▽ 16
「暑い・・・暑すぎる・・・。」
これでもかと日差しが照り付ける夏の昼下がり。例によってポアロへと訪れようとしていた優華はあまりの暑さにげんなりしながら歩いていた。ポアロまでもう少しという距離にある公園を通りかかった時にふと公園内に視線をやると、ベンチに座っている女性を見かけて思わず足を止めてしまった。ベンチに座っているその女性の顔は血の気が引いて随分と白くなっており、体調不良なのは一目瞭然だった。ベンチはちょうど木の陰になっていて直射日光は当たってはいないが、体調不良な状態でこんな炎天下にいるのは危ない。優華は眉を顰めるとその女性のもとへと歩み寄る。
「あの、大丈夫ですか?」
「は・・・い。」
「酷く顔色悪いですし・・・救急車を呼びましょうか?」
「いえ・・・違うんです。あの・・・悪阻で・・・。」
「ああ、そうなんですね。」
ぐったりとしている女性は座っているのもつらそうだ。周りを見渡しても知り合いらしき人は見当たらない。妊婦が一人で公園に座っているということはおそらく自宅はそう離れていない可能性が高い。誰か自宅にいるかと尋ねると誰もいないと女性は答える。だが、夫の職場が近いと聞いた優華は女性の携帯電話を借りて彼女の夫へと連絡を入れる。最初は妻の携帯から別人の声が聞こえたことに警戒していた夫だったが、優華が状況を説明すると慌ててすぐに行くと言い、電話を切ってしまった。優華は女性に携帯を返すと隣に座って背中をなでる。
「ご迷惑をおかけして・・・すみません・・・。」
「そんなこと気にしないでください。」
今日は比較的体調がよかったため、少し気分転換をと思い、外出したものの、公園まで来たところで気分が悪くなり動けなくなってしまったとのことだった。何かさっぱりするような飲み物があった方がいいかと思い、周りを見わたすと道路向かいにコンビニがあるのが目に入る。だが、この状態の女性を一人にすることも出来ず、どうしたものかと思ったところ。
「優華さん?」
聞きなれた声に振り向くと、予想通りそこには安室が立っていた。
「安室さん、どうしてここに?」
「梓さんに買い出しを頼まれたんですよ。・・・そちらの女性はどうかされたんですか?」
「悪阻で体調が悪いみたいで・・・。あ、安室さん!すみませんが、そこのコンビニへ買い物に行ってきてもらえませんか!?」
「え、ええ。構いませんが。」
女性に何か飲めそうかと尋ねると炭酸系のものならば飲めそうだとの返事が返ってくる。それを聞いて安室は急ぎ足でコンビニへと向かう。そして無糖の炭酸系飲料を買うと女性のもとへと戻る。優華はそれをありがとうございますと受け取ると、蓋を開けて女性へと差し出す。女性はゆっくりと受け取ると口に含む。今の女性の口にはあったようで一口、二口と少しずつ飲む姿に優華は少しホッとする。しばらくすると少し女性の顔に赤みが戻ってきた。どうやら少し体調が回復したようだ。そうこうしているうちに今度はスーツ姿の男性が慌てて公園へと駆け込んできた。どうやら彼が女性の夫のようだ。男性はキョロキョロとまわりを見渡した後、女性のもとへとやってくる。
「大丈夫か!?」
連絡を受けて慌てて走ってきたらしい彼のスーツは乱れ、息も絶え絶えだ。
「ええ・・・。この方達のおかげで。」
「本当にありがとうございました。何とお礼を言っていいのか・・・。」
恐縮仕切りの彼女の夫に優華は軽く笑う。
「気にしないでください!落ち着いてこられたみたいでよかったです。お体大事になさって元気な赤ちゃんを産んでくださいね。」
「はい、本当にありがとうございます・・・。あなたのおかげでとても心強かったです。」
女性の笑顔を見て優華の顔も思わず綻ぶ。
何度も何度もお礼を言った後二人が仲良く並んで帰っていくのを見送る。女性を支えながらゆっくりと歩く夫の眼差しは慈しみにあふれており、優華の心は温かい気持ちでいっぱいになる。二人の姿が見えなくなった後、優華は安室に改めてお礼を言うと、女性のために買ってもらった炭酸飲料代金を払おうとする。しかし安室は頑として断りしばらく二人の間で攻防戦が繰り広げられた結果、優華は安室の好意に甘える形になった。そして二人でポアロへと向かって歩き出す。
「・・・優華さんは優しい方ですね。」
「突然何ですか?」
突如言い出した安室の言葉に優華は思わずきょとんとする。
「見ず知らずの方のためにあんなに必死になって。」
「そんなことないですよ。だってあんなにしんどそうな人を放っておけないでしょう?」
「そう・・・ですね。」
当たり前のことをやっただけだとけろりと話す優華に安室は拍子抜けする。確かにそうかもしれない。だが、当たり前のことを当たり前にやってのけることは案外難しいものだ。それを優華は意識することなく自然にやってのけた。優華のことを敵の可能性も含め疑いの目で見ている安室にとって、当たり前のように人助けを口にする彼女の言動は想定外以外の何物でもなかった。彼女は確かに得体が知れない。だが、悪人ではないのかもしれない。
「それにしてもあの女性が少しだけ羨ましいです。」
「なぜですか?」
優華の言葉に今度は安室が不思議そうに首を傾げる。
「だってあの旦那さんの慌てっぷり、すごかったですからね。それだけ奥さんが大切ってことでしょう?」
「ああなるほど。それはそうですね。」
「・・・あんなふうに大切に思える人に出会いたかったなあ・・・。」
「・・・優華さん?」
「あ、あはは、なーんてちょっと思っちゃいました!」
どこか遠い目をする優華を安室は訝し気に見る。その姿はただ単純に羨ましいという一言で片づけられるような雰囲気ではなかった。まるでもう決して叶う事のない思いを口にしたような―。安室の視線に気づいた優華は、ごまかすようにあははと不自然な笑い方をするとまっすぐ前を見て歩き出す。その優華の姿からは何も答える気がない、そんなオーラが出ているようだった。
「元気な赤ちゃんが生まれてくれたらいいですね。」
「きっと大丈夫ですよ。」
ニッコリと笑顔で断言する安室に優華も笑顔で頷いた。その顔からはさっきの憂うような表情は消えていた。
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