貴方という光の道標 | ナノ


▽ 4


枕を投げつけた優華は苦しそうに肩を上下させながらも風見を睨みつけたままだ。その瞳には涙が溢れている。体のあちこちに傷があり、まさに満身創痍だというのにその気迫だけは姿を顰めようとはしない。そんな優華だったが、突如ひゅっと息を吸い込んだまま息苦しそうに顔を歪めると胸元を掴んだ。

―過呼吸だ。

優華はそれでも息苦しさをなんとかしようと必死に酸素を取り込もうとするが、それは逆効果にしかならない。その姿を見た降谷は優華に気づかれないように気を配りながら風見に席を外すように指示を出す。それを見た風見は優華を一瞥し、軽くため息をつくとドアを開けて部屋から出て行った。

「少し失礼しますね。」

風見が席を外したことを確認した降谷は、優華に一言断りを入れるとそっと手を伸ばす。過呼吸ならば体内の酸素量を減らさなくてはならない。降谷は震えるその華奢な背中を片手で支えると、もう片方の手で少しだけ空気の通り道を確保するようにしながら優華の口を軽く抑える。だが、優華は苦しいであろうはずの体を必死に動かしてそんな安室に抵抗する。

「触ら・・・な・・・で・・・っ!警察なん・・か・・・っ!」
「落ち着いてください。・・・僕は警察の人間ではありません。だから安心してください。・・・ゆっくり吐いて。・・・そう、上手。」

口元を軽く抑えつつ背中をゆっくりとさすってくれるその大きな手がなぜかひどく暖かく感じる。眩いまでの金色の髪など、どことなく兄と似ている点があるからなのか。

『この先きっとお前は信頼できる相手に巡り合える。』

なぜか先ほど夢で会った兄のその言葉が浮かんで、優華の瞳からは涙が零れた。

―――――

「落ち着きましたか?」
「・・・はい・・・ご迷惑をおかけしたうえ、お見苦しいところをお見せしてしまって・・・すみませんでした。」

しばらくして安室の誘導で過呼吸の症状が落ち着いた優華はベットに横になっていた。ただでさえ危害を加えられてあちこち怪我まみれになっている体に、さらに過呼吸という負荷がかかったため、優華の顔色は目覚めた時よりも心なしか悪くなっている。

「気にしないで下さい。そういえば自己紹介がまだでしたね。僕は安室透と言います。探偵をやっています。」
「・・・探偵・・・さん・・・?」
「ええ。」

潜入調査中である以上本名は名乗れない降谷は安室透として自己紹介をする。すると探偵という言葉に目を丸くした優華はじっと安室を見つめる。

「私、探偵さんって初めてお会いしました。本当に職業にされている方いらっしゃるんですね。」
「ええ。僕はまだまだ駆け出しですけどね。あの名探偵の毛利小五郎先生に弟子入りさせてもらっているんです。」
「もうり・・・こごろう?」

それは一体誰なんだと言わんばかりのキョトンとした顔をした優華を見て、安室は軽く首を傾げる。

「・・・ご存じないですか?」
「・・・ごめんなさい。有名な方・・・なんですよね?」
「気にしないでください。興味がない方もいらっしゃるでしょうしね。」

申し訳なさそうに視線をさ迷わせる優華にニコリと人好きのする笑顔で微笑みかけながらも、安室は内心違和感を感じていた。毛利小五郎は今や押しも押されぬ名探偵だ。彼のことを知らない人間がそうそういるとも思えない。仮に顔を知らなくても名前ぐらいは聞いたことがありそうなものだが、優華の反応はそれすら知らなさそうだった。滅多にテレビや情報に触れないような人物ならともかく、目の前の彼女はそんなタイプにも見えない。

この違和感は何だ。

そんなことを思いながら安室は気になっていたことへと話の流れを持っていく。

「それにしても、さっき崖から落ちたとおっしゃってましたけど、一体何があったんですか?」

その言葉に優華は顔を強張らせて固まったように動かなくなった。どうやら無駄な警戒心を与えてしまったらしい。安室はそんなことを感じながらも言葉を続ける。

「言いたくなければ無理に言わなくてもいいですよ。でも僕は探偵です。何か力になれるかもしれません。」

怯えたように瞳を揺らす優華をなだめるように、殊更意識して柔らかく語り掛ける。どうしたものかと迷うように視線をさまよわせていた優華は、しばらくした後に意を決したようにゆっくりと口を開いた。

「・・・私、昔ストーカーされたことがあったんですけど、またその相手が現れたんです・・・。抵抗したら首を絞められて・・・その時に背後にあった柵が壊れて、その相手と一緒に崖から落ちた・・・はずです。でもそこからの記憶は一切なくて・・・次に目が覚めたらここでした。」
「それは・・・さすがに警察に届けられた方がいいのでは?警察にいい感情を持っていらっしゃらないのはわかりましたが、殺されてしまってからでは遅いんですよ。」

優華の口から語られたのはまさかの殺人未遂な内容だった。親告罪レベルのものではない。予想していたよりも遥かに深刻な内容に安室も眉を顰める。だがそれでも優華の態度は頑なだった。

「警察に頼るつもりはありません。」
「しかし・・・。」
「それに・・・警察に言ったところで無駄だもの。」
「・・・無駄、とは?」

ポツリと零れるように漏れた言葉に降谷は眉を顰める。警察は公共の安全を守ることが仕事だ。その中にはもちろん国民の生命を守ることも含まれている。優華の警察への感情はともかくも「無駄」という言葉には違和感を覚えずにはいられなかった。しかし優華はそれ以上話すつもりはないようで口を噤む。

「・・・いえ、気にしないでください。どちらにしても警察には届け出ません。警察には一切関わりたくないんです。」
「・・・桜月さんはよほど警察の方がお嫌いのようですね。」
「そうですね。――警察なんて大嫌いです。」

そう吐き捨てた優華の瞳はまるで氷のように冷たかった。

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