Secret in the moonlight | ナノ


▽ 28


「優華さんは・・・色々不思議な力をお持ちなんですね・・・。」

安室は呆然としながらただそう呟くしかなかった。さっきまで敵に囲まれている状態だったはずなのに今は全く違う場所にいる。所謂瞬間移動というやつか。一瞬でこのように移動できる手段を安室は他に知らない。しかもよくよく見るとまさかの警察病院まで目と鼻の先のビルの屋上だった。これは優華が狙ったのかそれとも偶然なのか。

「すみません。説明している時間もなかったので。気分悪くないですか?」
「大丈夫です。・・・が、正直ちょっと色々ありすぎて動揺はしています。」

優華は安室のその言葉に苦笑いを浮かべるしかなかった。人間として普通に生きていれば知ることのないことを一気に経験してしまったのだ。無理もないだろう。そこで優華はふいに以前安室に言った言葉を思い出して瞳を伏せる。

「・・・ごめんなさい。もう安室さんには会わないって言ったのに。」
「そんなことを言わないでください。いえ・・・そこまであなたを追い詰めてしまったのは他でもない僕でしたね。」

安室は乱れた前髪をかきあげると自嘲気味に笑う。二人の間に沈黙が訪れる。その沈黙を破ったのは安室の方だった。

「・・・聞かないんですか?さっきの状況、明らかに普通ではないでしょう。」
「・・・気にならないのかと言われれば正直気になります。でも安室さんにとって知られたくないことなんでしょう?なら無理に聞き出すつもりはありません。誰にでも秘密にしておきたいことはありますしね。」

優華とて本音を言うともちろん安室に聞きたいことは山のようにある。なぜこの一般人は銃を持てない国で銃を持っているのか。なぜあのような命を落としかねない状況下にいたのか。

―あなたは一体何者なのか。

だが、優華にだって話せないことはある。安室には知られてしまったが、自分が死神だということはたとえ仲良くなった梓にも話せることではない。それにこんな状況下でもなぜか優華の中では安室が悪人ではないという妙な確信めいたものがあった。

「優華さん・・・。」

そう呟いた安室のその青い瞳には以前問い詰められた時のような鋭さは全くない。むしろまるで愛おしいものを見ているかのように柔らかな瞳だ。

「あ、安室さん・・・?」

安室は何も答えず、優華を見つめ続ける。そんな安室の瞳に優華はまるで張り付けられたように動くことが出来ない。まるで全身が心臓になってしまったかのようにドクドクと煩い。安室が優華の頬にそっと手を伸ばすと、少し熱を持った安室の指が触れる。その瞬間優華の頬はまるで体中の熱が集まるかのように熱くなる。ゆっくりと近づいてくる安室の顔に優華は自然と目を閉じかけた。

「手の早い男だな。」

甘い二人の空気を割るようにして聞こえてきた声に、優華は電光石火の如き速さで安室から離れる。そんな優華の態度に安室は眉を顰め、咎めるように疾風に視線を送るが、疾風は鼻で笑うような笑みを安室に向けるのみだった。

この男、わざとやっている。

確信を得た安室は一言物申したいと思ったものの、仮にも目の前にいる男は命の恩人といって間違いない相手だ。安室はそう自分に言い聞かせると、こみあげるイライラした気持ちは無理矢理飲み込む。そんな安室を見る疾風の瞳はどことなく面白そうに笑っている。いつになく好戦的なその雰囲気に優華はまさかと少し眉をひそめて疾風に声をかける。

「疾風。」
「なんだ?」
「・・・あの人たち殺してないよね?」

自分の好きな相手を傷つけたであろう、どう考えても悪人としか思えない相手の命まで一々心配するとはご苦労なことだ。疾風はそう思いながら苦笑いを浮かべる。まあ優華らしいといえば優華らしいのだが。

「心配するな。殺してはいない。記憶を喰っただけだ。美味くもなかったがな。」
「よかった・・・ありがとう、疾風。」
「記憶を喰った・・・?」

記憶を喰うとは一体どういうことなのか。訝し気に眉を顰める安室に優華は説明する。

「疾風の能力です。相手の記憶を食べてしまう。相手は疾風に食べられた部分の記憶を失うんです。安室さんを追っていた人達は自分が何をしていたのか思い出せなくなっているはずです。」
「・・・死神はそんな能力もあるんですか。」

死神という存在はいったいどれほどの特殊能力を身に着けているのだろうか。あまりにも聞きなれない能力のオンパレードに安室は遠い目をしたくなってしまう。

「生憎俺は死神ではない。」
「え?」
「疾風は悪魔なんです。」
「・・・は?」

何が起きても不思議ではないと思っていたが。また想像の範疇を超える言葉が出てきて安室は思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。

「悪魔って・・・旧約聖書とかに出てくるあの悪魔ですか?」
「そういった類ですね。」
「・・・・。」
「えっと、大丈夫です?安室さん。信じられない気持ちはわかるんですけど―。」
「いや、ここまで色々なことを体験させられたらもはや疑う方が馬鹿らしいですよ。」

安室は優華の言葉を遮り、笑いながら答える。優華はそんな安室に目を丸くするが、その後確かにそうかもしれませんねと一緒に笑う。安室はそんな優華を見て目を細めると、白く細いその手を取る。優華は一瞬驚いたように体が跳ねたが、その頬は少し赤みを帯びている。

「そういえばお礼がまだでしたね。お二人とも助けて頂き、ありがとうございました。正直本当に助かりました。」
「いえ、そんなことよりも今からすぐに病院に行ってください。さっきもお話しましたけど、その術はあくまで一時しのぎなので。」
「わかりました。せっかく助けて頂いた命を無駄にするようなことはしませんよ。」

安室の言葉に優華はホッとした表情を浮かべる。

「先ほどの状況からもやはりお前はただの喫茶店の店員というわけではなさそうだな。」
「――そうですね。これは僕の仮の姿でしかない。」

あっさりと認めたその言葉に優華は驚いたように目を見開く。一方の安室もあの日意図せずも優華を深く傷つけてしまったが、そのおかげで優華達は敵ではないとはっきりした。そして今日優華達は安室の命を救ってくれた。ならば優華達に誠意を持って対応することこそ今の安室がしなければならないことだ。

「あなたたちは自分達の正体を打ち明けてくれました。僕のこともお話しします。けれど・・・少しだけ時間をください。こちらにも色々と事情があるので。」
「それは安室さんにとって大事なことなんでしょう?話してしまっていいんですか?」
「・・・本来はいけないことでしょうね。けれどそれがあなたの深い傷を抉ってしまった僕に出来る精一杯の誠意だ。」

そう語る安室の瞳にはとても強い決意が浮かんでおり、優華はただ無言のまま頷くしかなかった。強さに満ちたそのブルーの瞳はとても綺麗だった。

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