▼ 28、隣人の邪魔をするのは俺じゃない
仕事から帰った、帰ったのにまた警備に駆り出された。そしてまた夜に帰宅。秋とはいえどもまだまだ暑いし、夜でもずっと熱気のこもっていた部屋は暑い。家に帰ってすぐに窓を開けて、少しだけでも涼しいと感じられる外の空気を室内に入れた
「先輩、今日は一緒に寝ていいですか?」
「うん。いいよ」
「意味わかります?」
「……一応」
ここで知らないふりして扉を閉められない。俺の耳が良すぎるのか、しっかりと聞こえてしまった言葉に邪魔しない手はねぇ
乗り込むか。電話するか、何か餌でも与えるか。冷蔵庫になんかあったか?いや、ねぇな
あいつか、あの元カレに連絡したら飛んでくるか?あいつバカですぐ暴力振るうけど根は悪い奴じゃなさそうだし、ちょっと乗り込もうぜって言ったら来そうだ。ま、だりぃし呼ばないけど。
そういや冷蔵庫に…
俺はおもむろにビールを取り出してベランダへ出た。まだ開けていないビールの缶を片手にタバコに火をつけた
このビールどうすんだよ。やったはいいが、これを投げ入れるあほなことはしたくない。しようとも思って無い、そもそもでこれを使って何をしようとしていたのかさえわからない
そしてそれは唐突だった。俺の目の前を過ぎ去った黒い影、下をのぞきみるとアパートと植え込みの間に人が倒れていた。飛び散ってんな。それからすぐに上を見ると、それを見下ろす誰かが見えた
「みょうじ!!みょうじ!乳繰り合ってんじゃねぇ!警察と救急車呼べ!人が落ちたって言って、それと下は見るなよ!!あとは廊下にいて周りの様子を見てろ!」
「なんっ…え、はい!!」
俺の怒鳴るような声は聞こえたらしく慌ただしく返事を返してきた。タバコの火を消してから廊下に出て階段を駆け上がる。通行人だろうか、下のほうから叫び声が聞こえた。自分のちょうど二個上の階を見に行く。扉は開けっ放しで、中に入ったカーテンが風で動いているがベランダのところまでは届いていない。そこから下を覗き込んでから部屋の中を見た。テーブルに置いてあるグラスはひとつ、洗い籠の中にも何も無し、誰かが土足であがった形跡も無し。遠くからパトカーの音が聞こえたのでいったん下におりた
自分の階に行くと、扉の前で不安そうにしているみょうじがいて寄って行った
「彼氏は?」
「上から見張ってる。誰も近づかないように、とか犯人がいるかもしれないし」
胸の前で両手を合わせているなまえは震えているし、廊下の白い電気に照らされてよく見える顔色は悪い
「見たろ」
俺の問いかけにみょうじは何度も頷いた。見るなってわざわざ忠告したのに、わざわざ無視したわけだ。好奇心に負けたっていうならそれまでだけど、人がお前のために…いや、見たものは仕方ないか
「もう家に入っていい、俺が下に行ったのを確認したら猫谷も入っていい事を伝えろ。あとは、猫谷になんとかしてもらえ」
返事をしない、と思ったが緩く首を頷かせて室内に入って行ったので自分は階段を使って下に降りた。上を見上げて猫谷に合図を送ってから目の前にしゃがんだ。うつ伏せで、少しだけピクピクと痙攣しているように動いているが、脈をはかっても脈は無ければ…この状況で生きているほうがおかしいか。自分が上に行ってここまでくるのに5分もかかっていない、道端から覗いていた人たちは数人叫び声をあげながら離れて行った。そのうち警察と救急車が到着したが、新人だったのか少し離れた低木のところで戻していた。あそこだけすくすく成長していきそうだな。まあ、色々と仕方ないかとは思うけどな、飛び散ってるし
警察に人影がいたことや、その後の言動、室内の様子等を全部報告したのち、遺体が無いところでここに住んでいる住民とそこに来ていた人たちも全員集められた。
「一階に住んでる方たちは除くにしても…」
「いや、全員が容疑者だ。一階の人間も、上階に親しい人間がいれば可能だしな」
「確かに。では一人一人事情聴取させていただきます」
「待って。どうしてその人の言う事きくの?」
「こっち側の人間だから」
