地に堕ちた成功者3


・・・


「───最悪っ……、マジで最悪。アンタに借り作るくらいなら死んだ方がマシ」
「……借りでも何でもいいから家まで送らせてくれ」
「1人で帰れるって言ってるでしょ!?」
「無理だって。足捻挫してんだぞ」
「……っ、」

 ……ムカつく。ムカつくムカつくムカつく。何も言い返せない事が本当に腹立だしい。自分の不注意で怪我してしまったとはいえ、秋山の助けを借りなければ歩くことも出来ないなんて、自分の右足を心底恨む。いや、そもそも秋山にさえ出会わなければ、こんな被害を被ることもなかったのに。

 そう、この男は性懲りもなく、また私の前に姿を現したんだ。

 秋山と再会した翌日。バイトが固定のシフト休だった私は、胸に残るモヤモヤ感を解消したくて外に出た。昨日の豪雨が嘘みたいな快晴で、雨上がりの澄んだ空気は瑞々しくて気持ちがいい。次第に不快感も薄れていき、趣味のカフェ巡りを楽しんでいた矢先にこの男に出くわしたんだ。

 浮上していた気持ちが途端に急降下する。気分をリフレッシュする為にここまで来たのに、どうして出掛け先でモヤモヤの要因と鉢合わせなければならないのか。しかも秋山には驚いた様子もなく、平然とした顔で私に声を掛けてきたんだ。多分、カフェの外で私を待ち伏せしていたんだろう。もしかしたら尾行されていたのかもしれない。どっちにしても気分が悪い話には違いない。

 秋山が口を開こうとした直前、私は反射的に身を翻した。背後から何かを叫ばれた気がしたけれど、構わず帰り道をずんずん進む。もう会う気もなかった男だ、何を言われようが、面と向かって話をする気はさらさらない。とにかく早く立ち去らなきゃ───そう思って足早になっていた私の体は、不自然に前のめりになっていたんだ。今日に限ってヒールの高い靴を履いていたことを忘れていた。結果、派手に転んだ。
 昨晩の雨で足場が滑りやすくなっていたのも運が悪かった。こけた瞬間、直感的にヤバイと悟っても受身を取る方法なんて知らない。重力に逆らえずそのまま転倒した際に、右足首にズキリと激痛が走った。
 咄嗟に足を抑えて蹲る私の元に、秋山が息を切らして駆け寄ってくるのが気配でわかる。最悪だ、こんな醜態をコイツにまで見られるなんて。周囲からの視線を一斉に浴びて、恥ずかしさと悔しさで目頭が熱くなる。しかも捻った足首が痛すぎて、立ち上がる事もできない。結局アイツの車で病院へ行く羽目になった。
 診察の結果は軽い捻挫。とはいえ、捻挫というのは靭帯損傷や骨折を伴う危険もあるから軽視してはいけない疾患。腫れを防ぐために箇所を冷やし、動かさないように固定してもらえれば後は会計を済ませるだけだ。タクシーで帰宅しようとしたら、私を待っていたらしい秋山が家まで送ると言い出した。

「いい、1人で帰る」
「……俺のせいで怪我させたようなものだから」
「私が勝手に転んだだけ。アンタには関係ない」
「歩けないだろ、1人で」
「歩ける」
「タクシー代だって勿体無いし」
「金なら余裕で持ってる」
「……家まで送らせてくれ。送ったらすぐに帰るし、2度と吉岡の前に現れないから」
「………」

 その主張に信憑性は全くない。けれど確信はあった。昨日秋山は私に言ったんだ、私達の上司の件で話がしたい、と。
 その話で秋山が納得なり解決なりすれば、今度こそ私に近づいてくる事はないだろう。その希望的観測に賭けるしかなかった。

 秋山に肩を借りる形で後部座席に乗り込む。私が大人しく乗り込んだのを見届けてから、秋山は運転席へ移動した。
 車がゆっくりと走り出す。車窓を流れる景色を眺めていても、右足首に残る鈍痛に意識が集中してしまう。気分も滅入るし、余計に体がしんどくなる。

「……アンタ、なんであそこに居たの」

 気が紛れるかと思い、話しかけてみる。ミラー越しに見えた秋山の表情は、僅かに動揺したような色を見せた。

 私が秋山と鉢合わせたのは、カフェで会計を済ませたすぐ後だ。店を出ると同時に声を掛けられた。
 そのカフェというのも、いかにもインスタ映えしそうな華やかな店内と、きらびやかなフルーツデザートが人気の可愛いフルーツカフェ専門店。若い女の子達しか立ち寄らないようなところなのに、この男がそのカフェ目的の為にあの場にいたとは思えない。

「……吉岡の家に行こうとしたんだけど、その途中で、吉岡があのカフェに入っていくところを見かけたから」
「ふーん。それで外で待ち伏せしてたの。強姦魔から今度はストーカーってわけですか」
「……悪い」
「………」

 ……それは、何に対しての謝罪なのか。待ち伏せしてた事なのか、2年前に私を犯した事に対してなのか。問い詰めたい気持ちもあったけど、足首から響く痛みに声を出す気力すら奪われていた。
 会話を交わすのも億劫になって、結局何も言わず口を閉ざす。秋山も喋らないから、車内は不気味な静寂で包まれていた。

 ……少しは言い返せよ。
 息苦しいんだよ、アンタの空気。

「……もう少しで着くから」

 秋山の手がハンドルを切り、見慣れた通路に差し掛かったところで考えた。家にもうすぐ着くという事は、秋山との別れも近いってことだ。私を家まで送り届けたら帰ると言ってたし、私も早くコイツと離れたい気持ちが強いけど、まだ秋山の口から、肝心の上司の話を聞いていない。あの件をうやむやにしたまま別れて、またコイツが突然私の前に現れでもしたら面倒だ。それなら今日、全部話してもらった方がいい。

 でも、どこで話す?

 母親はバロンと一緒に父の元へ向かったから、恐らく夜まで帰ってくることはない。だから家に誘って話をすることも出来るけど、正直この男を家に上げるのは抵抗がある。嫌いな男を家の中に入れたくないし、それ以前に、コイツは過去に私をレイプした男だ。そんな男と2人きりになる状況は避けた方がいいってことぐらい、私でもわかる。
 でも、じゃあこのまま車内に残って話し合うのも考えものだ。秋山と一緒にいるところを近所の人に見られるのは嫌すぎる。なら近くの公園に行って……いや、時間的に主婦が子供連れで来ている可能性が高い。
 ……駄目だ。家以外に話す場所ないじゃん。

「秋山」

 苦渋の決断だけど仕方ない。身の危険より、近所に秋山の事を知られる方が困る。何故なら私は既に、孝之さんと一緒にいるところを近所の人達に目撃されているから。今度は別の男と一緒にいた、なんて噂を立てられたら、母親まで変な目で見られかねない。これ以上私のせいで、母に迷惑かけたくない。

「……あの上司のことで、私と話したいって言ってたよね」
「……ああ、言った」
「いいよ、聞いてあげる。でも近所の人に見られたくないから、家に来て」

mae表紙tugi



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