天下無敵、あなたのとりこ。



3月3日、桃の節句。
女の子の健やかな成長を祝う日本の年中行事。


小さい頃、わたしの家は裕福ではなかった。父と母の3人暮らし。狭い長屋で肩を寄せ合って、決して楽ではないけれど、とっても幸せに暮らしていた。

桃の花が咲く季節がくると、家々は挙って雛人形を飾り、村の女の子達はそれを見て、嬉々とした表情を浮かべる。うちはもちろん、そんな大層な代物は持っていなかったけれど、代わりに母が作った吊るし飾りを飾っていた。そうして当日には父がどこからか桃の花を抱えて帰り、それを神棚に飾ってから3人で、母が作るちょっぴり甘いちらし寿司を食べるのだ。いつもより少し特別な1日。父は母の料理を「美味しい」と褒め、母はその言葉に顔を綻ばせて喜ぶ。わたしはそんな2人のやり取りに、素敵だなあと、子供ながらに憧れを抱いていた。

それから、近くの神社に飾られる、明治時代からあるという雛人形を母と一緒にお詣りに行くのも、この季節だけの特別な時間だった。立春過ぎの晴れた日にひっそりと飾られる、十五人飾り。わたしはほぼ粗毎日、足繁く通っては、その人形美に魅了されていた。

赤い毛氈の上、金屏風の前に端座するお内裏様とお雛様をはじめ、ぽうっと色付く雪洞に照らされた十五人の表情は僅かに異なっているが、皆微笑んでいるように見える。纏う着物には細かな刺繍が施されていて、触れなくてもわかるほど滑らかな、極上の一反。三人官女の間にはそれぞれおいしそうな和菓子が高杯に盛られていて、並べられた嫁入り道具には艶やかな漆が塗られている。どれをとっても繊細で美しい。わたしはそのひとつひとつを日が暮れるまで眺めていた。そうしてそんな熱心な娘を想う母は、決まって優しく言ったのだ。

「あなたがいつか嫁ぐそのときは、きっと立派な雛人形を持たせてあげるからね」

けれどそんな母の言葉は、願いは叶わなかった。わたしが嫁に行く齢よりもずっと前に、2人は死んだ。

今でこそあれが鬼の仕業であるとわかるが、当時9歳だったわたしは、現れた黒い隊服の青年らに助けられ、目が覚めると後に育てとなる師範の家にいた。

それから自然と選んだ鬼殺の道。稽古はとても厳しかったけれど、わたしの才を信じて木刀を振り下ろす師範の熱い想いは、もれなくわたしに受け継がれた。そうして最終選別を突破し、あの日助けてくれた青年らと揃いの隊服に身を包み、5年が経つ。一変した人生。鬼狩りの毎日はときに辛く悲しい。父と母のような優しい夫婦になることは叶いそうにはないけれど、それでもわたしは今の自分に誇りを持っている。気づけば階級は乙となっていた。

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先の任務で負傷して、蝶屋敷にお世話になってから今日で10日が経つ。ふと窓の外を眺めるともう直ぐにでも開花しそうな桃の花の蕾が膨らんでいた。今年もこの季節がきたのね、と、ふと懐かしい記憶が蘇る。あれからあの神社に行ったことはなかったけれど、あの素晴らしい雛人形のことは今でもそっくり覚えている。そうして、父が飾る桃の花も、母が作る吊るし飾りと、甘いちらし寿司のことも。

思わず、ふふ、と声が漏れていたようだ。薬を運んできてくれていたきよに見つかり声をかけられる。

「名前さん、何か楽しいことでもあったのですか?」
「ふふ、ちょっと思い出してたの。桃の節句だなあと思って」

そうして窓の方に目をやると、きよもつられて目線を上げる。

「本当だ!もうすぐ開花ですね」
「うん、満開になる頃には退院しちゃってるかもしれないから、見れないかもしれないなあ」
「そうですねえ…でも、元気になってくださるのは嬉しいです!…あ、そういえば!」

そう言ってぽん、と、手を叩いたきよがまさしく花が咲いたようににっこりと笑う。

「桃の節句の雛祭りに名前さんもきてください!」
「雛祭りをするの?」
「はい!蝶屋敷は皆んな女の子ばかりだからと、毎年3月3日は雛人形を飾ってみんなでご馳走を食べるんです!」
「ええっ、楽しそう!」
「しのぶ様もきっと喜んでくださいます!後でお話ししておきますね!」

蝶屋敷の主、胡蝶しのぶとは年頃が近いのでわりと親しくさせてもらっていた。もちろん相手は柱であるからして、気軽に話しかけることを最初こそ遠慮していたのだけれど、とある任務で一緒になってから、なんだかんだと仲良くなっていったのだ。

それから4日ほどして全快し、無事に退院。きよから話を聞いたアオイに「前日には鴉を飛ばします」と言われ、蝶屋敷をあとにした。

思わぬ嬉しい予定ができて、自邸に戻る足取りは軽かった。

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そうして前日にと言われていた鴉は3月1日の夕刻にやってきた。

