落ち着かない 水森さやかは基本的に笑わない。 と言っても、不機嫌だとか愛想が無い、という訳ではない。どちらかといえば社交的な性格で、誰かと会話を弾ませている姿も、社内でよく見かける。 嬉しいときは頬がほんのり紅潮するし、びっくりした時は目を少し見開いて、表情も変わる。すごく、わかりづらいが。 いつも無表情に近いが、それでもひとつひとつの感情に、僅かな表情の変化はある。ただ微弱な変化なので、所見だと気づきにくい。 本人が喜んでいても笑みにならない程だ。 つくづく、変わった子だと思う。 見た目は可愛い。 背も小さい。 喋り方が舌足らずなのは、人に──特に女子に反感を抱かれやすいが、水森の場合、まず男に媚を売らない。 それでいて、あのサバサバした性格の持ち主だ。同性に嫌われるような要素が見つからない。 また、彼女はたまに変な発言をする。 変というのは、例えば親父ギャグを連発したり下ネタトークを展開させたり、男以上に漢らしい発言をしたり。顔に似合わず言う事がズレていて、大胆だ。 そして行動にも迷いが無く、常に淡々としているのが水森だった。 例えば夕食のメニュー然り、服装然り。女が延々と悩んでいそうな事も、彼女の場合はまず迷う事がない。決断力が早く、目の前にある課題や問題事も、難なくサクサクと裁いていく。 その清々しさと言ったらない。 優柔不断ではないという事だ。 可愛いのに無表情、そしてサバサバした性格と大食いキャラという意外性が、男性社員のみならず女性社員、はたまた上司から面白がられている。 お陰で水森は、アジュールのマスコットキャラ的な位置付けで、みんなに好かれているようだ。 ・・・ 水森と知り合って1ヶ月ほど経った頃。 エントランスで、彼女と清水課長の姿を見かけた。 俺より少し前に出社してきた水森を課長が見つけて、声を掛けてきたようだ。 「おー水森。おはよう」 「清水課長。おはようございます」 爽やかな笑顔を披露する課長とは逆に、水森はやっぱり無表情のままだ。 「今日もチビで無表情だなー」 「これが私のキャラです」 「ちゃんと朝ごはん食べたか? 歯磨いたか?」 「磨きました。歯磨き後はフロスで歯茎をシコシコキュッキュしました。ぬかりはないです」 「そうかそうか。えらいぞ水森。でも男の前でシコシコとか言うのはやめような」 「はい」 ……朝からなんつー会話してんだよ。 軽くセクハラだろ。 冷めた顔で内心突っ込む俺をよそに、2人の周りに女性社員が集まってくる。 輪の中心にいる水森を見ていた俺に、背後から同僚の1人が話しかけてきた。 「おっす。何してんの桐谷クン」 「なあ、あれって」 「うん? あ、ミズキチちゃんと清水課長じゃん」 ……ミズキチ? 「水森だろ?」 「うん。ミズキチちゃんって、あだ名な」 「あだ名?」 「本人が言ってた。小学生の頃から、あだ名が『みずきち』なんだとさ」 軽快に笑われて、胸に苦いものが広がる。 あだ名を知った経緯よりも、『本人から聞いた』という発言に反応してしまった。 「……なに、お前仲いいの」 「すれ違ったら話す程度だよ。ミズキチちゃん、誰とでも仲いいから皆に好かれてるし。友達多いんじゃない?」 「ふーん……」 「人気あるぜ、あの子。あ、人気って男にモテるとかじゃなくて。面白すぎるキャラだから」 「ああ……そういう事」 まあ、それはわかる、けど。 水森がああいうキャラだって知ってるのも、仲いいのも、俺だけじゃなかったんだなって。 当然と言えば、当然だけど。 なんとなく、面白くない。 「まあ、実際狙ってる奴もいそうだけどな。可愛いし」 「……」 「俺先に行くからなー」 「……おー」 やっぱり聞くんじゃなった。 朝から気分悪い。 その場から動けずに呆けてる俺の前で、同僚はエレベーターに乗り込み、さっさと4階へ上がっていく。 いつの間にか清水課長もその場を離れていて、水森の周りにいた女性社員も散っていく。 その場に残っていた彼女も、エレベーターへと歩きだそうとして──不意に、後ろを振り向いた。 思わず心臓の音が跳ねる。 目が合った瞬間、水森は驚いた表情を見せた。 俺が出社してきた事に、今気づいたらしい。 「ふおおおぉ。キリタニさんっ」 「……?」 かと思えば、今度は謎の奇声を発しながら両手を前に突き出して走ってくる。真顔で、だ。 何事かと思いながら、俺も同じように真似てみる。近づいてきた彼女の両手が、ぱちんと俺の両手と重なって音を弾いた。 唐突のハイタッチ。 「キリタニさん」 「はい」 「おはようございます」 「おはよう」 「聞きました。A社との契約、キリタニさんが結んできたって」 「ああ、それか」 「それです」 興奮やまぬ様子で、水森は身を乗り出してきた。 それは、互いに手を組んだ後日のこと。 彼女は【ある情報】を俺に教えてくれた。 その情報を元にすぐ行動を起こした結果、世界的にも有名なキャラクターを生み出した大手企業のA社と、版画作品の独占販売契約を結ぶことに成功した。 今までにない、大きな実績だ。 「すごいです、あのA社だなんて。上層部の方々はみんな諦めていたと、課長が言ってましたよ」 「持ち上げすぎだって」 そもそもこれは、水森の情報があってこそだ。 彼女が事前に教えてくれなければこの契約も無かったし、A社と繋がりを持つことすら出来なかった。 「そのお話、ぜひ聞かせてください」 「いいよ。じゃあ今日の夜、いつもの場所で」 「はい。楽しみにしてます」 そう言って、水森は俺から離れた。 他のマーケ社員と挨拶を交わし、共にエレベーターへと乗り込んでいる。 1人置いてけぼりをくらったような心境に陥っている俺は、その後もモヤモヤとした気分を抱えたまま、定時までの時間を過ごした。 トップページ |