Secret in the moonlight | ナノ


▽ 25


安室にとってここまで苛立ちを覚えさせられたのは久しぶりだった。心の中に育っていた優華への想いが逆に苛立ちを増幅させることになるとはこの上ない皮肉だ。知らず知らずのうちに手が白くなるほど力を込めて握り締める。

「ふざけるな・・・!」

安室は咄嗟にその手を伸ばして優華の腕を掴むと乱暴に引き寄せ、そのままきつく抱きしめた。思いきり引っ張られたためバランスを崩した優華は抵抗する間もなく、安室の広い胸の中に飛び込む形になり、その腕の中に閉じ込められる。何が起きたのかを理解するよりも早く、後頭部を固定するように上へと向かされる。次の瞬間目の前にはブルーの瞳があり、噛みつかれるようなキスが降った。

「んんっ・・・っ!?」

まるでこのまま食べられてしまうのではと錯覚してしまうような乱暴なキス。優華は驚きのあまり、反応することもできず目を見開いたままただ固まるしかなかった。すると至近距離で安室のブルーの瞳と視線が交わり、心臓が一際大きな音を立てる。その情欲が入り混じった強い瞳に、優華はたまらず安室の服を握り締め、目を強く瞑る。

次の瞬間。

「っ!!?」

突如耳障りな凄まじい音を立てて安室の近くにあった岩が粉砕された。岩だったものの破片がパラパラと二人の元へと舞い散る。その有様はまるですぐ側に雷でも落ちたかのようだった。二人が息を呑んだ瞬間、その場に突き刺さるような低い声が響いた。

「優華に触るな。」

二人が声が聞こえた方向へと視線を向けると、その先には金の瞳に燃えたぎるような怒りを宿した疾風が立っていた。

「は、疾風っ・・・。」

優華が焦ったように呼ぶと、今度はそれに反応するかのように安室の手に力が入る。常に敬称をつけて相手を呼ぶ優華が呼び捨てで呼ぶ姿に二人の親密さが窺い知れて、安室の苛立ちは最高潮に達した。普段であればここまで自分を見失うことは滅多にないはずなのに、今の安室にその余裕はなかった。優華を抱く腕に力を込めて威嚇するように睨みつける。

「確か疾風さん・・・でしたか。生憎ですがただの同僚であるあなたには関係のないことです。」
「驕るな。小僧。俺は優華のパートナーだ。そいつを傷つける奴は誰であろうと決して許さない。」

疾風は安室の言葉を切り捨てるようにそう言うと、そのまま二人の方へ一歩ずつ近づく。その体からはどす黒い靄のようなものがにじみ出る。険しい表情はそのままに安室の方へと手を向けた疾風に気づき、優華の背中を冷たい汗が伝う。

―――まずい。

消してやる。何よりも疾風の表情が雄弁にそう語っているようで優華は思わず安室の腕を振り解き、安室が止めるよりも前にその前へと躍り出る。

「疾風、やめて!」
「優華さん!?」
「優華、お前・・・。」

優華の強い意思を込めたその瞳に疾風は瞠目せずにはいられなかった。

「お願い。・・・やめて。」
「・・・帰るぞ、優華。」

一瞬躊躇したものの、そのゆるぎない瞳に諦めたように腕をおろしてため息をつく。そしてもう一度安室を睨みつけた後に優華に声をかける。優華は疾風の体から出ていた黒い靄が消えたことを確認するとホッと肩の力を抜いた。そして疾風の元へと一歩足を踏み出そうとすると、安室に腕を掴まれる。優華はまるでそうなることを予想していたかのように改めて安室の方へと向き直るとそっと微笑む。

「これ以上あなたに関わることはしません。だから安心してください。」
「何を・・・言っているんです。」

悲し気な瞳で少し笑いながら言う優華に安室は眉間に皴をよせる。

違う。そういうことを望んでいるわけではない。

「安室さん。楽しい時間をありがとうございました。・・・さようなら。」

優華の瞳からは堪えきれない一筋の涙があふれた。そしてそのまま二人は闇の中へと姿を消した。

―――――

優華と疾風の二人はそのまま優華の自宅へと戻っていた。疾風は優華をソファに座らせると、勝手知ったるとばかりにキッチンへと向かう。そして小さなやかんを取り出して水を入れてコンロへと置くと、火をつける。その様子を優華はどこか現実離れしたものを見るような感覚で見ていた。しばらくするとやかんが蒸気を吐き出し始めてお湯が沸いたことを知らせる。疾風はコーヒーにミルクと砂糖をたっぷり入れたカフェオレを作ると、優華が座るソファの前にあるローテーブルへとおく。

「大丈夫か?」
「ん、平気・・・。ありがとう。」

ローテーブルに手を伸ばしてマグカップを取りゆっくりと温かいカフェオレを口に含むと、カフェオレが体に染み渡っていく。砂糖の甘さがまるで優華の気持ちをあやしてくれているようだ。

「私本当馬鹿だね・・・。疑われているとも知らずに何を浮かれていたんだろ・・・。」

優華はカフェオレを飲みながらポツリと呟くと、ははっと乾いた笑いをこぼした。視線は手に持つカフェオレから離れない。

「・・・言ったはずだ。関わりすぎるな、と。俺達と生きている人間の時は決して交わらない。・・・お前がつらい思いをするだけだ。」

とは言え今更もう遅かった。優華が安室に惹かれていたのは間違いなかった。そのことは今の優華の様子が何よりも顕著に物語っていた。まだ若いうちに悲しい世の離れ方をした優華は恋愛経験もあまり豊富な方ではなかった。いっそそのあたりの経験が豊富であった方が仮に叶わない恋をしても割り切るのも楽だったのかもしれない。

ただそれだけではなかった。疾風の読みが正しければ安室もほぼ間違いなく優華に惹かれていた。あれは演技などではない。あの時疾風に向けた瞳の奥にうごめく感情が間違いなくそれを示していた。あれほどの激情を抱いていたのならば、なぜそれを優華に告げることなく隠していたのかは知らないが、むしろ安室がその気持ちを隠していたのは好都合だった。告げられていたならば間違いなく優華は今以上に苦悩することになっていただろう。

かたや生きていて未来のある人間、かたや死神。ハッピーエンドが期待できるような関係にはない。それでも抑えられないのが恋心、なのかもしれない。

「疾風・・・明日からはちゃんといつも通りの私に戻るから・・・だからごめん・・・今だけちょっと胸貸して。」

それだけ言うと優華はカフェオレの入ったマグカップをテーブルに置いて疾風に甘えるように抱きつき、その胸に顔を押し付けた。疾風はそんな優華に何も言わず、幼子をなだめるように優しくポンポンと頭を優しく叩く。頭上で取られたリズムに、優華の涙腺は一気に緩むと同時に脳裏に安室の姿が蘇る。

ニコニコと優しい表情、たまに見せたいたずらっ子のような子供っぽい表情、凍り付くような鋭い瞳、そして熱を孕んだ燃えるような瞳。

――いつの間にこんなにも彼のことを好きになってしまっていたのだろう。

優華の口からは悲痛な嗚咽が漏れる。疾風にすがりつくようにして子供のように泣き続ける優華の髪を、疾風はただ黙ってなで続けた。

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