文を開くと当日に出す料理の仕込みを手伝って欲しいとのことだった。きよがご馳走と言うだけあるので、どうするのだろうかと思っていたのだけれど、まさかアオイ1人が作っていたとは。招かれるだけでは申し訳ないと思っていたので、二つ返事で鴉を飛ばした。

翌朝、巳の刻に蝶屋敷を訪れると、出迎えてくれたのはなほだった。わたしの早い到着に驚いた彼女に案内されて厨に行くと、すでに割烹着に身を包み、材料を仕分けるアオイがいた。

「アオイちゃん、おはようございます」
「ああ、名前さん!おはようございます。お願いしてしまってすみません」
「とんでもない!実は料理はわりと好きなの。だから誘ってくれて嬉しいよ」
「本当ですか、では安心してお任せできますね」

割烹着を受け取り、身支度を整えると、アオイが説明を始める。

「明日は入院している隊士の方にもお祝い膳としてちらし寿司を振る舞います。それから、柱の方々もお見えになるので、それぞれの方の好みに合わせたものをいくつか用意しておきます」
「ええっ、柱もくるの?」
「はい。蝶屋敷主催の、お館様も公認の一行事として行っているので」
「そ、うなの…」

思っていたよりずっとすごい行事なんだと、ただ浮かれていた自分が恥ずかしくなる。と、同時に、柱が口にする料理を作るとなるとそれは責任重大だと身を引き締めた。

「こちらから、水柱様の鮭大根、岩柱様の炊き込みごはん、炎柱様のさつまいもの味噌汁、それから霞柱様のふろふき大根…」

順に説明されてわかるが、やはり、アオイが例年これをひとりで作っていたのかと思うとにわかには信じられない。聞くだけで、ものすごく大変である。

「それから、こちらが風柱様のおはぎです」
「え?」
「はい?」
「風柱様の、おはぎ?」
「そうです。風柱様の好物のおはぎです」

階級が上がると柱と共同任務をこなすこともあるのだが、その中でも風柱様は一際印象強かった。顔と身体に走る数多の傷跡と、鋭い視線。技を繰り出せばその場が根こそぎ剥がれるのではと思うほどの威力の、圧倒的な強さ。一見すると強面なその形相はとてもじゃないけどおはぎ好きとは結びつかない。

「名前さん餡を炊く経験は?」
「あっ、うん、あるよ」
「では、おはぎはお任せします。合間に野菜の下処理などをして頂けると助かります」

そうして「お願いします」と、ドンッと目の前に置かれた小豆は、いつか見た漆塗りのように艶やかだった。

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「ふうっ…でき、た…」

昼休憩を挟んだものの、ほぼ通しで厨に立ち続け、もうすぐ酉の刻になろうという頃、明日の仕上げ分を残して料理が完成した。

「終わりましたね。名前さん手際が良くて、とても助かりました。ありがとうございます」
「ううん、わたしも久しぶりにこんなに厨に立って、お料理できたから、楽しかったよ」

そう言って笑うものの、実際のところ小豆の茹で加減を見ることに、餡を炊くことに神経をすり減らして楽しいなんて殆どなかった。

和菓子は餡が命である。餡によって全てが決まると言っても過言ではない。そうして柱ともあろうお方が食べるおはぎはきっとそんじょそこらの店で適当に買えるような代物ではない。つまり、風柱様はかなり舌が肥えているはずなのだ。

料理は腕に自信があったが、それでも培ってきた自己流が万人に通じるとは思えない。途中何度も味見をせがむわたしにアオイは半分呆れていたが、美味しいと言ってくれたので、もうその言葉を信じるしかなかった。わたしの舌はと言うと、度重なる味見ですでに麻痺していたのでほとんど使い物にならなかった。

「では、明日お待ちしていますね」

お土産に、と、余ったさつまいも(炎柱邸から山のように送られたそう)で作られた焼き芋を片手に自邸に向く足は、明日の不安から少々重かった。

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「わっしょい!うまいうまい!」

炎柱様の大きな声が蝶屋敷中に響き、満開の桃の花が庭を彩る中、雛祭りは賑やかに開催された。部屋の奥には立派な十五人飾りが飾られている。久方ぶりに見るその佇まいに、胸はほうっと温かくなった。

音柱様は3人の奥様方と来られ、大きな酒樽と、用意させるのは悪いからと好物であるフグ刺しを自ら大量に持参されていた。恋柱様は自身の髪の色と同じ桜餅をこれまた大量に持参されていて、それらは次々に彼女の口の中に消えていく。その様子を向かいの席から蛇柱様が目を細めて見ていらっしゃったのは、彼女以外の皆が気づいていただろう。

