貴方という光の道標 | ナノ


▽ 5


―――警察なんて大嫌いです。

それだけ吐き捨てた優華はそこで口を閉ざしたまま俯いた。やはり彼女の警察への嫌悪感は半端なものではない。優華の頑なな反応に改めてそう察した安室は方針を変えることにした。

「じゃあこうしましょう。僕があなたのボディーガードをします。」
「え?」

ニッコリと笑顔を浮かべて告げられたその言葉に、優華はポカンとした顔で安室を見る。それまで目覚めてからずっと硬い表情をしていた優華が初めて見せた素の顔だった。優華は一瞬何を言われたのか分からず、ポカンとしたまま固まって安室を見つめる。だが、安室はそんな優華の反応など意に介さず話を続けていく。

「警察を頼るのは嫌なんでしょう?でも状況を聞いてしまった以上、このまま放ってはおけません。その男がまた現れる可能性は十分にありますし・・・次は本当に殺されかねませんよ。」

現実問題として、安室は優華の話を聞いた限り、緊急性は高いと判断した。もしもその男も無事だとすれば怪我が治ったらまた優華を襲う可能性は高い。本来の自分としてその危険性を放っておくことは出来ない。それにボディーガードという名目で優華の近くにいれば、優華のことを探ることも可能だ。時間をかけてでも彼女の警戒心を解いて情報を手に入れることも出来るだろう。安室は人当たりのいい笑みをうかべながらも、その裏では表情とは反対のことを考えていた。もちろん優華はそんな安室の内心を知る由もないが、戸惑ったような表情を崩さない。

「そんなご迷惑はかけられません。それに私、探偵さんを雇えるようなお金もないので・・・。」
「迷惑なんかじゃないですよ。このまま放っておく方が僕の精神衛生上よくないです。それにお金も必要ないので気にしないでください。僕もまだ修行中の身なのでこれも勉強の一つです。それに桜月さんもこのままそのストーカーに煩わせられるのも嫌でしょう?」
「それは・・・そうですけど・・・。」
「これも何かの縁です。力になりますよ。」

にこやかに微笑む安室を見て優華はなぜかこの人ならば本当に力になってくれるのではないか、ふとそう感じた。優華は少し迷うように視線をさ迷わせた後、そっと安室を見上げる。

「本当にいいんですか・・・?」
「ええ、もちろん。」
「ありがとう、ございます。でも費用はお支払いします。たくさんはお支払い出来なくて申し訳ないんですけど・・・。」

申し訳なさそうに眉を下げる優華に安室は苦笑いする。

「本当に気にされなくていいんですよ。先程も言いましたが僕にとっても貴重な経験を積める機会なので。」
「そんなわけにはいきません。せめて実費はお支払いします。」
「・・・わかりました。でも今はまずは体を休めることを優先してください。ね?」
「・・・はい。」

申し訳なさそうに眉を下げる優華に、安室はそういえばとポンと手を打つ。そして背後の椅子に置かれていた紙袋を手に取ると優華へと差し出す。

「あなたが発見された時、傍に荷物がありましたので一応持ってきました。おそらくあなたのものかとは思いますが、念のため確認して頂けますか?」
「っ!はいっ。」

紙袋を受け取った優華が袋の中を確認すると、中には優華が来ていた礼服とカーディガン、車の鍵、スマホ、そして懐中時計が入っていた。

「よかった・・・。」

崖から落ちたときに身に着けていたものが一通り入っており、優華はほっと息をつく。そして懐中時計を取り出すと傷だらけの手でまるで壊れ物を抱くかのようにそっと包む。

「・・・大切な物なんですね。」

優華の大事そうに懐中時計を抱くその姿に安室は思わずそう声をかけた。

「ええ。私の一番大切な宝物なんです。拾って下さってありがとうございます。」

そう答える優華の表情は先ほど風見に向けたような激情などかけらも見えないほど柔らかく、優しい表情だった。あまりの変貌ぶりに安室は一瞬息を呑む。きっとこっちが本当の桜月優華の気性なのだろう。そんなことを考えながら安室は話を続ける。

「先ほど医師とも話をしたんですが、傷は多いですが、酷いものはないらしいです。とりあえず今晩は念のため入院して頂きますが、明日には退院できるとのことでした。誰か身内の方に迎えに来てもらえそうですか?」
「・・・いえ、家族はもういないので・・・。」

優華の言葉に一瞬安室は息を呑むように固まる。

「・・・そうだったんですね。それは失礼しました。」
「いえ。気にしないでください。」

申し訳なさそうに眉を下げる安室に優華は笑いかける。

「では僕が代わりに退院手続きをとりましょう。」
「え?い、いえ、大丈夫です。そんなことまで安室さんにご迷惑をかけれません!」
「気にしなくていいんですよ。僕はあなたのボディーガードでしょう?その延長線上とでも思ってください。それに退院手続きなんてそう煩雑なものでもないんですから。」

何でもないことのように笑いながら言う安室に優華はそんなことを考えながらもそれではお願いしますと答える他なかった。するとそれから、と安室が若干言いにくそうに切り出す。

「被害届を出さないにしても警察が保護した以上、一応調書を取る必要があるんです。警察とは関わりたくないでしょうが、向こうも仕事ですので。僕も同席させてもらうように頼んでみますから協力して頂けませんか。事前にある程度情報を出しておいて警察とのやり取りは最小限で済むようにしてもらいますので。」

安室に告げられた内容に一瞬躊躇した優華だったが、そこまで言ってくれる安室の顔を潰すわけにもいかない。警察が嫌いとは言え最低限度の義務は果たしておいた方がいいだろう。

「・・・わかりました・・・。」

そう思った優華が了承の意を伝えると、安室はホッとしたように微笑んだ。

「ありがとうございます。住所等何点か伺ってもいいですか?」
「はい。住所は・・・。」

優華は産まれてからずっと過ごしてきた家の住所を安室に伝える。それを伝え終えると、安室はなぜか眉間に皴を寄せて佇んでいる。

「・・・安室さん?」
「・・・住所はそれで間違いありませんか?」
「え?はい。産まれてからずっと住んでいる家なので間違いないですけど・・・それがどうかしましたか?」

何か変なことを言っただろうか。優華にはその理由がわからず、頭にはてなを浮かべて安室を見るしかできない。

「・・・いえ、少しだけ待ってくださいね。」

安室はそう言うとスマホを取り出すと何かを検索し始めた。優華はそんな安室の様子をぼんやりと見つめる。するとしばらくした後、安室から優華へと視線が送られた。

「桜月さん。このあたりにそんな住所は存在しないんですよ。いえ、このあたりというよりも正しくは日本中のどこにも存在しない、ですね。」
「・・・え・・・?」

住所が存在しない。

優華が安室が苦々しく呟いたその言葉の意味を理解するまでしばらく時間がかかった。

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