地に堕ちた成功者1


「……秋山……なの?」

 人違いであればどんなに良かっただろう。
 けれど見間違いなんかじゃない。他人の空似でもない。2年前と変わらない姿で、秋山は私の前に現れた。

「……久しぶり」

 記憶に残る声も2年前と変わらない。
 認めたくはなかったけれど、コイツは確かに秋山だ。私が犯した不正を暴き、ホテルに連れ込んで乱暴を働いた酷い男。あの日受けた陵辱の記憶が鮮明に甦る。
 相変わらず端正な顔立ちは健在だけど、妙な違和感も抱く。もしかして痩せた……というより、やつれた? シャープな顎が、もっと細くなっている気がする。

 いや、それよりも。どうしてこの男が此処にいるんだろう。何で急に現れたんだろう。あの会社と私はもう無関係のはずなのに、今更解雇された人間に何の用があるっていうのか。
 胸に湧く疑問はめまぐるしく脳内を駆け巡るのに、そのどれもが音として私の口から出てこない。完全に言葉を失ってしまい、金縛りにあったかのように動けなくなっていた。

 周囲には私達以外誰もいない。
 幸か不幸か、近所の人や車が通る気配すらない。
 冷たい雨はしとしとと降り続け、傘もささずに歩いてきた私の髪や衣服を濡らす。肌にじっとりとへばりつく、湿った布が気持ち悪い。
 ただただ重苦しい空気だけが漂う。
 先に沈黙を破ったのは、秋山の方だった。

「……急に来て悪かった。連絡先も知らなかったし、知ってても会ってくれないと思ったから」
「………」
「……元気……だったか…?」

 ───よくもまあ、そんな呑気な挨拶が口に出せるものだと感心する。
 2年前のあの日、私の身体を散々いたぶって弄んだ一夜の出来事を、この男だって忘れてはいない筈だ。わかっていながらこんな台詞を吐けるのだから、呆れて物も言えない。元気だったか、なんて、そんなの元気に決まってるじゃない。お前に会う直前までは、それなりに充実した毎日を送っていたのだから。

 心の中で思いきり悪態ついても、私の罵倒は秋山には届かない。皮肉めいた言葉が零れてしまいそうになるのを、唇を噛み締めることで我慢した。口に出してしまったら、また喧嘩になることは目に見えている。それでは2年前と何も変わらない。

 頭上から打ち付ける無数の滴が、私の薄いコートの上から、徐々に体温を奪いつつある。
 寒さに耐えきれなくて、仕方なく口を開いた。

「……何の用?」

 互いに沈黙を貫いていても状況は変わらない。
 このまま道路の真ん中で立ち往生されるのも迷惑だし、この場を近所の人に見られたら余計に厄介だ。変な噂でも囁かれたらたまったもんじゃない。なら、さっさと用件を話して立ち去ってもらう方がいいに決まってる。

「……話したいことがある」
「話したいこと?」
「……ああ」

 神妙な面持ちで秋山が頷く。もったいぶるような言い方に、私はつい眉をひそめた。
 なかなか本題を切り出そうとしない秋山の態度が鼻につく。

「……吉岡にとっては、キツイ話になるかもしれないけど」
「回りくどい言い方やめて。さっさと話せば」

 苛立ちを隠せないまま先を促す。
 曇天が晴れそうな気配はなく、色濃い灰色の雲が空を覆っていく様が見えた。
 鎮まっていたはずの風も、再び強く吹き荒れてきている。これ以上長居はできない。また酷い雨風に晒されるなんてまっぴら御免だ。

 正直なところ、雨風を凌ぎたいなら屋内に避難すればいいだけだ。
 でも、秋山を家の中に入れるのは絶対に嫌。
 冷たい人間だと蔑まれてもいい、誰だって嫌いな異性が、自宅にまで足を踏み入れるなんて生理的に受け付けないだろう。

「……吉岡。俺らの上司のこと、覚えてるか?」

 秋山の一言に、苦々しい記憶が一瞬にして駆け巡った。

mae表紙tugi



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