、今か今かとその時を待っていたというのに。

でも、そんなふうに待つ日がくることはもうなくて、今日が最後になってしまう。合わない、会えないからと、諦めていなかったら、今は変わっていたかもしれない。きっと実弥さんは、無理をしてでも会ってくれたに決まっている。待っているばかりでなくわたしの方から会いに行くことだってできたはずだ。こんなことになるのなら、もっと、素直になればよかった。もっと、自信を持てばよかった。もっと、実弥さんがくれたたくさんの愛情に応えればよかった。伝えたいことを全部伝えておけばよかった。


そんな、今更後悔したってどうしようもないことばかりが頭の中を回り、心の中に積もっていく。せめて、最後くらい、笑ってお別れしたかった。けれど繕うこともできないわたしはやっぱり、実弥さんには釣り合っていなかったのかもしれない。明るい部屋で膝に顔を埋めるわたしは、結局覚悟なんてこれっぽっちもできていなかった。


ピンポン、とインターホンが鳴る。実弥さんは合鍵を持っているので、わざわざチャイムを鳴らすことはない。濁った思考ですぐに覚えがつかないけれど、何か宅配があっただろうかと、のろのろと立ち上がりモニター画面に向かった。

「っ…」

実弥さんだった。

余所余所しいその行為にもう合鍵を使うことも嫌になってしまったのか、と、鼻の奥がつんとした。奥歯を噛み締めてなんとか堪えて、通話ボタンを押す。

「…はい」
「俺」
「…今開けます」

オートロックを解除すると暗転したモニターには暗然とするわたしが反射して映った。


やけに大きく、玄関へと近づいてくる革靴の音が聞こえる。それこそその音が聞こえれば玄関まで走っていって、開かれる扉を前に嬉々とした表情で待ち構えるのも、また、恒例だった。

依然モニターの前に立ち尽くしたままでいると玄関のチャイムが鳴らされる。ああ、そうよね。と、いつもなら一瞬でたどり着くその距離がやけに長く感じた。

ガチャリ、と鍵を回し僅かに扉を開くと、風が吹き込み入ってきたのは大好きな香り。それだけで胸がぎゅうっと、いっぱいになってしまう。

「久しぶり」
「お久しぶり、です…」
「…入っていいか?」
「どうぞ…」

ほら、また。そんなこと、一度だって聞いたことなんてないのに。ひとつひとつの言動にじくじくと胸が痛む。


顔も見れぬまま部屋に招きリビングに着くと、何か聞かれる前に先手を取ってダイニングテーブルに案内した。実弥さんはスーツのジャケットを脱いで軽くたたみ、カバンとともに空き椅子に置いてから席に着いた。わたしも向かいの席に座った。


訪れた沈黙を破ったのは実弥さんだった。

「顔も見たくないってか」
「っ…」

発せられたその声はとても低くて、怒っているようだった。思わず顔をあげる。

「ハッキリ言ってもらわねえとわからねェ。単刀直入に聞く」

何故実弥さんが聞くんだろう、と、回らぬ思考で考えたが、一度区切られた言葉はすぐに続いた。

「男ができたのか?」
「えっ?」

思わず大きな声が出た。意味がわからなかった。どうしてそんなことを聞くのだろう。むしろそれは、実弥さんの方じゃない。と、反論しようとしたけれど、実弥さんは言葉を続ける。

「悪いがちょいと知り合いがいるもんで確かめさせてもらった。残業だと、暫く忙しいと言っていたが、この1週間お前は変わらず定時で帰っていただろう。それから、先週の金曜日もだ」

見透かされているだろうとは思っていた。けれど、まさか。実弥さんくらいのポジションになると顔が広いのは頷けるが、そんな内内に知り合いがいるとは知らなかった。

「なにしてた?」

声色は相変わらず低いけれど、交わった視線は、その瞳はとても静かだった。

「…ません」
「うん?」
「いませんよ、男なんて…」
「そうか、じゃあなんで「実弥さんの方こそ」

嘘を吐いたのかと聞かれる前にその言葉を遮る。

「俺の方?」
「…っ実弥さんの方こそ、女の人が、いるんでしょう?」

ほとんど届いたかもわからないくらい、小さな声しか出なかった。口に出しておいて、そうしたことでまた、堪えられなくなって俯く。それでも、その言葉で空気が揺れたのがわかった。

「…なんでそう思う」

そう尋ねる声色は先ほどとは僅かに変わった気がした。

「…見たんです」
「何を?」

締め付けられる胸の内そのままに、そうして促される声にわたしは今でも鮮明に、脳裏にこびりついて離れないあの光景のことを話した。








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