あれは、絶対に、実弥さんだった。



遡ること1週間前、来週の金曜日、仕事終わりに待ち合わせしよう。と実弥さんから連絡がきた。もう彼此3週間ほど会えていない。デートらしいデートをしたのは1ヶ月と少し前。お互い社会人であるからして、その上実弥さんは肩書きがつくポジションで仕事をバリバリにこなしているので、所詮OLのわたしとは忙しさなんて天と地の差。分かりきっていることとはいえ合わない時は本当に合わなくて、会えない。といってもこんなに会えないのはお付き合いをはじめて初めてのことだった。

久しぶりのデートだ。ごはんを食べて終わりというのはもったいない気もする。レイトショーとか観たいなあ。ちょうど公開されたばかりの恋愛映画があったはず。でもアクション映画も捨て難い。きっと実弥さんならどちらを選んでも頷いてくれることは間違いないけれど、2人で恋愛映画なんて、久しぶりのデートなのに余計にドキドキしてしまうだろうからやっぱり観るならアクション映画かなあ。


まだ1週間もあるというのに、でももう1週間すればやっとやっと会えるんだと思うと簡単に浮き足立ってしまう。こうして仕事でミスでもしたらきっと実弥さんは怒るだろうな。いや、呆れてしまうかも。どちらにしたってそんなことでせっかくのデートに大遅刻を、ともすれば延期なんてことをするわけにはいかないので、気を引き締めて取り掛かった月曜日。指折り数えて惚けそうになるその心を律しつつ順調に業務をこなした火水木曜日。一つのミスもなく全ての書類をクリアした待ちに待った金曜日。終業のベルが鳴って報告書を提出して、荷物をまとめ化粧室に向かった。


普段は会社でお色直しなんてことはしないのだけれど、今日は例外である。といっても総着替えするわけにはいかないので1日で崩れたメイクを直して少しばかり色を足す。オフィス勤務も相俟ってあまり派手なメイクはしないのだけれど、いつだったかどうしてもデザインがツボで思わず買ってしまった赤いリップをつけた時、それを見た実弥さんが「うまそう」と呟いたことがあった。もちろん言葉だけで済まなくて、その先はまあ、その、ご想像の通りなのだけれど、兎も角そうしてこの赤いリップは実弥さんの前だけでつける特別なものになったのだ。


おおよそ1ヶ月ぶりのデート、3週間ぶりの実弥さん。変わらないわたしでいたいけど、やっぱり、可愛いとかそんなことを思われたいのが乙女心。曰くおいしそうに色づいた唇をきゅっと弓形に整えて、待ち合わせの駅に向かった。


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時刻は18時45分。待ち合わせは19時ちょうど。どうしたって弾む心と足取りは軽く、予定よりも些か早く着いてしまった。帰宅ラッシュは終焉を告げかけているものの、駅前は人で溢れている。

そういえば、スーツ姿の実弥さんとデートしたことあったかしら。家に来る時は仕事帰りそのまま、なんてこともしばしばあったけれど、外で、きちんとデートという形で歩くのは初めてかもしれない。デートそのものに浮かれていて全く思考に至らなかった重大な事実が今更発覚してしまい、先ほどまで軽やかだった心は一気に緊張に変わる。と同時に、絶対にかっこいいなんて、想像しただけで頬が熱くなるのだから、わたしは本当に実弥さんが大好きで仕方がない。


18時55分。約束に遅れることのない、むしろ5分前行動当たり前といった実弥さんのことだからきっともうすぐどこからか現れるんだろうな、とつい辺りを見回してしまう。そうしてちら、と駅前の煌びやかなネオンの中に光る銀髪が見えた。


「実弥さん!」


まだ随分距離があるというのに思わず口を突いて出てしまった彼の名前。もちろん届くはずもなくて、だけど見つけてしまったからには駆け寄りたい衝動に駆られて自然と足が向く。一歩一歩と人波に飲まれないように、見失わないように、目的の人物まで歩を進める。と、近づくにつれ目の当たりになる予想だにしなかった光景に順調だった足は止まってしまった。

「えっ…」

わたしが実弥さんを見間違えることは絶対にない。ということは、あれは絶対に実弥さんなのだ。遠目からでも分かる鍛え上げられた長身の、柔らかな銀髪が揺れる、少々強面な、でも笑うとかわいいあの人は絶対に実弥さんなのだ。でも、その隣にいる人は一体誰?

思うより足が早かった。駆け寄りたかった真逆を向いて、わき目も降らず一目散に、駅から出て行く人たちを逆らって人波に乗り込んだ。途中誰かにぶつかった気がしたけれど謝罪の言葉もそこそこに走った。走って、走って、走って、気づいた時には駅の反対側に来ていた。


先程までの煌びやかなネオンとは打って変わった駅裏は、今のわたしの気持ちそのままに静かで暗くて、寒かった。


頭から冷水を浴びた気分だ。鈍器で殴られたみたい。でも脳裏にこびりついた先刻の光景は実際にそうされたところで消えてくれないだろう。

ぴったりと寄り添って、腕を絡めて、その女性は背の高い実弥さんを見上げて微笑んでいた。実弥さんの表情ははっきり見えなかったけれど、嫌がっている雰囲気はなかった。もし仮にそうだとしたら、あんな人混みで、駅前で、同僚だって友人だって、わたしだって、いるかもしれないあの場所で振り切らないはずがない。少なくとも、わたしが知っている実弥さんはそういう人だ。


確かめるべきだっただろうか。見て見ぬ振りをして堂々と、待ち合わせの場所で待っていたらよかっただろうか。そうして何事もなく現れた実弥さんに、わたしは笑えただろうか。いや、きっと無理だった。

立ち尽くすわたしのポケットが着信を知らせて震える。暫くして止んだその振動は直ぐに繰り返された。数回あってから、最後に短く1度震えて止んだ。




そこだけがやたら眩しく光る電光掲示板が知らせる時刻は19時になった。








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