日付変更線



半年前、ついに始めた深夜のコンビニアルバイト。通常ならば学生を、さらには女であるわたしを採用することはなかったそうなのだけれど、切羽詰まったわたしに同情して、そしてその日偶々一緒に面接を受けていた彼とシフトを重ねることを条件に、店長は首を縦に振った。

そうして本日も彼、もとい不死川くんと共に、客足僅かな店内を見守る。


「やっぱりこの時間って、あんまり人が来ないよね」
「そうだなァ」
「なんか、2人もいていいのかなって思っちゃう…」
「だとしたら帰ンのは苗字さんだな」
「えっ、それは困るよ!時給いいからしてるのに!」
「女1人で危ねェから、こうやって俺と組まされてんだろォ」

もちろんそれは分かっているし、そもそもの条件として今こうしてここに立つことができているので、不死川くんには、容認してくれた店長にも、感謝しかない。けれどやはり、人波消えた店内に2人も必要ないのでは、と差し出がましくも店の売り上げを案じている。

「まァ店長が采配してんだから、問題ねェんだろう」

わたしの心を読んだのか、不死川くんはそう言って僅かに乱れた商品整理に向かった。


初対面での不死川くんは自己紹介されるまで年上だと推測していたのだけれど、他大学ではあるが当時同じ2回生の、同い年だった。落ち着いた声色と、整った面立ち。恵まれた体格はそれだけでも目立つというのに、その顔はもちろん、性格だって所謂イケメンの不死川くんは、こうして決まった深夜の2人体制を、店長がその提案をした際にだって反論の一つもせずすんなりと受け入れてくれたのだ。

この半年間、案ずると言いつつ持て余した時間で知った不死川くんのこと。大家族の長男で、将来は教師を目指していること。アルバイトは学業の傍らいくつかを掛け持ちしていて、それらは学費を補うために始めたそうだ。それから、好きな食べ物は意外にもおはぎ。カブトムシも好きだと言っていたので、来る夏には、優しい笑みを浮かべながら教えてくれた弟妹と共に採りに行くのだろうか。

わたしはどちらかというと接客はともかく個人間では人見知りのタイプなのだけれど、何故だが初対面の時から不死川くんとはすんなり話すことができた。もちろんそれは、おおよそが彼のおかげである。彼が気遣いに長けていることはこの半年どころか、最初にシフトを重ねた日には既にわかってしまったし、俗に言うこわい沈黙も、不死川くんとの間ではむしろ心地よいと感じるほど、彼の纏う空気感は柔らかかった。

しかし反面、あれはアルバイトを始めて1ヶ月ほど経った頃。突如現れた深夜特有の曲者に視線だけで牽制を図り撃退した不死川くんはたしかに男性で、そのギャップを初めて見たときは心なしか脈が上がった。

そして同時に不謹慎ながら、わたしが彼を《気になる人》に振り分けるには充分な出来事だった。


斯くして、週に2日、共に過ごす深夜のコンビニアルバイトは、始めた動機を忘れるほど、わたしの密かな楽しみになっている。もちろん、微かに胸を擽るその気持ちはすっかり隠しているけれど。


眩い蛍光灯が照らす店内は、先程立ち読みを終えて出て行った青年を最後にお客は誰もいなくなった。商品整理を終えた不死川くんはレジに戻ってくると、すぐ後ろにあるパイプ椅子に腰掛ける。

「…サボってんじゃねェからな?」
「な、何も言ってないよ!」

そう言えばふっと息を吐いて、整えられた銀髪を揺らしスニーカーの靴紐を結び直した不死川くんは、備え付けの洗い場できっちりと手を洗い、消毒もしてから再びわたしの隣に立った。背の高い不死川くんと並べば、わたしの小ささは顕著であるからして、その差は些か理想的でもあるけれど、同時にもどかしくもある。

「にしても暇だなァ」
「ほんとだねえ」

正しくサボりたくなるほど暇ではあるのだけれど、わたしは内心この暇を喜んでいたりするからしてやっぱり案ずるなんてのは建前であったと、心の中で店長に謝罪した。

「もう4月だなァ」
「そうだね。3回生だよー!あっという間」
「たしかに」

昨日無事に進級でき、いよいよ就活なんてものが迫ってくる今年。もっともわたしは未だに将来の夢なんてものがぼんやりとさえも決まっていないので、もっと自覚を持った方がいいだろう。

「不死川くんは教師になるんだよね?」
「アァ」
「すごいなあ…」
「うん?」
「わたしはまだ、これといってやりたいこともはっきりしてないし…向いてると言えるものもこれといってなくって、」
「別にいいんじゃねェか?」
「えっ?」
「やりたいことが必ずしも仕事になるとは限らねェし、向いてるもんがねェっつーのは思い込みで、単にまだ見つかってねェだけだァ。焦って決めたところで後悔するよりかマシだろォ」
「そっか…そうだね…っ!」

気落ちするわたしを励ます不死川くんはまるでもう既に教師であるかのようだからして、きっとそれは正しく彼にとっての天職なのだろう。

わたしが興味あることといえば、昔から洋画や海外文化。憧れからはじまったそれらは専攻を外来語にし、日常会話であれば一応それなりに熟るほどにしたので、ある種趣味であり、もしかするとわたしのやりたいことといっても良いかもしれない。無論、だとしてもそれをどう活かせばいいのかまではまだわからないのだけれど。

