貴方という光の道標 | ナノ


▽ 3


兄が姿を消してどれくらいたったのだろう。膝を抱えたまま顔を伏せていた優華だったが、ふとゆっくりと糸で手繰り寄せられているような感覚に包まれる。なんだろう。そう感じ顔をあげると同時に辺りが少しずつ暗くなっていく。それはまるで白の世界が閉じていくようだった。

ふわふわと意識が覚醒していくのを感じる。ゆっくりと目を開けようとするものの、ひどく眩しく感じられて優華はたまらず眉をひそめる。

――誰か、いる。

「・・・気が付いたみたいですね。大丈夫ですか?」

そんな声とともに視界に入ってきたのは綺麗な金糸。その姿を見た瞬間、優華は凍り付いた。

お兄ちゃん?いや、そんなわけはない。兄は死んだのだから。

目を凝らしてみると目の前の人物は確かに兄と同じ金髪、けれどその瞳は兄とは違う碧眼。そして当然顔立ちも違う。疑いようもなく別人だ。けれどなぜかその姿に兄が被ってしまい、優華の瞳は戸惑ったように揺れた。一方の降谷はあからさまに動揺した瞳で見つめられ、眉を顰める。

どこかで会ったことがあったか?

降谷は記憶を手繰り寄せるが、生憎そんな覚えはない。となれば一方的に自分のことを知っているのか。それが降谷零か、安室透か、はたまたバーボンかわからないが。

「どうかしましたか?・・・大丈夫ですか?」
「っ!す、すみませ・・・ん。・・・大丈夫、です。・・・痛っ!」

体を動かした瞬間、ズキンと鈍い痛みが走り、優華は顔を歪める。

「あちこち怪我をされているんです。無理に動かない方がいいですよ。」
「怪我・・・?ここは・・・どこですか。」
「病院です。傷まみれで倒れていたんですよ。覚えていませんか?」
「傷まみれ・・・?・・・っ・・・!!あ、あいつは・・・っ!」

崖から落ちる原因を作った男の顔が脳裏に浮かび、一瞬にして優華の顔から血の気がひいていく。

「落ち着いてください。何があったのかはわかりませんが、ここは安全です。」

あいつ。その言葉から目の前で青い顔をしている彼女がやはり何かトラブルに巻き込まれたのであろうことがわかる。降谷はとりあえず落ち着かせるように声をかける。

その言葉に優華は顔を動かしてまわりを見まわすが、そこにいたのは目の前の金髪の男ともう一人短髪黒髪の男だけだった。二人以外には誰の姿もない。もちろんあの男の姿もだ。それに部屋の作りからしてここは確かに病室のようだ。それを確認すると優華は肩に入っていた力を抜く。病院ということは誰かが通報してくれて倒れていたところを運ばれたのだろうか。そこまで考えて優華ははたと止まって考える。

「・・・あれ?じゃあ私・・・生きているってこと・・・?」
「ええ。生きていますよ。一体何があったんですか?」
「私、崖から落ちたはずなんですけど・・・。」

あの高さの崖から落ちて生きているだなんて考えにくい。 けれど体中に感じる痛みが逆に生きていることを感じさせる。もしかしたら木々がクッションになったのかもしれない。そうだとしてもよく生きていたものだ。優華が痛みを堪えてゆっくりと体を起こすと、自分の腕に刺された点滴が目に入る。

「まだ無理して起き上がらない方がいいですよ。」
「・・・大丈夫です。ありがとうございます。」
「そうですか。ところでお名前を伺ってもよろしいですか?」
「桜月・・・優華です。」

崖から落ちた。桜月優華と名乗った目の前の人物は確かにそう言った。ということは怪我をして意識を失っているところをあの廃ビルに運ばれたということなのだろうか。そのあたりの経緯も気にはなるが、とりあえず早急に確かめなければいけないことはそれではない。

降谷と風見は優華に気づかれないようにそっと視線を交わす。アイコンタクトをきっかけに風見が優華に声をかける。

「桜月さん。気が付かれたばかりのところで申し訳ないのですが、少し伺いたいことがあります。よろしいでしょうか?」

言葉は丁寧だが少し鋭い目つきの男に、優華は一瞬怯えたように構える。

「・・・あの、あなたは・・・?」
「失礼、申し遅れました。警視庁の風見といいます。」

風見は内ポケットから警察手帳を出して優華に示す。警視庁。その言葉に優華は顔色を変えて固まった。

「けい・・・さつ・・・。」
「はい。」
「――警察の方に話すことはありません。」

途端に強張った顔と声に二人は眉をひそめる。もし犯罪に巻き込まれたのあれば、助けを求めることが出来るこの状況は渡りに船だろう。自分の身に起きたことを話して保護してもらうことが出来るのだから。それなのに警察と聞いただけで拒否する言葉を述べるということは――。

「――それは警察には話せないようなことでもあるんですか?」
「そうじゃありません。でも警察の方と話すこともありません。」
「ですが、あなたのその首と手首の跡・・・どう見ても誰かにつけられたものでしょう。」

ハッキリとついた人の手の跡に風見は目を細める。本来そういった案件は公安ではなく捜査一課の担当であるが、組織の案件に関わっている可能性も捨てきれない今、むやみやたらに捜査一課に投げるわけにもいかない。

「っ・・・これくらい平気です。」
「・・・そうですか・・・。では別件を伺います。あなたは廃ビルで発見されましたが、どうやってあそこに入ったのですか。あそこはとある捜査の関係で関係者以外が入れないように我々が監視していた。それにも関わらずあなたはあそこにいた。一体どうやって入り込んだのですか。」

そう、そこが何より重要なことだった。事前に不審な人物や物がないことをしっかり確認していたにも関わらずその場所にいたということは後から入り込んだということだ。だが、どこからどうやって入ったのか。そして組織に関係があるのかどうか。そこだけははっきりさせておかなければならない。組織に関係がある人物であれば決して逃がすわけにはいかない。

「廃ビル・・・?私が?」
「ええ。」

訝し気に答える優華の声からは明らかに自分が廃ビルで発見されたことへの違和感を感じていることがわかる。だが、その反応を鵜呑みにするわけにはいかない。一見すると一般人としか思えないが、そう振る舞っている可能性もありえるのだ。

「知りません。」
「わかることだけでも結構ですのでお答え頂けませんか。・・・何もお話し頂けないのであればあなたにもあらぬ疑いの目がかかりかねません。」
「警察に疑われて困るようなことはしていませんから構いません。私に疑いがあるというのなら好きなだけ勝手に調べてください。」
「・・・随分と非協力的な方だ。」

目の前の男の呆れたような物言いにカチンときた優華は目の前の男を睨みつける。体中に「警察」という組織への黒い気持ちが溢れかえっていくようだ。

「そんなこと言われる筋合いはない!出て行ってよ・・・。警察なんか嘘つきばかりで・・・信用できない・・・警察なんて大嫌いっ!!」

優華はまるで心の底に渦巻いていた感情を吐き出すように叫ぶと、手が触れていた枕を引っ掴んで風見に投げつけた。綺麗な放物線を描いて自分の元へと届いたそれを風見は難なく受け止める。その様子を見て降谷は眉間にしわを寄せた。

『警察なんか嘘つき。』
『信用出来ない。』

その反応は警察に対してやましいことがあるからなどというものではない。あるのは心からの嫌悪感、不信感だ。

一体何が彼女をここまで警察を憎ませているのか。いずれにしても彼女から話を聞きだすのは容易ではなさそうだ。

降谷は気づかれないようにそっとため息をついた。

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