そうして、その蛇柱様の隣には風柱様が座っていた。

騒がしい面々に辟易しているのか、口は固く結ばれ、些か不機嫌そうに見える。そんな彼の目の前に置かれているのは、紛れもなく、昨日わたしが作ったおはぎだ。

あまり視線を飛ばしていると見抜かれるかもしれないと恐れてまともに見れないが、気が気ではなかった。どうか、美味くはなくとも、不味くはありませんように。いや、そもそもそんなもの、あの風柱様に食べさせるわけにはいかないのだけれど。

様子を伺っていると、暫くして風柱様はゆっくりとした手つきでひとつ掴むと、大口を開けて、がぶり、と食いついた。そうして何度か咀嚼を繰り返し、ごぐり、と飲み込む。

手に持った残りも一口で食べ終えると、指先についた餡をぺろり、と、舐め取り湯呑みに手を伸ばした。

わたしは、視線が見つかることも忘れてその一挙一動をまじまじと見つめる。

すると、どうだろうか。湯呑みを置いた風柱様が、ほんの少しだけ口角を緩めたのだ。そうして、もう一つ、と、手を伸ばす。

「よかった…」

小さく呟いた声は隣に座っていたアオイには聞こえたようで「どうしましたか?」と聞かれたのだが、答えられずにいると、わたしの視線を追って何かに気づいたようで、「言ったでしょう」と返された。


楽しい宴はあっという間に時間が経ち、皆腹も膨れ、音柱様を中心に何人かは酒も回っているようだった。

しのぶが立ち上がりパンパン、と手を叩く。それがお開きの合図だった。

作った料理の皿は全て空になっていた。あの後も暫く見つめてしまっていたのだが、風柱様は本当におはぎがお好きなようで、次々と、恋柱様に負けないくらいの勢いで口の中に消えていった。完食いただいたということは、少なくともお口には合ったのだ。ここにきてやっと安堵の息を吐く。

すみに続いて厨に膳を下げていると、ふと誰かに呼び止められた。

「おい」
「はあい…っ、か、風柱様!」

振り返ると隊服の前をしっかりと肌蹴させた風柱様が立っていた。

「お前、さっきずっとこっち見てたよなァ?」
「えっ、あ、っとー…」

やはり見抜かれていたようだった。思わず口籠もり、視線を泳がせていると、一歩近くに寄ってこられる風柱様。怒られるのだろうか。いや、そうだろう。食事中の殿方をじろじろと見るのはどう考えたって不謹慎だ。

「何か用があったのか?」
「へっ?」

予想に反した問いかけに顔を上げると、思いの外背の高い風柱様を見上げる形になった。

「あ、いや、用と言いますか…」
「うん?」
「や、えっ、と…」

本当のことを言うべきか迷った。完食してくれたとは言え、別段美味しかったというわけではないかもしれない。

「なんだァ?」
「あ、っと、その!おはぎ!おはぎどうでしたか?」
「ハッ?」

思い切って尋ねると、風柱様はぽかんと口を開け数度瞬きをした。この距離になって初めて知ったことだが、睫毛がとても長い。

ぱちぱちと音がしそうな瞬きが繰り返されたあと、真顔に戻った風柱様が口を開いた。

「あー、去年食ったのとは違ったなァ」
「そ、そうですか…」
「餡が、違う気がした」
「…よく覚えてらっしゃるんですね」

やはり思った通りで風柱様はかなり舌が肥えているようだ。好物と言うならいくつものおはぎをこの1年で食しているはずなのに、去年食べたそれと簡単に比較ができるのは、やはり味覚が鋭いからに違いない。

「でも、なんつーか…すげェうまかった」
「!」

そう言って思い出したのか、風柱様を見れば、先刻同様口角を僅かに緩めている。

「あっ、はっ、ありがとうございます!」
「お、オォ?」

突然勢いよく頭を下げたわたしに驚いたのか、風柱様が一歩身を引いたけれど、離れた距離に反して、わたしは風柱様に近づけた気がした。

「あー…、まァ、また来年もよろしく頼むわァ」

そう言って踵を返し帰っていく風柱様の背中にもう一度頭を下げる。暫く見送ってから、思わず拳を握った。

「美味しかったって…やった!風柱様の舌を唸らせた!!」

あと一歩という階級までは登ったものの、その壁は厚く、剣技じゃ絶対に勝てるわけもない柱の1人が、わたしを認めてくれたのだ。正確には、わたしが作ったおはぎをだけれど。

この上ない喜びに飛び上がりそうになる気持ちを堪えて、厨に向おうと一歩。ふと、父と母の姿が脳裏に浮び、足を止める。美味しいものを美味しいと素直に褒める父。それに喜び顔を綻ばせる母。まるで今の自分と重なってしまい、思わず頬が熱くなる。

「いやいや、相手はあの風柱様だからね」

そう自分に言い聞かせて、両頬をぱしりと打ってから、今度こそ厨に向かった。




毛氈の上で微笑む雛人形が、
いつか彼女の元にも贈られますように。





2021.03.03

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