Secret in the moonlight | ナノ


▽ 23


―――もう一ヶ所付き合って頂けませんか。

いつになく真剣な表情でそういう安室に頷いて共に訪れたのは初めて安室と会った海だった。初めて会った日から月日は過ぎ、こうして安室と二人で再びこの場所を訪れていることに、優華は不思議な感覚を覚える。心のどこか片隅で近づきすぎだと疾風に植え付けられた警報 が鳴っているが、今の優華にはその警報はどこか遠くで鳴り響いているようだった。二人して初めて出会った時のことを話しながら砂浜を歩くとキュッキュッと砂を踏む音が聞こえてくる。

「あの時は本当に驚きましたよ。」
「・・・その際は本当にすみませんでした。」
「いいえ。あの勘違いのおかげで優華さんとこうして知り合えたので結果論としてはよかったです。」
「そ、そうですか。」

安室の笑顔に思わず優華の心臓が大きな音をたてるが、それを隠すように顔を背ける。安室が女性に対してとても優しいフェミニストであることはわかっているが、今までほとんどそういう扱いを受けてきたことのない優華は安室の行動に対して免疫がない。そのため安室の言動を軽く受け止めるにはハードルが高すぎる。今日は一日安室に翻弄されてばかりだ。

一方の安室は優華が自分の警戒しなければいけないような存在ではないと確信を持っていた。証拠と言えるものはない。それでもそう思えるのは様々な人間に接してきた安室の勘のようなものだった。確かに色々と不可思議な点は多いのは事実だが、先ほど優華から聞き出した彼女なりの信念は決して他人を傷つける者が抱くようなものではなかった。

いつからだったのか。彼女に少しずつ、けれど、確実に惹かれていったのは。ポアロで美味しそうに食事をする姿や楽しそうに話をする姿を見ていると温かい気持ちになっていた。優華が訪れるのを楽しみに待つようになっていた。先日の女性を助けたときの困った人を助けることは当たり前だと言ったまっすぐな瞳、そして今日優華の信念を聞いてまだ心のどこかで引き返そうとしていた安室の気持ちはとどめを刺された。

だが、それでも。優華の素性の件は別だった。優華が悪人ではないことは間違いなかった。だがそれを差し置いても彼女が本当は何者なのか、それは確かめなければならない。優華が「降谷零」を知っているのであればなおさらだ。本当ならばそんなことなど捨て置いて想いを告げて彼女をこの腕に抱きしめたい。けれど安室の本来の立場を鑑みると自分自身の感情に呑まれて感情のままに見逃すことは出来ない―――してはいけないのだ。

「少しお話してもいいですか?」

安室は優華に気づかれないように軽く息を吐き出すとそれだけ言う。優華は不思議そうに首を傾げながらも頷いた。

「実は少し気になることがありまして、勝手ながら知り合いの警察の方にあなたのことを調べて頂きました。」

その言葉に優華の目が大きく見開かれる。

「桜月優華という警察官は確かに警視庁に所属していました。・・・ただし、それは10年前のことです。彼女は10年前の女子高生連続誘拐殺人事件の捜査中に殉職しています。」
「・・・っ。」

優華は表情も変えずに凍り付いたまま動かない。安室はそんな優華を見ながらも続けた。

「つまり「あなた」は桜月優華ではありえない。彼女はもうこの世にいないのだから。もしもその死を偽装しているのであれば、別ですが。・・・あなたは一体何者ですか。なぜ彼女の名前を使って彼女になりすましているのですか?」

安室が一歩優華に近づくと、優華は無意識に一歩後ずさる。

「それともう一つ。あなたは初めて会った時に僕を誰かと見間違えましたね。そして誰かに僕によく似た人宛ての伝言を頼まれたとも。ついでにそのあたりについても詳しく教えて頂きたいのですが。」

優華は安室の言葉を聞きながら背中を嫌な汗が伝うのを感じていた。まさか安室がそんなことを調べているとは想定外だった。だが、安室は探偵だ。気になれば調べるのは性分だと言えるのかもしれない。あの場限りの関係になるだろうと思っていたからこそ、咄嗟に元警察官と口にしてしまったとは言え、こうなってしまったのは明らかに優華のミスだった。ましてや相手が探偵である安室だったというのは本当に相手が悪かったとしか言いようがない。だが今思えばそもそも安室はあの時優華の存在に何かしらの疑問を感じたからこそ、優華に親切に接してその後いくらでも情報を調べることが出来るような関係に繋がるような対応をしたのかもしれない。けれどそのことに今更気づくなんて遅すぎる。

―――色んな意味で。

優華自身久しぶりの同僚達以外との時間を好んでしまうようになっていた。ポアロの雰囲気や安室や梓との時間を通じて、まるで自分が人間として生きていた頃のような感覚に浸ってしまっていた。そしていつの間にか少しずつ、けれど確実に安室に対して惹かれてしまっていた。優華自身はもう二度と安室と同じ時を歩むことは決して出来ないというのに。優華の脳裏に疾風の関わりすぎるなという忠告が蘇る。

分かっているつもりで分かっていなかったのだ。もう人間でない優華が特定の人間との関わりを持ち続けることの危険性を。疾風はきっとそれを分かっていたからこそ、忠告してくれたのだ。優華は俯いて手を握りしめる。

「・・・安室さんの・・・言う通りです。桜月優華は10年前に女子高生連続誘拐殺人事件の捜査中に殉職しました。」

安室は俯きながら絞り出すように答えた優華の声に瞳を細める。

「あの日、例の事件の犯人だった先輩刑事と一緒に捜査に当たっていた時に、二人は誘拐された女子高生を発見しました。・・・いえ、もしかすると発見するように仕向けられた、と言った方が正しいのかもしれません。彼女は隙を見て女子高生を逃がそうとしました。彼はその女子高生には固執していなかったみたいで彼女はその子を逃がすことには成功しました。」

優華の右手が微かに震える。それを隠すように左手で抑えると、話を続ける。

「その後彼を尊敬していた彼女は拳銃を向けられながらも必死に彼を説得しようとしました。そんな彼女に対して彼はまず左足を撃った。撃たれて倒れこんだ彼女に対して次は右腕を撃った。必死に痛みを堪えている彼女を舌なめずりしながら見ていた彼は彼女を押し倒して・・・暴行を加えた後、心臓に拳銃を押し付けた。彼は絶望に突き落とされた彼女の反応に満足そうに笑うと、じゃあなと言ってそのまま引き金をひきました。そして彼女の命はそこで終わりました。」

生々しいまでの詳しい状況説明に安室はただただ唖然とするしかなかった。なぜ―――。

「どうしてそこまで詳しく知っているのか、不思議ですか?」

今まさに安室が頭の中で思っていたことを口にした優華はずっと俯いていた顔をあげる。その表情は今にも壊れてしまいそうな、泣きそうな顔だった。その顔を見た瞬間、安室は自分が優華の決して触れていけないところに触れてしまったことを悟る。

「そこで死んだ「桜月優華」は私だからです。」

―――時が止まったようだった。

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