無垢だけを纏う



きっかけはふとしたことだった。任務も授業もない完全オフの日、わたしは五条くんと自室で漫画を読み耽っていた。オフが被ったのはわたしと彼だけで、二人ですることなど特になかったため、わたしはクッションに寄りかかって、彼はわたしのベッドに寝っ転がってダラダラと怠惰を貪っていたのだ。

「なぁ」
「んー?」

それぞれ読んでいる漫画は別のものだ。わたしはとある少年漫画、彼はとある少女漫画を一巻から永遠と読んでいる。時折こうして彼が声をかけてくる以外、紙をめくる音だけが響く静かな空間であった。

「これ意味わかんねぇんだけど」
「どこ?」
「主人公が振られたんだけど、次の日髪切ってんの。なんで?」
「あー、なんか失恋したら髪を切るみたいな風潮があるんだよね」

俗っぽいものに疎い彼は、お約束のような展開の意味がわからずよくわたしに尋ねてきた。今までそういうものだと認識して読んでいたため、改めて理由を聞かれると上手く答えられないことばかりだったが、彼は「なるほどね」とだけ返して再び漫画へと目線を戻した。わたしの「まあ漫画でしか見たことないけどね〜」という小さなつぶやきは耳に入っていなかったに違いない。


そんな日の三日後、泊まりがけの任務から帰ってきた五条くんはわたしを見て何故か発狂した。

「なっ……かっ、髪、それ、どうしたんだよ!」
「あぁ、切ったの。さっぱりしたでしょ」

昨日美容室に行ったばかりのわたしの髪は肩のあたりで切りそろえられている。硝子より短くなっちゃった、と笑うも彼は呆然とわたしを見つめるのみで何も言わない。

「えっと……なに?似合わない?」

遠慮がちにそう尋ねると、彼は効果音が付きそうなほどぶんぶんと首を振った。良かったぁと胸を撫で下ろす。以前は腰ほどまであるロングだったため、かなり思い切ったイメチェンだったのだ。

「……誰?」
「誰って?」
「相手、誰」
「相手?」

ぐいと詰め寄った彼はわたしの髪をひと房つまみ、じっと見つめた。何の話だ、と頭を捻り、髪、相手……とまで考えてようやく思い至る。

「あぁ、美容師さんだよ」

二、三ヶ月前、任務中に呪霊の攻撃によって髪が切り落とされた。わたし的には大したことじゃなかったのだが、五条くんはやけに気にしていた。髪は女の命だのなんだのと、夏油くんか硝子の受け売りであろう言葉を繰り返していたことを思い出す。この間のように切られたわけではないという意味でそう伝えると、彼の眉間に皺が寄った。

「美容師ィ?おま、本気か?」
「え?なにが?」

本気も何も、美容師に髪を切ってもらうなど至って普通のことだろう。お金持ちの良いお家の人は美容室に行くなど以ての外だったりするのだろうか。残念だが、一般人のわたしには分からない世界である。

「三Bって知らねぇのか!」
「三B?」

あちこちに飛ぶ脈絡のない話についていけず、戸惑うわたしの前に彼が三本の指をずいっと押し出し、声を荒らげた。

「バンドマン、バーテンダー、美容師!!」
「あぁ、彼氏にしてはいけない三Bの話ね。それがなに?」

酔っているのかと思うほど支離滅裂な様子に、わたしは動揺を隠せなかった。落ち着かせるように努めてゆっくりと話すと、興奮したように見えた彼がふいに目を伏せた。

「知ってんのに、なんでだよ……」
「いや、髪切ってもらうくらい良いでしょ?」
「だから……え?髪?」
「うん?髪の話でしょ?どうしたんだって聞いたじゃん」
「そうだよ、お前がいきなり切ってたから失恋したんだと思って、てことは相手がいるわけだろ?」
「んん?失恋?何の話?」
「え?」

ここまでくれば、わたし達の会話が上手く噛み合っていなかったことが自ずと知れた。わたしは髪を切った話をしていて、彼は髪を切った理由の話をしていたのだ。彼の口から出てきた失恋というワードには思い当たることがあった。三日前のオフの日にした「失恋したら髪を切る」展開の話だ。

「もしかして、わたしが失恋して切ったと思ったの?」
「……そうだけど」
「あれは漫画あるあるみたいなもので、実際にやる人は多分少ないと思うよ。ごめん、ちゃんと説明すれば良かったね」
「いや、俺も早とちりしたし……」

まさか五条くんがそんなことを考えていたとは思わなかった。わたしが誰かに振られたと思って、あそこまで怒ってくれたのか。そう考えると、なんだか目の前の男がかわいく思えてしまうのだから罪深い。

「じゃあ今回はおあいこってことで」
「分かった」

罰が悪そうな様子で彼がこくりと頷いた。この場に夏油くん達がいなくて良かった。もしいたら彼はきっと散々にからかわれて、校内で乱闘騒ぎになるところだっただろう。

「……ねぇ、似合ってる?これ」
「に、似合ってる。かわいい、と、思います、よ……?」
「ふふっ、なんで敬語なの」
「るせぇよ!」

目を逸らしたままたどたどしい日本語でわたしを褒めるのも、照れ隠しで声を荒らげるのもかわいくて、思い切ったかいがあったとわたしは一人笑った。



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