預かりしは猫



不死川実弥は犬が好きだ。それはふと願掛けに訪れた神社の境内で出会った真白の犬に握り飯をやるくらいに犬が好きだ。

長い睫毛が縁取るきゅっと上がった眼こそ、色素の薄い柔らかな毛髪こそ、風を纏い空中で器用に身体を捻る様こそ、猫のようではあるけれど、それでも犬が好きだった。

かと言って猫が嫌いというわけではない。それはもちろん、あの境内にいたのが世間で忌み嫌われる黒猫であっても腹を空かせて擦り寄ってくれば彼は同じことをしただろう。

詰まるところ不死川実弥は、体裁からは俄かに見受けられないが、とても優しい男なのだ。


そんな不死川実弥のところに、とある日の午の刻、胡蝶しのぶがやってきた。正確には、胡蝶しのぶと、その元で働くアオイと、2人がやってきた。

「不死川さんにお願いがあります」
「俺はそんなに暇じゃねェんだが」
「お受けしてくれることはわかっていますよ」

胡蝶しのぶはそう言って微笑んだ。その目も合わせて弓形になったが、その表情に、発せられた声に、反論の余地はないことは明らかだった。

「アオイ」

その呼びかけに胡蝶しのぶの影に隠れていたアオイが不死川実弥の前に出る。柱というだけで心臓は早鐘を打つのに、その中でもいっとう恐ろしいとされる不死川実弥を前にしてアオイは今にも震えそうな足をしっかりと地面に縫い付けて立った。

「こちらを、不死川さんにお預かりしていただきたいのです」

胡蝶しのぶがハッキリとそう言えば、アオイが両の手に抱えていたそれを差し出す。そうすれば突然の浮遊感に驚いたそれはじたばたと四肢を動かすものだから、不死川実弥が座る縁側に降ろしてやった。もちろん、その一瞬でそんなことしていいものかとものすごく葛藤した結果、胡蝶しのぶを信じてそうした。

「猫?」
「はい」

四肢が着地したことで幾らか落ち着いたのか、それ、改めて猫はそっと不死川実弥を見上げていた。けれどまるで恐れているように、その瞳はくりくりとまあるく震えてみえた。

「なんで俺だァ?」
「不死川さんが適任なんです」
「ハァ?」
「宇髄さんのところにはネズミが、甘露寺さんのところにはうさぎが、伊黒さんのところには蛇がそれぞれいらっしゃいます。悲鳴嶼さんのところには確かに猫がいますが、それはもうたくさんいるので、これ以上は無理でしょうね。時透くんはあまり興味がないようですし、冨岡さんは言わずもがな。そうしてわたしは毛の生えた動物が嫌いです。」

そう言い上げて、胡蝶しのぶはもう一度微笑んだ。

「…そうかィ」

数秒の間があって、不死川実弥が負けた。アオイは胸を撫で下ろした。猫もまた耳をぴくんと動かした。

「怪我をしているので療養のためです。こちらで用意してある薬を食事に混ぜて与えてください。それからたっぷりとお日様に、こうして縁側で休ませてあげてください。時期に良くなります。人を嫌うことはありませんから、そうですね、普通に接していただければ大丈夫かと」

そう言われて、不死川実弥は改めて自身を見上げている猫を見た。三毛猫という類だろう、大方白色で覆われた体毛の端に黒と赤茶が入っている。そうして確か、三毛猫にはオスがいないと聞いたことがあった。

「コイツはメスだよな?」
「ええ、何か問題でも?」

何故そんなことを聞くのだろうかと胡蝶しのぶは少し考えたが、まさか猫相手にそんなことはないだろうと、もしあるならば彼にも少々薬がいるかもしれないと頭の端で考えた。

「名前はァ…」
「ありません。不死川さんが好きなように呼んであげてください」

「お伝えすることは以上です、それではよろしくお願いします」と一礼して、胡蝶しのぶとアオイは帰っていった。

そうして訪れる沈黙。ただの猫1匹を相手に何をしているのだろうかと、不死川実弥は苦笑した。

「そうだなァ…そのままだがミケっつーのはどうだァ?」

名前がないからといって猫と呼ぶわけにもいかないのでそう提案してみると、案外通じたようで、ミケは小さくにゃあと鳴いた。思わずフッと頬が緩む。

「野郎相手で嫌かもしれねェが、良くなるまでの辛抱だァ。とりあえず昼飯の準備をするから、そこで日向ぼっこでもしてろォ」

そう言ってふわりとミケの頭を撫でてから立ち上がり、厨に向かって行った。

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「あの、しのぶ様…」

蝶屋敷への帰路の途中アオイは居ても立っても居られなくなり、先を歩く胡蝶しのぶに呼びかけた。

「なんでしょう?」
「その、いいんでしょうか?」
「うーん…そうですねぇ…」

胡蝶しのぶは立ち止まり、顎に手をやって僅かに考える素振りを見せた。

「理由は説明しましたが、もちろん断ることはできました。それでも不死川さんはお受けした。問題ありません」
「いえっ、そうではなくて…!」
「アオイ」

慌てるアオイにそっと人差し指を立てて、胡蝶しのぶはまたも微笑んだ。

「大丈夫ですよ。きっと、とっても可愛がってくれます」
「…はぁ、」

拭いきれない不安はあったけれど、先ほども信じて間違っていなかった。ということは、やはり大丈夫だろう。いや、そうでないと困る。

アオイは祈るように手を握り、再び歩き出した胡蝶しのぶの後を追った。


その夜、そのままでは寒いだろうとミケを自身の布団に招いた不死川実弥が、翌朝、その身体を先の先まで朱に染めて、蝶屋敷の扉を蹴破ったのはまた別の話。





2021.02.22

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