自分が階段から上った時に、エレベーターは動いていなかった。階段はエレベーターの隣にあって、何かあればすぐにわかる。もう一つはその反対側にある非常階段。非常階段は扉の向こうの外に位置されている少々古く見える階段、使ったとしたらそっちか、それか何かあった階のどこかに住んでるやつ、そうじゃないとしたら誰かが匿った。非常階段はカンカンという音が通路にかなり響く、たとえ扉が開いていたとしても同じこと。その音は俺もみょうじも聞いてない、ってことは上の階にそのままいた可能性が高い
その事情聴取の時、一階の端からその時何をしていたのか、というのを聞いていた。その中でリアルタイムで通話をしていて、通話相手と連絡が取れた人は一応部屋に戻るのを許可、それから猫谷とみょうじも当然ながら外れる。ただ帰す前にここの住民の事で誰と誰が親しい、とかそういう情報を聞いておいた。俺たちの階のやつは俺とみょうじ、それから萩原たちの事も知っているのでそれも把握しているらしい
猫谷とみょうじは部屋に戻っていいと言っているのに、ずっと人がいるところにいる。猫谷が戻ろうと促しても首を振っていたのは見ていた。容疑者を絞っている間も、不安そうにその場から離れようとしなくて、ようやく犯人が捕まって他の容疑者も全員帰宅許可が出たときにやっとみんなと一緒に歩き出した。猫谷はみょうじに付き添うようにしながら一緒に部屋までの道のりを歩く
「大丈夫ですか?」
「うん、だいぶ…ごめんね猫くん」
「いえ、俺もだいぶショッキングなもの見ましたし。先輩送ったら帰りますね」
「え」
「え?」
「あ、ううん。かなり遅いけど平気?」
「タクシー呼ぶので大丈夫ですよ」
いや、嘘だろ猫谷。置いていくのか、あきらかに怖がってんのに?普通は泊まっていくだろ夜遅いし!なんて突っ込みをしたいけど出来ない。さすがにこれはこいつらの問題だし、猫谷も何かしら用事があるのかもしれないし、猫谷がそう判断したんなら仕方ねぇだろ…。自分はさっきまで邪魔しようかと考えていたのに結局今はその逆だ。どうしろっつーんだよ…関わらないほうがいい。なんとなくそう判断してさっさと部屋の中に入った。電気もつけっぱなし、鍵も開けっ放し、仕方ないけど事件にかこつけて強盗に入られても文句言えないな。いや、言うけど
扉をしめて靴を脱いでいたら外から「じゃあおやすみ」という声が聞こえた。本気か猫谷
気になって、ちょっとだけ自分の玄関の扉に耳をつけたら足音と隣の鍵が閉まる音が聞こえた。本気で帰った…なんて考えつつ、もうさすがに寝る時間はとうに過ぎている事もあいまって、ベッドに乗って電気を消した。自分の部屋の電気を消していると、外の明かりはカーテンを閉めない限り見えている。隣は静かだけど電気はついたままなのは、見えているベランダの下のほうに光が反射している
目を瞑ってすぐのこと、ベランダのほうから物音が聞こえた。当然ながら自分の部屋のじゃない、どちらかの隣から網戸を開ける音と、スリッパの擦れる音が聞こえた。
それなのに急にガタンッと音が聞こえて目を開けた。みょうじかどうか、音の向きからみょうじなんだろうが、確信があるわけではないので自分も外に出てからみょうじ側の扉を軽くたたいた
「松田くん?」
「うん。どうした、転んだ?」
「いや…うん、大丈夫、起こしてごめん」
甘え下手なのはわかるけど、これもこれで苛立つな。入ろうとしたような感じがしたので、もう一度軽くたたいた
「こっち来たら。眠れないんだろ」
「え」
「開けとくから」
それだけ言って部屋の中に入った。そのまま玄関に行って鍵を開けておく。少ししてからこんこん、というノック音がして、返事をしたらみょうじが入ってきた。
「お邪魔します」
「どうぞ。今日はここで寝ろ」
「んっ!?」
「いいから。だいたい猫谷にちゃんと言えばよかったろ、怖いからいてって」
玄関からリビングのほうまで歩いていきながら話して、リビングについてベッドに座ってから猫谷の事を言った。そもそもで猫谷も猫谷だけどな。大丈夫って言われても強引にでも一緒にいてやれよ。っつーか大丈夫を信じるな、女の大丈夫はたいてい大丈夫じゃねぇよ!
