縋りつく4


「最初は……遠回しに嫌味とか不満を言われる程度だった。相手は先輩だから強く言えないし、腹は立つけど些細な事だから、上司にも報告はしなかったけど」
「………」
「そのうち他の先輩も、露骨に態度が変わってきたんだ。そのあたりからおかしくなった。数人が集まって結託すれば、やっぱり強いからさ。陰口だけじゃ足りなくなったんだろうな」

 そう言いながら自嘲気味に笑う。

「……何されたの?」
「ありきたりな嫌がらせだよ。無視されたり、不必要な雑用を押し付けられたり。業務メールも俺だけ回ってこないから、仕事に支障が出るようになって」
「………」

 確かにありきたりな内容だ。けれど本人にとっては、よくある話で済ませられる問題じゃない。業務に必要な情報や書類がなければ仕事の進めようがないし、クライアントとの商談もスムーズにいかないだろう。最悪、大事な顧客を失いかねない事態だ。

「……そこまでされても上司に報告しなかったの? 仕事に支障が出る程の状態なら、上に相談すれば会社側も放っておかないでしょ」

 プライドの高い秋山のことだ、部署内でモラハラを受けているなんて誰にも知られたくはないだろうし、先輩方から悪質な嫌がらせを受けていることが恥だと、そう思っていたとしてもおかしくはない。
 それでも精神的苦痛がない訳じゃないし、追い詰められた秋山が救いを求めるとしたら、それは自分を主任へ推薦してくれた、絶対的な信頼を置いているあの上司だろう。

 ……けれど実際は救ってくれなかったから、秋山はこんな状態になっている。

「……報告したよ、したけど……ッ、俺の言葉なんて、はなから聞き入れてくれないんだよ、あいつらは!」

 突然の怒声に体がビクッと震え上がる。急に声を荒げた秋山が、勢いよく立ち上がって私の両肩を強く掴んだ。そのまま後ろに押し倒されて、柔らかなマットレスに背中が深く沈み込む。

 馬乗りになった秋山は、容赦ない力で私の体を上から抑え込んできた。ずっと耐えていたものが一気に崩壊したのか、怒りに満ちた瞳で私を見下ろしてくる。さあっと血の気が引いて頭が真っ白になった。こんな風に、ベッドに押し倒されて乱暴された記憶が脳内にフラッシュバックする。2年前と状況が、同じ。

 一瞬にして後悔した。やっぱりこの男を部屋に連れ込むべきじゃなかったと。

「アンタ、また……ッ!」
「違う!!!」

 即座に放たれた否定の言葉が、必死に秋山の体を退かそうとしていた私の動きを止めた。
 秋山は眉間に皺を寄せて、苦悶の表情を浮かべている。

「なんでだよ……ッ、なんで俺がこんな目に遭うんだよ!? 俺が何したって言うんだよ!? なんで真面目にやってる奴が損ばかりするんだよ!? おかしいだろこんなの!!」
「痛っ、」
「なあ!! 俺間違ってないよな!?」

 ギリッと肩に指が食い込んで、鋭い痛みに顔をしかめる。堪らず声を上げても、秋山には私の声が届いていないようだ。手の力が弱まることはなく、尚も怒声は続く。

「クソな事して憂さ晴らしする時間があるなら、もっと他にやることがあるだろうが!! 不満があるなら実力で俺に勝てばいいだけだろ!?」

 秋山の言うことは最もだ。でも、たとえ人並み以上の努力をしたとしても、秋山を越えることができる人間なんて早々現れはしないだろう。実力で勝てばいいなんて秋山は言うけれど、それこそ簡単な話じゃないんだって、そう訴えたところで今の秋山には話が通じなさそうだ。だから私は口を噤むしかなかった。

「あのボンクラ野郎共が、揃いも揃って姑息な真似ばっかしやがって……っ、お陰で仕事も捗らないし、契約も切られるし、顧客の信頼も失って離れるわで散々だった! 周囲の目も変わってきて悪い噂もたつし、収入も減るし……っ、んだよ……なんなんだよっ、マジでっ!!」

 怒濤の勢いで胸の内を晒し、思いの丈を吐露する秋山に何も言えなくなった。秋山を傷つけてやる、なんて思っていたくせに、真っ向からぶつけられた怒りの言葉に気持ちが削がれてしまった。

 今の秋山に、さっきまでの弱り切った雰囲気は微塵も感じられない。怒り狂った声が空間を震わせ、息を切らしながら肩で呼吸する男の瞳は、よく見るとうっすらと充血していた。
 目の下には隠しようもないクマも出来ていて、綺麗だった肌もすっかり荒れている。恐らく、ずっと眠れていないのだろう。こんなに荒れて情緒不安定な状態が続けば、不眠になるのも頷ける。

「……あの上司は何もしてくれなかったの?」

 こんなことを尋ねるのも愚問だ。秋山は言ってたじゃないか、自分の訴えは聞き入れてもらえなかった、と。
 ここまであからさまなモラハラが部署内で行われていれば、さすがにあの上司も気付くはずだ。隠しきれないと思ったから、秋山自身もプライドを捨てて、モラハラの実態を報告したのだろうから。
 なのに、何もしてくれなかったのだろう、あの人は。聞かなくてもわかることだ。
 そして案の定、秋山は苦しそうに顔を歪めた。

「───『お前の気のせいだろ』って。それしか言わねえよ、あの上司は」

mae表紙|tugi



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