幾千の星に願いを込めて



すっかり日が延びた大禍時。愛刀を腰に、任された区域へと向かう。

「ふう、それにしても暑い…」

隊服の隙間を開けて取り込む湿気をはらんだ夕風は、じわりと滲んだ額の汗に伸びかけの前髪を貼り付けた。


5年という年月の間、ほとんどの夜をこうして警備にあたっているけれど、決して慣れたわけではない。近頃耳に挟んだ鬼の出没情報に、神経を研ぎ澄ませながら歩くこの道だって、もう数えきれないほど通ってきた。それでも心の奥底にある言いようのない不安から左手の小指が掠める柄頭に、どうか引き抜くことなく朝日を迎えられますようにと祈る。


「たしか、今日はもうひとり隊士の方がいらっしゃるって言っていたわね…」
「ソノトオリ!ソノトオリィ!」

上空を旋回する愛鴉は、わたしの小さな呟きに返答をしたあと、夕闇の中に紛れていった。


ひとりよりふたりが心強いのはもちろんだ。鬼殺隊に男も女もなければ、わたしの階級になればそもそもそんなことを言ってはいられないけれど、やっぱり誰かを頼りにしたいという思いは、きっと人間の本能からだということにしておこう。


「あ、あそこにいる方かしら…?」

脇に逸れれば木々が生い茂る大門の手前、登り始めた細い月を背負って立つ背の高い影に、足取りを早める。

「すみません、お待たせしま…っ、」

最後まで言い切る前に、思いもよらぬ人物であることに面食らう。

「…か、風柱様っ」
「おう…ン?アァ、お前か」
「風柱様がこちらの警備に?」
「アァ、近頃厄介なのがいるって聞いたンでな」
「そうでしたか…」

前言撤回。頼れる人がいいなんて言ったけれど、柱となれば話が違う。もちろん頼りになるだなんてそんな次元を超えた頼もしさしかないことは、これまで共闘してきた中で知りすぎているし、柱の中でも風柱様のその剣技はずば抜けているとわたしは思っている。けれど今日はあくまで警備なのだ。柱が出るまでとなればそれほどの鬼だということでもあるけれど、それ以上に、これからの数刻を2人で、何もないことを祈って歩くなんて。もちろん拒む理由はないけれど、どうにも進まぬ気の理由は、先日の雛祭りの出来事の所為。

「ン。じゃ、行くか、苗字」
「はい。っ、て、え?名前…」
「うん?」
「っ、いえ、なんでもありません」

自己紹介したことあったかしらと疑問を残して、ざり、と地を擦る足袋の音とともに林の方へと歩みを進める風柱様の後を追った。


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「へェ、それじゃあのおはぎは一から苗字が作ったのか」
「そうなんです。あの…お口に合いましたか?」
「あァ、うまかった」

信じられないことに世間話を、さらにはあの雛祭りのおはぎのことまで話すことになるなんて。これでは夜間警備とは名ばかりのただの夜間散歩ではないかと、顔知らぬお館様に心中で詫びながら半歩先の風柱様と共に雑木を歩く。一般隊士のわたしとこんなふうに普通に話をしてくださる風柱様は、その鋭い面構に反した柔らかな話し口をされるものだから、おはぎでさえ驚いたというのにまた新たな一面を知ってしまったようで少しだけ気恥ずかしい。もちろん全くの気を抜いているわけではない。そのことはお互いの気配で伝わっていて、それだけが唯一の救いだった。だって、ともすればこれは、逢瀬ともとれそうなほど穏やかな時間であるから。


ぱきぱきと小気味良く鳴る小枝に、時折吹く生温い風。その鳴き声こそ耳に触るが、出会さない虫の声を聞きながら歩くこと数刻。木々が立ち込めるその間を縫って差し込む僅かな明かりが行く道を照らしている。


「あっ、」
「なんだァ?」
「あそこ、ちょっとひらけていますね」

三丈ほど先の、ぽっかりと開いた更地には微光ながら月明かりが差し込んでいるのが見える。

「ンじゃ、ちょいと休憩だな」
「はい」

いくら夜目が効くとはいえ、やはり人間だ。薄暗い森の中で疲労したのは足ばかりではない。もっとも、こんな短時間で疲れるなど、鍛錬不足が言うことではあるけれど。


自然にできたものであろう半径が大凡一間ほどの空間には具合良さそうな岩がいくつか転がっていて、どちらからともなく腰を下ろした。


「ふう…、っ」

思わず漏れた息音に、まずかったかと盗み見れば、風柱様は愛刀を手にその鞘を眺めている。

「…なァ」
「なんでしょうか?」
「お前はなんで、鬼狩りになったんだ?」

視線こそそのままで、独り言のように呟かれた言葉は、静かな森にひっそりと響いた。

「…そうですね…、鬼殺隊ではよくある理由からです。両親を鬼に殺されて、救助にきた鬼殺隊員に保護されました。そうして目が覚めた時は、育ての家に…」
「………」
「9つの時でした。当時はあれが鬼だとも分からなくて。でも師範の稽古を受けるうちに、気づけばここがわたしの居場所になっていました。今は、鬼殺隊であることを誇りに思います」
「それで乙までなったか、」
「はい…っ、て、ご存知だったんですか?」
「同行する隊士のことは把握してある」
「っ、ですよ、ね…」

