別れの予感


 春の触れ方は、基本的にゆっくりだ。
 激しく攻め立てる訳でもなく、本能のままに動くわけでもない。
 でも、だからといって受身というわけでもない。
 どちらかといえば、春は性行為そのものより、ただくっついてる方が好きなんだと思う。
 相手に快楽を与えるのではなく、互いに温もりを分かち合うような。

 私はキスも、それ以上の事も、初めての相手は全部、春だった。
 というか、彼以外の人と行為に至ったことがない。
 春とは何度も身体を重ねてきたけれど、まだ一度も、絶頂という経験を味わった事が無い。
 スローペースで事に及ぶ春の愛撫に、そこまでの刺激が望めないからだ。
 もしかしたら、イかせたいという欲自体、春にはないのかもしれない。

 けれど、不満なんて何も無かった。

 彼がくれるキスも、愛撫も、これ以上ないくらい優しくて、芯が蕩けそうになるくらい気持ちがいい。
 性行為においてイク事が全てじゃない、互いに心が満たされているのなら、それでいいんだと思う。
 触れ合う肌を通して、春がそう教えてくれた。



 春と一緒に過ごす時間が好きだった。

 眠りに落ちるような心地のいいまどろみが私を包み込んで、安心感を覚える。私の心をゆっくりと解きほぐして、優しい感情で満たしてくれる。
 私にとっての春樹という人は、そんな不思議な魅力を持つ男の子。


「……春は、さ」

「……うん?」

「あんまり、えっちな事しないよね」


 キスの合間にそう問いかけたら、春はぱちりと目を瞬かせた。
 ちょっと、ストレートすぎたかな。


「現在進行形でしてるけど……」

「そうじゃなくて……なんて言うかな。春の部屋に来ても、ベッドでダベったり、くっついてゴロゴロしてる時間の方が多い気がする」


 現に今も、そんな状況に近い。


「あ、そういう事か。そうだね、そっちの方が多いかも」

「がっついてこないよね」

「格好悪いとこ見せたくないし……あとは、優先順位の問題かな」

「優先、順位?」


 はたり、と今度は私が瞬きを落とす。


「そういう事って、くっついたりする上での延長上みたいに、俺は考えちゃうから。そこで満足しちゃうと、後はもういいや、ってなるかな」

「……なんか、春らしいね」

「もしかして物足りない?」

「うーん……」


 物足りない、なんて思ったことはない。
 それを正直に言っていいものなのか迷う。
 春が気を悪くしないかな、と躊躇してしまう。


「俺、がっついたほうがいい?」

「ううん、今のままの貴方でいてください」

「ホントにそう思ってくれてる?」

「思ってるよ。私、春とくっついてゴロゴロするの好きだから」

「俺も、もかと一緒にいる時間、好きだよ」


 その一言に、嬉しさが込み上げてくる。
 溢れてくる感情のままに笑顔を見せれば、春も嬉しそうに笑った。
 私が感じている事を、相手も同じように感じてくれている。それが、こんなにも嬉しい。


 春の部屋に来てから、かれこれ1時間以上はたっている。
 夜も更けた深夜に春の部屋へお邪魔するのも、もうすっかり慣れた。
 彼とこうして身体を重ねることもあれば、ただ寄り添って他愛のない話をして終わり、な時もある。


「ちなみに俺、今日はね」

「……?」

「物足りない気分なんだ」

「……春」

「もかが足りない」

「………」

「だから、続きがしたい」


 照れくさそうに笑う春が可愛くて、私も小さく頷いた。

 肌を撫でられる感触に、体は熱を帯びる。
 目を閉じて、彼から与えられる快楽を受け入れた。





 春とは、一生一緒にいたいと思える人、という訳ではなかった。



 少しだけ寂しさを感じたときに、誰かと一緒にいたいと思った時に、同じように思っている人が傍にいた。
 それが春で、だから私は彼と夜を過ごしている。
 何より春も、同じ事を望んでいるから。
 だから私達の間に、恋愛感情なんて存在しない。

