貴方という光の道標 | ナノ


▽ 8


「お世話になりました。ありがとうございました。」

安室と優華は病棟の中心部に位置するナースセンターを訪れると、忙しく仕事をしていた看護師達にお礼を伝える。看護師たちはニコニコと笑いながらお大事にと声をかけてくれ、優華もぺこりと頭を下げる。その場を後にする前に見えた看護師たちの目が若干きらきらとしていたのは間違いなく優華の隣にいた安室のせいだろう。たとえ異世界と言えどこんなイケメンはそうそう拝めることはないだろうし、無理もない。優華はそんなことを思いながら安室とともにエレベーターホールへと向かった。しばらく歩いてエレベーターホールにつくと生憎エレベーターは2基とも1階で止まっていた。昇降ボタンを押してエレベータ―が到着するのを待っていると、安室がふと思い出したようにそういえばと話を切り出した。

「警察の方に事情を話しまして事情聴取は少し遅らせて頂くことにしました。ああ、桜月さんがどこから来られたかは話していませんのでそこは安心してください。桜月さんも色々なことがあってまだ疲れが取れきれていらっしゃらないでしょうしね。それまでは僕があなたの身元引受人としてあなたの身柄を預からせて頂くことになりました。」
「え?」

予想だにしなかった安室の発言に優華は目を丸くして安室を見つめる。安室はそんな優華の視線を真っすぐに受け止めると少し申し訳なさそうに笑みを浮かべたまま話を続ける。

「あなたは今のままではこの世界では何の身元証明も出来ない人となってしまいます。ということは当然このままでは普段の生活にかなりの制限がかかってしまいます。本当は警察の保護下に入って頂くのがいいんでしょうけど・・・きっと嫌でしょう?」
「・・・。」

口元をキュッと結び黙り込んでしまった優華に安室は想定内とばかりに笑う。

「幸か不幸か、まだ警察の方で調書を取っていないのであなたのことは正式に警察の方で把握されているわけではないみたいなんです。なので、多少変則的な方法も取れたみたいです。」
「そう、なんですか・・・。」
「ただやはり僕が身元引受人になるということは僕の目の届く範囲にいて頂かなくてはいけません。つまり僕の家で暮らして頂く形になります。昨日知り合ったばかりの男と同居というのも嫌でしょうけど、そこだけはどうしても譲ってもらえなかったもので・・・すみません。」
「そんな、謝らないでください!」

申し訳なさそうに謝る安室にむしろ優華の方が申し訳なさでいっぱいになる。本来なら素直に警察に保護してもらうべきだろう。まして安室の話の通りならばここは優華が生きてきた世界ではないのだ。つまり警察の人間も自分が生きていた世界の警察とは違うはずだ。それでも優華は自分を殺そうとした男もこの世界にいるかもしれないと考えるだけで警察と関わることは絶対に嫌だった。だがそんな自分の我儘のために安室を巻き込むわけにもいかない。そう意を決した優華は腹をくくると安室へと視線を送る。

「わざわざ私のためにそこまでして頂き、本当にありがとうございます。でも安室さんにそんなご迷惑をおかけするわけにはいけません。私・・・警察にお世話になります。」

無理矢理笑顔を張り付けてそう言った声は少しだけ震えてしまった。優華は強がり切れない自分の弱さに情けなさでいっぱいになり、視線を足元へと向ける。

「桜月さん。」

しばらくの沈黙の後安室から声を掛けられた優華がゆっくりと顔をあげると、真剣な顔で優華の方を見る安室と視線が交わった。

「あなたがなぜそこまで警察を嫌うのかはわかりませんが、僕はあなたが意味もなくそんなことをおっしゃる方ではないと思っています。・・・何かあなたをそこまで駆り立てるほどの理由があるんでしょう?」
「・・・っ・・・!」

泣き出しそうな表情そのままで固まってしまった優華に安室は苦笑いする。

「無理矢理聞き出す気は無いので安心して下さい。でもそんなに青い顔をして警察のお世話になると言われても逆に心配になってしまいます。僕は普段喫茶店のバイトや探偵の仕事で家を空けることが多いので、あなたがよければぜひ僕の家へいらしてください。それと僕の家には犬もいますので彼の遊び相手になってくれると嬉しいんですが。」
「犬、ですか?」
「ええ。最近飼い始めたばかりなんですけどね。犬は苦手ですか?」
「いえ、大好きです。」

兄が軽い動物アレルギー持ちだったため飼うことは出来なかったが、優華は犬が大好きだった。犬と一緒の生活にあこがれていたのも事実だ。

「では彼の遊び相手になってやって頂けますか?」

柔らかくそう話す安室を優華は戸惑ったように見つめる。

「・・・安室さんは本当にそれでいいんですか?私、得体のしれない怪しい女なんですよ?」
「構いませんよ。僕は職業柄普通の人よりは人を見る目はあるつもりです。あなたはこの世界から見たら確かに異質な存在かもしれません。けれど決して悪い人間だとは思えません。」

ハッキリとそう言い切った安室に優華の瞳にみるみると涙が溜まっていく。同時に胸の奥には熱いものがこみ上げてくる。

本当は不安で不安で仕方なかった。自分のいた世界と同じにしか見えないのに、何もわからないままに自分は異質な存在だと伝えられ、頼れる相手もなくどこにも居場所もないこの状況。そんな優華に安室は居場所を与えてくれるという。それがたとえ警察からの保護という名の監視であったとしても安室の言葉に優華の不安な心は癒されていた。

「・・・ありがとうございます。それではお世話になります。よろしくお願いします。」

深々と頭を下げる優華に安室はにこやかに微笑んでいた。


―――


「どうぞ。」
「あ、ありがとうございます。」

その後車で来ているという安室とともに駐車場へと向かうと、そこにとまっていたのは白いスポーツカーだった。どう見ても高級そうなその車に、探偵とはそんなに儲かるものなんだろうかと優華は内心首を傾げる。エスコートするかのようにドアを開けてくれた安室に促されるまま助手席に乗り込むと、続けて安室も運転席に乗り込む。エンジンをかけるとスポーツカー特有の重低音が体に響く。そのまま車は滑るように走り出した。そして車は全く見慣れない街並みの中をすり抜けるかのように走っていく。優華は走る車の中からそんな街の様子をぼんやりと見ていた。ともすれば、その景色は優華が過ごしていた世界と何ら変わりないように思える。けれど、車の中から見えるコンビニの名前や道路にある案内板など様々なものが自分のいた世界のものとよく似ているけれど少しずつ違う。そしてそのことに何も違和感を感じることもなく当たり前のように過ごす人々。それらを目にするたびにやはりここは元いた世界とは違うのだと否が応でも実感せずにはいられない。そんなことを考えながら優華は安室に気づかれないようにそっとため息をついた。

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