「ねえ不死川くん」
「うん?」
「日本じゃあ今日はもう4月2日だけど、世界にはまだ昨日のところがあるんだよね」
「アァ、日付変更線ってやつだなァ」
「うん。不思議だよね。まるでタイムスリップするみたい」

地球が丸いから生まれるそれを、その理由はわかれどわたしはずっと不思議に思っている。

「実は昔から世界とか、外国の文化に憧れがあってね」
「おう」
「あっ、でも海外旅行は、まだ行ったことないんだけど。いつか世界情勢も落ち着いたら絶対行きたいなって思ってるんだあ」
「俺もねェなぁ。英語は喋れねェけど、たしかに行ってみたいなとは思う」
「そうなんだ。不死川くんは背が高いから、外国人に混ざっても見劣りしないだろうし、それに、迷子にもならなさそう」
「ハァ?」
「だってわたしはきっと埋もれちゃうよ…」
「なんだそりゃァ」

わたしの所感に不死川くんは、天井を仰いでクツクツと喉を鳴らしている。

「ったく、どういう感想だよォ」
「だってそう思ったんだもの。ねえ、やっぱり背が高いと、いいことある?」
「んー?いや別にねェんじゃね?」
「そうかなあ…でも、不死川くんはモテるよね」
「ア?別にンなことねェよ」
「うそだあ!絶対モテるよ、だってかっこいいもん!」
「は?」

思わず口を突いた本音に不死川くんは綺麗な唇をまあるく開いて固まったしまった。

「あっ、い、今のは…」
「………」
「冗談…というか、えっと…その…」

舌もまるごと滑り落ちてしまったように途端にしどろもどろになるわたしを不死川くんは些か高い位置から見下ろしている。その視線に色々な意味で耐えきれなくなったわたしは下手くそな笑顔で見上げ返しながら制服の紐を弄んだ。

「冗談…?」
「っ!いやっ、あ…」
「なんだァ?」
「っ、えっと、その…そう!エイプリルフール!」
「ハァ?」
「ほ、ほら、日本はもう終わったけど、世界のどこかはまだ、ね!4月1日だから…っ!」
「ヘェ…」

言い訳にしてはいい思いつきだと思ったが、冗談というのはよくなかったか。けれど、どちらにしたって、こんな形で伝えることは元より想定外なのだ。もっと言えば伝える気もなかったし、それに、そもそも不死川くんは《気になる人》であるだけだ。

「苗字さんよォ…」
「はっ、はい!」

怒ってしまったのか、不死川くんの声色は先ほどよりも少しだけ低い。その声に、紐と戯れていた指先はぴんと揃い、体側に沿わせて背筋が伸びる。

「…色々と言いてェことはあるンだが、」
「な、なんでしょうか…」

どちらにしたってわたしが自ら墓穴を掘ったからして、不死川くんは何も悪くない。こうなればなんだって聞き入れるし、謝って済むのならいくらだって床を擦る。そうしてできれば、嫌われたくはない。

「…悪ィがその言い訳は通じねェなァ」

そう言って不死川くんはゆっくりと首を回し、店内奥に掛かる針時計を指さした。わたしもつられて視線を向ける。

「日本と1番開いた時差はハワイのおおよそ19時間。今は23時だからして、4時間前には世界中が4月2日に変わってる」
「あ…」
「つまりエイプリルフールってのは、もうとっくに終わってンだわァ」
「っ…」

そうして感じる不死川くんの気配に向き直ると、先ほどまでまあるかったそれは綺麗に弧を描いていた。

「本音、ってことでいいよなァ?」
「あっ、えっと…」
「うん?」
「…っ、は、はい…不死川くんは、かっこいいです…」
「ハッ、そうかィ」

そう言って、隙間からちらと犬歯が覗かせた不死川くんに、わたしはもう何も言えなくなってしまう。

「それで、」
「はい…」
「いつかの海外旅行ってのは、ひとりで行くンかァ?」
「えっ…?」

突如戻った数分前の話題に僅か首を傾げると、不死川くんは腰を折ってレジカウンターに両肘を乗せると、長い睫毛を揺らして目を細めた。

「え、あ、うん。まだ決まってないけど、多分…」
「そうか」
「そ、それが、どうかしたの…?」
「いや、」
「?」
「小さくて可愛い苗字さんが迷子にならねェように、と思ってなァ」
「なっ、っ!」

今度はわたしが情け無く唇をまあるく開く番だった。片頬杖をついて緩く片目を瞑る不死川くんの器用なその仕草と、無くなった身長差に心臓は早鐘を打つ。

「ま、俺のは紛れもなく本音なンで」

開いた双眼は真っ直ぐだった。不死川くんは姿勢を正すと再び、依然来客のない店内の商品整理へと向かっていく。そしてお弁当コーナーの前で「そうだ」とこちらを振り返った。

「通訳は、任せたからなァ」

言い残して踵を返すと、あっという間に最奥のドリンクコーナーの影に消えた不死川くん。そうして1人残された、たった今将来の夢が決まったわたしは見えなくなったその背中に呟く。


「不死川くん、乱れてるのは商品ではなく、わたしの心です」





2021.04.02





暫くして店内を一周して戻ってきた不死川くんが「ちなみにエイプリルフールで嘘ついていいのは午前だけだからなァ」と言うものだから、わたしはとうとう耐えきれなくなってレジカウンターの下にしゃがみ込んだ。

/



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -