はじまりのひみつ



「不死川主任、内線5番にお電話です!」
「おう、りょーかい」

所謂お誕生日席。上長だけが許されるその場所で、スリーピースの上着は早々に放り投げ、逞しい腕と鍛えられた胸板を覗かせる不死川主任は、一つ頷き受話器を持つと、長い指先でボタンを押した。流れるような一連の動作を無意識に見つめていれば、新たな着信で我に返る。


この春、俗に言うヘッドハンティングで我が社にやってきた不死川主任を一目見た時、わたしはあっという間に恋に落ちた。今まで出会った人とはその見た目だって違うけれど、それ以上に纏っている空気や醸し出される色気なんてものに、平たく言えばビビビときたのだ。

しかしながら優秀であるからして我が社に異動してきた不死川主任と、しがないオフィスレディであるわたしとは天と地ほどの差があるわけで、さらには、自分で言って悲しくはなるけれど、特段美人でもなければこれといって魅力があるわけでもない。不死川主任の隣に並ぶのはきっと、タイトスカートとピンヒールが似合う、女が見てもカッコいいと思えるような、そんな女性だと思う。

けれど片想いならいくらだって好きにしたっていいだろうし、それこそ伝える気もなければ、同じ空間、さらには役得から近い位置でその姿をよく見ることができるのだからわたしは十分満足している。


「これ、頼んでいいかァ?」
「えっ?」

いつの間に電話を終えていた不死川主任は、わたしが受話器を置いたと同時にすぐ後ろに立っていた。

「あ、はい。かしこまりました!」
「ン、よろしくな」


そうして渡された資料の束を受け取るとき、その指先が微かに触れた。


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「好きに飲んで、好きに食べてくれ!皆いつもありがとう。今日は無礼講だ!」


その部長の一声で始まった小洒落た創作居酒屋での宴。提灯を模した橙色の明かりが照らす掘り炬燵の半個室は、正直、ビールと焼き鳥が似合いそうな、先の一声を放った部長本人が選んだと言うのだから驚きだ。

次々運ばれてくる料理とお酒に舌鼓を打って、無礼講の言葉をそのままにノリこそ若く席替えなんてものを交えながら1時間。漸く飲み終えたビールに変えた梅酒を片手に、ペースこそゆっくりではあるが、なにせ雰囲気が良すぎる空間に呑まれ程よく酔いがまわっていく。そうして何度目かの移動で意図せず選んだ最後尾の角席は、不死川主任の隣だった。

「お邪魔します」
「おう」

うすい丸座布団に腰を下ろしジョッキを持てば、不死川主任は片頬杖でグラスを上げる。こつんと低い位置に合わせれば、揃ってごくりと喉を鳴らした。

「ふぅ…」
「意外と飲むんだなァ?」
「いえ、ビールは苦手なんです。それにこれ、やっと2杯目で」
「にしちゃァ随分頬が赤ェぞ」
「あっ…その、顔に出るタイプでして」
「フッ、そうかィ」

不死川主任を交えてのはじめての飲み会で、見られていることこそないだろうか、どうか粗相のないようにとよくわからぬ緊張に硬くなっていた身体は、当の本人を目の前にして案外解れていくのだから不思議だ。

「不死川主任はよく呑まれるんですか?」
「あァ、そうだなァ。毎日ってわけでもねェけど、それなりにはな」
「そうなんですね。顔色が変わってらっしゃらないから、強いのかと思って」
「ンや、そんなこともねーなァ。仲間内だと早々に潰れてるらしい」
「ええっ!?意外ですね。なんていうか、会計まできちんとこなしてそうだから…」
「ハッ、どんなイメージだよ」
「…完璧?」
「ハァ?ンなこたねェわァ」

これがお酒の力なのか、もしや不死川主任のお陰なのかは判別できないが、テンポ良く続いていく会話。いつもの何倍も近い場所で、少し詰めれば触れ合いそうな距離で向き合う不死川主任は、普段は見ることがない表情で柔らかく笑う。

「っても、今日はンなふうに飲むわけには行かねェからなァ」
「このあと何か予定でも?」
「いや、そういうんじゃねェけど」
「大丈夫ですよ、何かあればわたしが介抱しますから!」
「ハッ?」

やっぱりお酒の力だったと口を突いた言葉に不死川主任はフリーズしてしまった。そうして長い睫毛がぱちんと跳ねて瞬きをひとつしたあとに、緩やかに破顔する。

「そりゃ頼もしいが、あんまり簡単に口に出すンじゃねェぞ」
「へっ?あ、はい」

それはもちろん不死川主任だから、なんならはじめて口にしたセリフなのだと言い訳したくなったけれど、どうも上手く言葉は出てこず、誤魔化すように一口、上澄をすくった。


それから他愛もない会話が続いて、ペースこそ維持して熱くなっていく頬は、紛れもなく不死川主任の所為だ。いつもより濃く香るフレグランスと、電球色に照らされてきらきらと揺れる頭髪に、すっかり奪われた心が騒つく。


そうして2時間も経てばもう腰を上げる人なんておらず、わたしも不死川主任の隣の席のまま、2杯目を飲み終えた。おそらくもう30分もすれば終焉を迎える宴がちょっぴり名残惜しい。

各々が輪を作り控えめに賑わう室内をぐるりと見回せば、無礼講を守り酒が進んだ面々は突っ伏していたりもするのだから、差し出がましくも本気で我が社の今後が心配になった。

「大丈夫かしら…」
「ありゃタクシー呼ぶの大変だなァ」

わたしの独り言に同じように顔をあて応えた不死川主任が振り向けば、やっぱり顔色ひとつ変わってはいないのだけれど、その口調は存外ゆったりとしている。

「不死川主任は平気ですか?」
「アァ。それに、頼もしいやつもいるからなァ」
「あっ…」

数時間前に宣言した言葉を蒸し返されて、かあっと別の熱が上がる頬を隠すように俯けば、視線の先、座布団の上に置かれていた不死川主任の片手が、わたしのそれに僅かに触れた。昼間もさわった微かな温度が蘇ってきて動けずにいると、そっと絡んだ小指に脈拍は急上昇する。

「っ…」
「なァ…」

もちろん起きている面々だっているというのに。公共の場には似つかわしくない声色がすぐ耳元で聞こえ、そっと顔を上げれば、屈折から成る影に縁取られた深紫に捕らえられてしまった。

「あ、の…主任…?」
「うん?」
「ち、近いです…これじゃ、まるで…」


キスしてしまいそう。と、口には出せぬその言葉を飲み込むと同時に、ほんの小さく聞こえたリップ音は紛れもなくわたしの唇から鳴った。そうして奏でた相方は、もちろん不死川主任のもの。


「っ、!」

驚きはっと息を飲めば、いつのまにか甲から全て絡まっていた五指と共に詰め寄られて、いよいよゼロの距離になる。

「先に誘ったのは、お前だからなァ」

あつい吐息と共に吹き込まれた声色は、とっくに痺れた脳に響いて、ばくばくと煩い心音を加速させていく。

「し、主任…」
「ん?」
「…っ、やっぱり、介抱しますか…?」
「フッ、アァ」

ぎゅうっと握った拳は不死川主任の大きな掌にすっかり包まれていて、しっとりと感じる体温と、合わせた視線は離せない。




そうして視界の端に捉えた同僚の姿もそこそこに、もう一度ひっそり、無礼講をはたらいた。





2021.05.23

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