だから名前も知っていたのかと、当たり前のことに今更気付き納得する。それでも、多くの隊士のうちの1人でしかないわたしを知ってくれていることは、素直に嬉しかった。と同時に、風柱様はとても忠実な方なんだとも思う。


それ以上はお互い何も言うことはなくて、暫くの沈黙。妙にしんみりとしてしまった空気感からわたしは不意に天を仰いだ。


「わ、あ…」

ひらけた夜空に見えたのは細月と、満点の星。

「そういば、今日って確か…」

指を折って数えれば、今日が七夕であることは間違いなかった。

「風柱様、見てください!天の川ですよ!」
「うん?…アァ、ほんとだなァ」

音も無く刀を腰帯に戻した風柱様は、わたしの呼びかけに顔をあげた。

「この様子なら、あの川を渡って2人は会えたでしょうか」
「だなァ」
「こんなに綺麗に見えるのは久方ぶりのように思います」
「アァ、がきンとき以来かもしれねェ」
「わたしも、そんな気がします」


暫く2人で眺めていれば、ぶわりと強く風が吹いた。吹き抜けを通ってあたりの木々を揺らし、葉がさわさわと擦れるのを聞いたところで、周囲は竹林であったことを知る。なんとも出来すぎた状況に、ふふ、と口角が緩むのがわかった。


「お前も…」
「はい」
「苗字も、会いてェやつがいるか?」

やはり視線はそのままで、先ほどよりもずっと穏やかな声色で風柱様は口を開いた。

「そうですね…叶わずとも、やっぱりもう一度両親に会いたいです」
「そうか」
「風柱様も、お会いになりたい方がいらっしゃいますか…?」
「…俺?俺は…」


「…アァ…俺も、家族に会いてェなァ…」


まるで願うように、星空を眺めたままそう呟いた風柱様の透けるような頭髪に、星の光が反射して煌めく。


鬼殺隊士はわたしと同じような由来の元なる者が多い。みんなそれぞれ大切な人を目の前で無くして、その悲しみと苦しみのうえに己を鼓舞し、日々鍛錬に挑んでいる。そうして振るってきた刃の数こそ大切な人を想う気持ちそのもので、断ち切れぬ連鎖を断ち切るべく、鬼殺隊士は今日も悪鬼滅殺、日輪刀を握るのだ。

そうして決して癒えぬ悲しみの大きさこそが、己を強くさせる原動力になる。きっと風柱様だって、柱と呼ばれる凄まじい強さを誇る彼らのうちのひとりであっても、その過去は酷く残酷なものなのかもしれない。


「会えますよ」
「うん?」
「きっと、会えます。それに…もし会えなくても、みんな見守ってくれていますから」


古来から、人がその人生に幕を下ろすと星になると言い伝えられている。そしてわたしはそれを信じている。今までだって戦いの合間、ふと見上げた夜空に何度救われたことか。彼らはいつもそこにあって、必ず煌々と輝いている。不利な状況下に立たされる闇夜の決闘で、変わらずに味方してくれるのは紛れもなくこの星々なのだ。


「風柱様…」
「ん?」
「わたし、もっと頑張ります。もっと鍛錬して、もっと強くなって、下弦だろうが上弦だろうが、鬼舞辻にだって負けません。もう誰も、悲しませない…」
「アァ、そうだな」

上げていた視線を下ろして、こちらを向いた風柱様と目が合った。二尺ほど先の吸い込まれそうな深紫の瞳は、穏やかに揺れている。

「だから…その…もしよろしければ、今度お手合わせ願えませんか?」
「ハッ、なんだそりゃァ?」
「っ…、いけませんか…?」
「いや、構わねェが。根ェ上げンじゃねェぞ?」
「はい、もちろんです!よろしくお願いします!」
「フッ、おう」


ちょっぴり切なくなった夏の夜空に、両親の顔を思い浮かべて誓う。わたしは、わたしの人生の全てでこの悲しみの連鎖を止めてみせる。そうしていつかもう一度、身軽なままで、この星合いの空を見上げるのだ。


「ンじゃ、そろそろ行くか」
「はい!」




竹藪を割って歩いていく風柱様の真白な羽織にそっと、五色の願いを込めた。





2021.07.07





後日、約束通り風柱邸に出向けば朗らかに笑って迎えてくれた風柱様の稽古は宣言通りちっとも甘くはなかったけれど、終わりに縁側でわたしが持参したおはぎを頬張る風柱様と過ごす時間は穏やかで、頗るあまかった。

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