Secret in the moonlight | ナノ


▽ 6


―僕は安室透と言います。

その言葉を聞いた瞬間、優華はただ口を開けてポカンとするしかなかった。

今、彼は何て言った?

「あむろ・・・とおる・・・さん?」
「ええ。」

やはり聞き間違いではなかった。目の前の男は自らを安室透だと名乗った。あの日諸伏から聞いた幼馴染の名前は降谷零、だったはず。目の前の男はどう見てもあの時の男と同一人物に見えるのに別人だというのか。

「あの、それ本名ですか?」

思考回路が混乱していた優華はとんでもないことを口にした。名乗ってくれた相手に対して自らは名乗りもせず、あまつさえそれは本名なのかと質問するなど、冷静に考えて、いや冷静に考えなくても、とても失礼な質問だ。

「・・・ええ。そうですよ。どうしてそんなことを聞くんですか?」

安室はほんの一瞬表情をなくしたものの、すぐに訝し気な表情を見せて淡々と答える。

「・・・ごめんなさい。ある人にすごく、似ている、から。てっきりその人だとばかり思っていたので。あの、以前ここに来られたことはありますか?」
「・・・いえ、僕はここに来たのは初めてですね。」
「そう・・・なんですね。」

今のやり取りから導き出されるのは、目の前の彼は他人の空似。世の中には三人は似たような顔の人がいるという。だとすれば彼はその三人のうちの一人なのだろうが、それにしても最早双子と言われてもおかしくないレベルだ。こんなに似ているのに別人だなんて。でもやっぱり運命のいたずらはそう簡単には起こらないということか。

仕方ない。もとより彼の願いはそんな簡単に果たせるものではないことはわかっていたはずだ。

そう思う一方で、ようやく諸伏の最期の願いを果たせそうだと喜んでいた気持ちが急激に萎んでいくのを感じる。そんな気持ちを切り替えるように優華は頭を軽く振ると、改めて安室に向き合った。

「あの、色々と失礼なことを言ってごめんなさい。私、桜月優華と言います。助けて頂きありがとうございました。」

頭を下げてお礼を伝えると、安室ににこやかな笑みを浮かべられる。

「いえいえ、先ほども言いましたが、僕が勝手に勘違いして勝手に動いただけですから。気にしないでください。」
「でも・・・。私のせいで足元が・・・。」
「本当に気にしないでください。僕はもう後は自宅に帰るだけですし、車なのでなんとでもなります。夜ももう遅い。桜月さんももう帰られた方がいいですよ。ご自宅はお近くですか?」
「えっと、少し距離はあります。」

地上には今の桜月優華の自宅はない。生前の桜月優華の自宅ならあるが、そこにはもはや自分の居場所はない。だが、そんなことは言えるわけもないので、曖昧に返すしかなかった。

「こんな夜中に、しかもこんな人気のないところで女性を一人にするわけにはいきません。お送りしますよ。」

安室の提案に優華はぎょっとする。安室としては足元が汚れてしまった優華を気遣った上での発言なのだろう。だが、送ってもらう自宅が存在しない優華にとってそれは出来れば避けたい提案だった。

「いえ、遠いですし大丈夫ですので。足元を汚してしまった上にそんなことまでして頂くわけにはいきません!むしろ私がお詫びをしなければいけないのに・・・。」
「だからそのことは気にしなくて大丈夫ですよ。それより桜月さん。徒歩圏内ならともかく、遠いのであればどうやってここから帰られるのです?この時間帯このあたりはタクシーですら通らないと思いますよ。それにもしここであなたをお一人にしてしまって、何か事件に巻き込まれでもしたら僕の目覚めが悪くなってしまいます。入水未遂に巻き込んで申し訳ないとおっしゃるのでしたら、僕の言うことを聞いて大人しく送られてくださいね。」

だから入水じゃないのに。

人当たりのいい顔でにこやかに笑いながら畳みかけるように話す安室を見て、優華はそれ以上何も言うことができない。この人意外に強引だ・・・と思ったものの、この状況を打破する方法は思い浮かばず、それではお願いします・・・と白旗をあげるしかなかった。

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