着信履歴は全部で10件あった。メッセージは3件。


《今着いた、迷ってないか?待ってる》
《何かあったのか?連絡くれ》
《どういうことだ、電話に出ろ》


短いその文章から実弥さんはとても心配していて、それからとても怒っていることがわかった。既読にしてしまった以上返事をしないといけない。今までだったら迷わずにすぐに返信してしまうものだから、いつかの曲のようにちょっと送らせようかしら、などと考えたものだけれど、今はもうそんなこと考えなくとも延々に返せる気がしなかった。

《連絡できなくてごめんなさい。急な残業になりました。まだ帰れません》

仕事を盾にして嘘を吐く。送信ボタンを押して数秒、直ぐに返信が来た。

《わかった。無事ならいい。会社の前まで迎えに行く》

予想していた通りの返事だった。だけれどもそうされたところでわたしはそこにいない。だから、もう一度嘘を吐く。

《何時に終わるか分からないので、今日はなしにしましょう。それから暫く忙しくなります。ごめんなさい。また連絡します》


あまりにも一方的な内容。けれどこれが精一杯だった。震える指先でそう打ち込み送信し、電源を落とした。唯一の明かりを失って真っ暗な部屋ができあがる。

あの後どうやって帰ってきたのかわからないけれどここはわたしの家で、いつものソファの上であることは間違いない。帰ってきたというよりは帰ってきてたんだな、という方が正しい気がする。

膝を抱えて顔を埋めて目を閉じると、否が応でも思い出される光景に奥歯を噛んだ。そうして思いつくのは会えなかったこの3週間のこと。

初めて空いた長く会えない期間。

寄り添う2人。微笑む女性。振り切らない彼。

「なんだ、そういうことだったの」

呟いた声が部屋に響いて、全てに合点が入った。

実弥さんに限ってそんなこと、するはずないと思っていた。それは今でも思っている。それなのにその考えが拭いきれないのは彼がとてもモテるということ。所謂できる男である上にあの容姿を持ってして当たり前なのだけれど、それに加えてとても優しいのだから、つまりはあまり言いたくはないけれど、ひくてあまたなのだ。

だけれどもモテるからといって簡単に靡くような人ではないと、わたしが知ってる実弥さんはそんな不誠実を働くような人ではないとやっぱり思う。ヤキモチなんてかわいい言葉じゃ済まないかもしれない気持ちを持ったことだってないわけではない。けれどそれ以上に、そんなもの呆気なく打ち砕くくらいに実弥さんはわたしにいっとう優しかった。触れる指先も囁かれる声も、その瞬間はぜんぶがわたしのためだけにあった。決して自惚れではないと思い知らされるほどに、実弥さんはわたしに確かな愛情を注いでくれていた。

だから尚のことわからくなってしまう。あれにはやっぱり、何か事情があったのだろうか。ぐるぐると巡らせるがどう足掻いても今のわたしの思考は合点が入って出たその答えに支配されていた。

真っ暗な部屋の中、小さな電子音とともにぴかっと光った時計が20時を知らせる。1時間と5分前までのわたしは、もうずっと見つからない気がした。


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着替えもせず、化粧もそのままにソファの上で眠っていたらしい。明かりを求め手探りで携帯電話を手繰り寄せるも電源を落としたままだったことに気づいて再起動する。暫くして映し出されたのは見慣れた待ち受け画面と時刻を知らせる数字。それだけだった。

当たり前なのに、それでいいのに、ディスプレイは歪んだ。深夜の真っ暗い部屋は月明かりも届かなくて、静かだった。自分が吐いた息が、漏らした声が、流した涙が、苦しくて悲しくて熱かった。

わたしはもう一度膝を抱えて、早く朝になれと祈るように目を閉じた。黒く色付いたこの心を輝く陽の光で救ってほしかった。


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祈りが届いたのか目を開ければカーテンの隙間から覗く世界が僅かに白んでいる。今度は電子時計に目をやると5時を少し回ったところだった。土曜日の朝だというのに、先週までならまだ夢の中だというのに。

のろのろと立ち上がりお風呂場へ向かった。洗面台の鏡の前に立つと思わず苦笑いが漏れる。マスカラが崩れた目元は悲惨で、口元はそれこそ、おいしいものを夢中で食べたかのようだった。それが理由かわからないけれど、同時にお腹がぐうと鳴る。こんな時でもそうなのね、と図太い自腹に独りごちて、シャワーを浴びるため服を脱いだ。

水に流せることはもちろんなかったけれど、温まった身体とお腹のお陰で思考は幾分かほぐれたようだった。そうしてこれ以上1人で考えたって仕方がないことだと思えるようになった。お付き合いしているという状態であるからして、これはわたし1人の問題ではない。わたしと実弥さんの2人の問題なのだ。だけれども、逃げているだけではなにもならないとは分かってはいるけれど、やっぱり今すぐに連絡をとる気持ちにはなれなかった。


本当は昨日、実弥さんはわたしに別れを告げるつもりだったのかもしれない。思い返せばそもそもデートをしようと誘われたわけではなかった。今や指先一つで恋の始まりも終わりも簡単にできてしまうけれど、誠実な実弥さんのことだから、きちんと面と向かって伝えてくれようとしたのだ。誘われて、舞い上がって、久々の逢瀬にわたしが1人で勝手に浮き足立っていただけ。

そう思うと尚更連絡をとる気持ちにはなれなかった。その誠実さに甘えた。連絡をとればいずれ会うことになる。そうすれば告げられる別れの言葉。そうなればもう2度と会うことはできなくなってしまう大好きな人。


自惚れではないとは言ったけれど、わたしがあのどこをとってもパーフェクトな彼と釣り合っていたかと言われればそれにはちょっぴり俯いてしまうのも本音だった。思えば夢のような時間だったかもしれない。けれどそれでも、実弥さんと過ごした時間は、実弥さんからたくさん愛された時間は本物で、決してなくなることはない。


だから、まだ覚悟が出来なかった。もう少し、これが夢なら、まだ夢の中にいたかった。




けれど無情にもその夢が醒める時が決まったのは、翌週ことだった。








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