なにを迷っているのか知らないが、とりあえず座ったみょうじが困った顔をしていた。黙って、何を言おうか考えている様子で
「ああいう状況で彼女に頼られて、いい気持ちにならない彼氏ならお前から捨てろ。そりゃ仕事休んで一緒にいろとか、送り迎えしろとか度が過ぎるのはどうかと思うけど、さっきの状況なら別に甘えたっていいだろ」
俯いたままで少しだけど頷かれると、なんとなく説教をしているような気分になる。
みょうじが何も言わないからそのまま続けた
「どうすんの?」
「猫くんに、電話してみる…」
「うん」
携帯を取り出したみょうじ、申し訳ないけど呼び出し音が聞こえる。何かしているのかわからないが、少しのコール音が鳴った後に「おかけになった電話は」のよく聞く音が流れた。電話を切ったみょうじが少しだけ黙った
「もう少し待って返事無かったらここにいろ」
「ありがとう、ごめんなさい」
何か食べるか、と思ったがあの状況を見たなら食欲がわくわけもない、それなら飲み物くらいならいけるだろうかとビールを出してみたら受け取って封を開けていた。30分経ってもメールも電話も無いから今日は多分不都合なんだろうってことで、泊まるように伝えた
「ベッド平気なら使っていいし、布団持ってきてもいいし」
クッションとか枕があればそのへんで眠れる、というので渡したらそのへんに横になった。もしかしたら自分の部屋に一人で行くのも憚るのかもしれないし、何も突っ込まない。おやすみの挨拶をして電気を消した後、確実に起きている感じはあった。動きはしないが、呼吸の感じからして。
「はあ…。むかーしむかし、あるところに、王子様とお姫様が住んでいました。王子様は馬に乗って山奥へ、お姫様は妖精たちに連れられてお花畑へいきました。すると王子様があるものを見つけ、そのあるものを…」
俺が勝手に一人で話し出したことだったが、途中で疲れたし王子様とお姫様じゃなかったと気づいた時には適当な物語を作っていた。どうしようもないな、と思ってあきらめて口を閉じて何ごともなく寝ようとしたのに、暗闇の中影が動いた
「ちょ、ねぇ、続きは!?」
わー、うるせぇ。
返事もせずにいたらゆさゆさと揺らされた
「あるものって何!?王子様とお姫様自ら何してるの!?ちょっと!?」
「うるせぇ…寝ろ」
すぐそこにいるし、うるさいしでみょうじの腕を掴んで引っ張った。そのままこっちに倒れるようになったので、足でみょうじの足を引き寄せてそのまま足と腕でみょうじをホールドする
「ちょっ…ちょっと!?」
「うるさい、動くな、眠れねぇ」
「ふぐっ…」
変な声がしたと思ったら動くこともしゃべる事もしなくなった。それからしばらくして寝息が聞こえてきたので足と腕を離して背中を向けた。ベッドから出る気にはならないけど、そのまま抱きしめて寝る気にはならない。一瞬妹みたいな感じで見てるのかもって思った節はあったけど、そうでもねぇな。まあでも今んとこ放っておけないってくらいで、どうこうしようっていう気も…無かったらキスはしないか。一応俺と萩原がぎりぎり眠れるくらいのスペースがあるベッド、寝返り打つには無理があるだろうけどみょうじとなら問題無い。背中側が温かくて変な感じ。んで、何も無ければそっちむいて眠れるのにわざわざ背中を向けた事が答えだ
っても、よくわかんねぇけど
prev / next