Secret in the moonlight | ナノ


▽ 3


カタカタとキーボードを叩く音が響く。チラリと時計に視線をやると定時時刻を10分過ぎたところだった。今日は特に緊急の仕事が入ることもなく、優華は一日デスクワークで仕事を終えた。いいペースで仕事が終えられたことに口元をゆるめながらパソコンの電源を落とすと、思いっきり背伸びをして凝り固まった体をほぐす。

「終わったのか?」

背後から声をかけられて振り返ると、そこにはパートナーの疾風が立っていた。急に声をかけられたことに驚いて一瞬体が跳ねそうになったのをなんとか押さえ込む。

「相変わらず気配を消して立つよね・・・。驚くからやめてって言ってるのに。」
「気にするな。これも修行の一つだ。」
「修行って・・・何の修行なの。私は気配を消した相手を探り当てるような仕事に就くことなんてそうそうないと思うんだけど。」

優華は思わず呆れ顔で返す。だが、疾風はそんな優華の反応を気にするでもない。

「で、終わったのか?」
「うん、こっちのお仕事は無事終了。疾風の方は?」
「こちらも特に報告するような異常もなかった。」
「そっか、よかった。お疲れ様。」
「ああ。」

金色の瞳を細めて笑う疾風に、優華も口元を緩める。

漆黒の髪に吸い込まれそうな金色の瞳。長身のその身に黒色のスーツを合わせた姿。その姿を見た女性の大部分が見惚れてしまいそうなくらいには絵になっている。地上で彼と一緒に歩くと四方八方から、特に女性からの視線がこの上なく痛かった経験を思い出す。

こうやって見ていると疾風が悪魔だなんて忘れてしまいそうになるなあ。

そう、この男は死神ではない。所謂、悪魔と呼ばれる存在である。死神はそもそもは人間として生きていてその生を閉じた者たちである。人より若くしてその命を閉じた優華が死神になることが決まった時、そのパートナーとして紹介された時には恐怖を覚えたものの、その瞳に宿す光が思いのほか優しいことに気づいた優華が疾風と打ち解けるのに思ったほど時間はかからなかった。

少ない荷物をまとめると、優華はまだパソコンに向き合っている同僚達に挨拶をして疾風と共に職場を後にする。

「優華、何かあったか?」
「何か・・・って?」

庁舎を出た瞬間、突如疾風に尋ねられる。疾風の言わんとすることがわからない優華はかすかに首を傾げた。

「心の乱れがでている。」
「・・・そんなに?」
「まあ誰にでもわかるほどではないが、少なくとも俺にはわかるな。」
「疾風の洞察眼って本当すごいよね・・・。」
「で、何があった?」

疾風がその金色の瞳を細めて優華を見る。疾風は人の心を読み取ったり、相手の心を乱すための話術などが得手だ。さすがは人を惑わす悪魔といったところか。その手腕はたとえ相手が優華であっても遠慮なく発揮される。白状するまで帰すつもりないぞとその瞳が雄弁に語っている。こうなると正直に言わなくては絶対に解放されない。この男は悪魔にもかかわらず、優華に関することではこれでもかと心配性を発揮する。優華の様子が少しでも普段と違うと感じることがあると問い詰められて何があったのか白状させられるのがいつものことだった。その姿はまるで心配性の父か兄のようだった。最も常にそういうわけではなく普段は限度を超えて干渉するわけではないのでまだ受け入れられるのだが。普段からこれだけ過干渉レベルで心配されると、とうの昔に終えた反抗期に陥りそうだ。とは言え現状では正直に言わないと後が怖いのは確かだった。優華はあきらめて口を開く。

「ごめん、でも何かあったっていうほどじゃないよ。覚えてるかな。二年位前にさ、珍しく疾風と別々に任務に就いた時あったでしょ?あの時の夢を見てね、しかも結構鮮明だったからちょっとその夢に飲まれてた感じかな。」
「・・・ああ、迎えに行った死者に伝言を頼まれたってやつか。なかなかインパクトのある出来事だろうな。」
「そう。しかもあれからだいぶたつのにまるで昨日のことのような鮮明さでね。否が応でも意識しちゃうくらい。」
「所詮夢だ。あまり気にするな。」
「ん、ありがとう。」

ポンと頭に手を置かれ、優華はまるで子ども扱いだなんて考えるが、何百年も生きている疾風にとっては優華なんて子供以下に違いない。そう考えると優華は苦笑いするしかなかった。一言疾風と挨拶を交わすと彼と別れ、帰路へとつく。しかししばらく歩いた後何かを考えるようにしばらく立ち尽くした優華は、傍に咲く桜を見て踵を返し――姿を消した。

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