 じゃあ一緒に居られるなら誰でもいいのかと聞かれたら、答えはNOだった。

 春じゃないとだめ。
 私にはもう、春じゃないと駄目な理由が存在してる。


 春といると、ぬるま湯に浸かっているような気持ちよさがあって、彼自身が作り出す居心地のいい空気はじわじわと、心までを侵食してくる。
 その場に留まらずには、いられなくなる。
 離れようと思えばできるのに、できない。
 離れたいという感情すら抱けない。
 春には、そんな中毒性があった。

 そして私は、その中毒に浸かってしまっている。
 人はそれを、依存っていうんだろう。


 それ以前に、この温かくて優しい男の子を拒む理由なんて私には無くて、拒否する術も知らない。


「……もか、いれていい?」

「……うん」


 愛撫され尽くした身体は、すっかり蕩けきっている。
 頬が熱い。
 腕を動かして、額の汗を拭う。
 蕩けた身体の奥底で燻る、熱の行きつく先なんてひとつしかない。


 サイドテーブルに置いたままの小箱に、春の手が伸びた。
 彼の準備が終わるまで、私は息を整えながら、束の間の休息を得る。
 窓際に視線を移せば、閉められたカーテンの隙間から月光が差し込んでいる。
 青白い一筋の光が、薄暗い部屋を淡く照らしていた。

 再び、ゆっくりと覆い被さってきた彼を、直に受け入れた箇所がひどく熱い。
 下腹部を襲う圧迫感に、息が詰まる。
 挿れられた直後に感じるこの違和感だけは、何度経験しても慣れることができない。


「……っ」

「……ごめん、痛い?」

「……痛くない、けど」

「ん?」

「………お腹がくるしいです」

「はは」


 わざと茶化せば、春は小さく笑った。
 私もつい笑みが漏れる。
 迫りくる甘ったるい快楽に、意識が飲み込まれる寸前まで、私は瞳を閉じながら待った。





 春の望むことは何でもしてあげたいと、いつも思ってる。


 両親が亡くなった日。
 失恋してしまった日。
 私が寂しさで押し潰されそうだった時、春はいつも傍にいてくれた。隣にいてくれた。

 たから私も、春が寂しいと感じていたら隣で寄り添ってあげたい。
 肌恋しいなら、私が満たしてあげたい。
 望んでくれるなら、いつも一緒にいてあげたい。

 私の中の春の存在はそのくらい大きいのに。
 そこまで思えるほどに、大切な人なのに。


 どうしてだろう。
 どうして私は、彼を恋愛対象として見られない立場なんだろう。


 私と春はイトコ同士で。
 家族で。
 それ以上でもそれ以下でもない。

 春との間に恋愛感情は存在しない。
 しちゃいけない。
 私は春の家族以上の存在には、絶対になれない。


 その事に、ある日突然、気づいてしまった。


 悲しかった。
 苦しくて苦しくて、心が泣き叫んでた。
 胸が締め付けられそうなくらいに痛くて、その痛みは、初恋が実らなかった時に味わった痛みとよく似ていた。


 いつから、なんてわからない。
 覚えていない。
 でも、私は。
 春のことが、男の子として好きになっていた。



「あ……っ」

「……もかの中、気持ちいいね」

「……んっ、動いて、いいよ」


 私が落ち着くまで、ずっと待っていてくれる春は本当にどこまでも優しい。

 春の彼女になれる女の子は、きっと幸せになれるだろうなあ。
 そんな事をふと考えて、そんな日が来ればいいなと望む自分がいる。

 春には幸せになってほしい。
 私じゃなくて、他の誰かと。ずっと。


 でも、今は。
 そんな日が来るまで、もう少しだけ、ここに留まっていたい。甘えていたい。
 来年の、桜の舞う頃。
 このぬるま湯みたいな関係を、私は断ち切らなければならないから。


「あっ、ん……春……っ」

「……可愛い。もか、好きだよ」

「っ、うん……わたしも、春が好きだよ」


 ゆっくりと動きながら交わされる告白は、まるで恋人同士のようで。
 でも私達の『好き』に、特別な意味なんてない。
 その場を盛り上がらせるためだけに口から零れ落ちる言葉。雰囲気作り。
 でも、それで良かった。

 恋愛とは違うけれど、もっと別の、深いところで私達は繋がっている。そう思うから。

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