空が青とは限らない



わたしは禪院直哉の妻である。とはいえ、恋愛結婚でなければ、政略結婚でもない。話し出すと長くなるので割愛するが、わたし達はお互いの利害が一致したがために籍を入れただけのいわゆる仮面夫婦というやつだ。

表向きは仲睦まじいふうを装っているが、この関係は冷めきっていて相手の事情に踏み込むことは一切ない。何があっても、何を見ても聞いても、我関せずを貫く。それがこの結婚の条件であった。

わたし達はその条件のもとで上手くやっていた。ただ、ひとつ面倒なことがあった。それはわたしのことをよく思わない人間がいることである。

直哉様は次期当主の地位につくことがほぼ確約されている。それ故に、彼の妻というポジションを狙う人物は少なくなかった。しかし、何の因果か彼が選んだのはぽっと出のどこの馬の骨かも分からない一般人の女であった。まぁ、わたしのことなのだが。

わたしを毛嫌いする人間達は、中学生かと突っ込みたくなるような嫌がらせをわたしに繰り返した。わたしの持ち物を勝手に捨てたり、食事に苦手な食べ物をふんだんに入れたり、わざと聞こえるように陰口を叩いたり。

くだらないことばかりで助かるなとわたしは内心安堵していた。お金はあるのでまた買えばいいし、苦手なものは食べずに捨てればいいし、陰口程度で心挫けていれば直哉様とはやっていけない。

嫌がらせと言ってもこんな具合だったため、嫁いびりとでも思えばいいか、とわたしは楽観視していたのだ。まさか、あの人たちがああも思い切った手段にでるとは思いもしなかった。


直哉様と部屋でお茶を飲んでいたときのことだった。仕事に行ってくると出掛けたはずの彼が数分もしない間に帰宅し、急に予定が変わったのだと不機嫌そうにお茶を所望したのだ。さっき入れたわたしのお茶が冷めるな、と思いながら彼の分を用意する。

この部屋にはわたしと彼の湯呑みが置かれており、ついでにティーポットも存在する。喉が渇く度に針のむしろである共用の台所に行くのはごめんだったからだ。どうぞ、と差し出したお茶を彼が熱さに顔を顰めながら啜る。それを見て、わたしも少し冷めてしまった自分のを一口飲んだ。

「……?」

途端に覚える違和感。なんか、いつものと味が違う。このお茶はわたしが自分でつくっているものだ。そうそう味が変わるとは思えないのだが。

「……ねぇ直哉様。今日のお茶、いつもと味が違いませんか?」
「いや、そうは思わんけど?いつも通りの味やで」
「そうですか……」

わたしの味覚がおかしいのだろうか、と考えたところで突然胃液が逆流するような感覚に襲われた。ぱっと手で口を抑える。何これ、死にそう。どうしよう。

「どした?」
「……っ、」

様子のおかしいわたしに直哉様が問いかける。しかし何も答えられず、わたしは青い顔をして必死に吐き気と戦っていた。視界がぼやけている。彼が近寄ってくる気配を感じたが、振り向くこともできない。

「なんやこれ」

視線の先でわたしの湯呑みを持ち上げた彼が低い声でそう言った。と同時に、縁側へ続く障子戸を勢いよく開き、わたしを抱き上げて外へ下ろした。

「おい吐け!これ毒や!」

毒という言葉にさぁっと血の気が引いた。ずっと胸のあたりが気持ち悪いのは続いているが、突然吐けと言われても無理だ。抑えていた手を離し、地面に手をついて荒い呼吸を繰り返すがどうしても吐けない。

「……しゃあないな」

そう聞こえたかと思うと、隣にしゃがみ込んでいた直哉様がいきなりわたしの口の中に指を突っ込んだ。舌の付け根あたりまで侵入してくる異物に耐えきれず、わたしは胃の中身を全て戻した。口内に嫌な酸っぱさが残る。

「……っは、ごめ、なさい」

とんだ迷惑をかけた上、醜態を晒したことに自己嫌悪している間、彼はわたしの背中を優しくさすりながら家の者に救急車を呼べと声を荒らげていた。


病院での診察により、直哉様が言った通りわたしは毒を盛られたということが確定した。幸い量が少なかったこととすぐに吐き出したのが良かったとのことで、一日の入院で済むこととなった。

「すみません、こんなことになってしまって」

彼に症状が出なかったということは、わたしの湯呑みに毒物が仕込まれていたに違いない。行き過ぎた嫌がらせといったところだろう。まさか、殺されかけるとまでは思わなかった。ここで死んでいれば、この偽装結婚も意味のないものへと成り下がっていた。

「……君のせいちゃうやろ。下手人もある程度目星ついとるわ」
「下手人って、そんな……」

彼の口から飛び出した物騒なワードにわたしは思わず眉根を寄せた。当然腹立たしいし、許せないが、自分が正式な手順で妻となったわけではないことがどことなく後ろめたくて、相手を責めるに責めきれないところがあるのだ。そんなわたしを見て、彼は大きなため息をついた。

「寛大なんは何よりやけど、そんなんではいつか死ぬで」
「お気遣い感謝します。ですがこれは、わたしの事情なので」

関わらないでくれと暗に伝えると、彼はチッと舌を打った。それ以上何も言わないあたり、どうやら了承してくれたらしい。実に歪な関係性だ。

「色々とありがとうございました。直哉様がいなかったら、わたし死んでたと思います」
「せやろな。運が良かったなぁ、俺の予定が変わって」
「えぇ、そうですね」

彼の言う通り、わたし一人であれば理由も分からないまま我慢を重ねて死に至っていたかもしれない。毒を盛った人達も、彼の予定変更は計算外だったに違いない。ましてや、直哉様がああも必死にわたしを助けるなどとは思いもしなかっただろう。

正直わたしも驚いた。彼が声を荒らげているところを初めて見たのだ。持ってこさせた水でわたしに口をすすがせ、救急車が到着するまで彼の腕の中で抱かれていた。あの時のことは服毒による幻覚だったと言われても信じてしまいそうなほど、普段の直哉様からは考えられない様子だった。

存外愛情を注がれているのかもしれないと、少し自惚れるのも仕方がないと思う。



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