貴方という光の道標 | ナノ


▽ 7


「夢じゃ、なかった・・・。」

翌朝優華が目覚めるとそこはいつも通りの自分の部屋・・・ではなく昨夜眠りについた病室だった。体中に感じられる微かな痛みも変わらない。わかりきってはいたものの、はやり目が覚めたら全て元通りなどという甘いことはなく、何も変わってはいない。そのことに改めてこれが現実なのだと突きつけられた気がして、優華は思わず自分の体を抱きしめる。

「お兄ちゃん・・・私どうしたらいいの・・・。」

優華のか細く震えるような声はそのまま空気へと溶けていった。

―――

朝食を取って一息ついた優華に告げられたのは退院前の診察だった。診察室に向かい医師の診察を受けた優華には特に何も問題がない旨が告げられ、退院の準備の許可が下りた。医師にお礼を伝えると優華は診察室を後にする。

「予定通り退院できそうでよかったですね。」
「はは・・・ありがとうございます。」

診察に付き添ってくれた看護師とともに病室に戻る途中、そう笑顔で話しかけられたものの、優華は曖昧に言葉を返すより他ない。今の優華にとっては退院出来る喜びなどより諸々の不安の方が圧倒的に多いのだ。不安に苛まれながら優華が病室に戻ると、病室の前で安室とばったり出くわした。

「おはようございます。」
「あ・・・おはようございます。」

そのさわやかな風貌に負けず劣らずにこやかに笑いかけてくる安室に優華も挨拶を返す。その姿を見た看護師も安室と挨拶を交わすと、続いて優華ににっこりと笑顔をむける。

「素敵な彼氏ですね。」
「え・・・!?」

どうやら彼女は安室のことを優華の恋人だと位置付けたらしい。そう一言かけると凍り付いた優華に一つウインクをしてナースステーションへと戻っていく。優華はお礼を言うのも忘れて彼女の後姿を見送るしかなかった。

何をどう見たら恋人同士に見えるというのか。

さらりと爆弾発言をした彼女に決して恋人同士などではないのだと説明をしたくとも、すでに彼女の姿はない。残された優華が感じているのは気まずさ以外の何物でもなかった。

「・・・その、なんか申し訳ありません。」
「はは、お気になさらずに。それよりも体は大丈夫ですか?」
「はい。さっきお医者さんにも診て頂きましたが、特に何も問題がないと言って頂きました。」
「それならよかったです。」

ニコリと優しく笑う安室に優華も曖昧に笑みを浮かべる。

「先程退院手続きは終えましたのでもう退院出来ますよ。」

どうやら優華が退院前の診察を受けている間に手続きを済ませてくれたらしい。

「そうなんですか?ありがとうございます。すみません・・・何から何までご迷惑をおかけしまして・・・。」
「大したことではありませんよ。気にしないでください。それから退院するにあたって着替えが必要でしょう?よければこちらをどうぞ。」

そう言って安室から差し出されたのは茶色の紙袋だった。優華が差し出されたそれをおずおずと受け取り中身を見ると、そこに入っていたのは深みのある青色の服だった。袋から取り出すとそれはシンプルなワンピースで、長めの丈は足にある怪我も隠してくれそうだ。奇しくも自分好みの綺麗な色のワンピースに優華は思わず目を瞬かせた。

「可愛い・・・。あの、これは・・・。」
「退院時に礼服では目立つでしょう?女性の友人に頼んで買ってきてもらったものですからよければ使ってください。もちろん新品ですから衛生面も大丈夫ですよ。」
「でも・・・。」
「お気に召さなかったですか?」

優華が躊躇していると安室は小首を傾げる。

「まさか!とっても可愛いです!でも・・・こんなことまでして頂くわけには・・・。」

昨日の話を聞く限り、安室はただ探偵として警察への捜査協力をしていた延長上で優華に関わってしまっただけなのだ。それなのにあれやこれやと多大な迷惑をかけてしまっていることに優華は申し訳なさでいっぱいになる。

「気に入って頂けたのならよかった。・・・遠慮してしまう気持ちがわからないわけではないですが、今はこんな事態です。時には誰かに甘えることも必要ですよ。」

ね、と片眼をつむりながら笑いかける安室に優華は困ったように笑う。

優華は誰かに頼るということが得意ではなかった。子供の頃にとある事情から人間不信に陥ってしまった優華は、それ以降は表面上はそれなりの付き合いをしながらも常に他人とは一定の距離を保って生きてきた。心から安心して頼れたのは家族だけだった。けれどその家族はもうどこにもいない。この状況下では優華自身ではどうにも出来ない。それに病院で礼服を着ているのは好ましいとは言えないだろう。そう考えると純粋に安室の配慮は有難かった。

「じゃあ・・・お言葉に甘えさせて頂きます。ありがとうございます。」

そう考えた優華は安室にお礼を伝えると、ワンピースを抱きしめる。安室に優華が着替えを終えるまで部屋の外で待っている旨を告げられた優華は病室に入り、ベットの元へと歩み寄る。そしてドアが閉まったのを確認すると、改めて手渡されたワンピースを見つめる。偶然にも色もデザインも優華の好みそのもののワンピースに、無意識のうちに口元は緩む。そして病院着を脱ぐとそっとワンピースに袖を通した。

―――

「すみません。お待たせしました。」
「いいえ、お気になさら・・・ず・・・。」

出てきた優華に視線を向けた安室は一瞬息を呑んだ。青色のワンピースは想像以上に優華に似合っていた。優華は決して派手な顔立ちではないものの整った顔立ちをしており、例えるならば日本美人といった雰囲気をまとっていた。優華に下手な警戒心を抱かせることを避けるため女性の友人が用意したと告げたが、実はこのワンピースはそんな彼女に似合うだろうと安室が用意したものだった。だがここまで似合うとは思っていなかったため意表をつかれた形だ。

「あの・・・変でしょうか?」

優華を凝視したまま黙り込んでしまった安室に、優華は不安そうに上目遣いに尋ねる。その言葉に安室は我に返った。仮にも潜入捜査官ともあろうものが何という体たらくだ。安室は内心自分自身に舌打ちした。

「・・・まさか。想像以上にお似合いなので見とれてしまいました。」
「安室さん、からかわないでください。」
「からかってなどいませんよ。本当にお似合いです。・・・では行きましょうか。」

優華の不服そうな顔に安室は苦笑いを浮かべると、優華が持っている服の入った紙袋を取り、歩きだした。優華は慌てて自分が持つと言ったが、安室は怪我人が荷物を持つ必要はありませんとにこやかに切り捨てて歩いていってしまう。優華はそんな安室の後を追いかけて歩きながらも頭の中では別のことを考えていた。

もし本当にここが自分のいた世界ではないのであれば、退院したところで優華には帰るところなどどこにもないということになる。

自分は一体どうすればいいだろう。どこか住み込みで働けるような場所を探すしかないけれども、身元が証明できない今の自分を雇ってくれるようなところがあるのだろうか。

優華は頭の中が不安で埋め尽くされそうになりながらも歩き続ける。その足並みは酷く重い気がした。

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