家族以上、恋人未満1 ―――翌朝。 寝ぼけ眼をこすりながら浴室を出る。 着替えた後は、居間へと足を向けた。 フラフラした足取りで、ソファーに腰を下ろす。 「あー……、ねむい」 ぐったりともたれ掛かる。 寝起きの声は掠れてしまっていた。 後ろに体重を掛ければ、脱力しきった体はそのままズルズルと横に傾いて、ぺたんとソファーに寝そべってしまう。 仰向けになれば、アンティークな造りの掛け時計が目に映った。 6時まであと数分、といったところ。 昨日の夜は春とベッドでまどろんで、その後自室に戻ってから、もう一眠り。 本当はすぐにシャワーを浴びたかったけれど、疲労の溜まった身体は眠りを必要としていた。 睡魔には勝てずベッドに横たわり、目が覚めれば朝の5時。 シャワーを浴びた後は部屋に戻らず、ここで1人、くつろいでいる。 どうせ今日は土曜日で、学校は休みだ。 のんびりしていても問題はない。 微妙にダルさの残る身体。 それは久々に味わう、充実した疲労感。 体だけの関係で見れば、もう3ヶ月くらい春とは疎遠状態だった。 各校とのバスケの練習試合、そこに高体連が重なり、それが終われば引退と共に、新キャプテンへの引継ぎと指導が待っている。 お陰でここ数ヶ月は忙しい日が続いていて、春と一緒に過ごす時間すらなかった。 部活の主将は色々と大変な目にあうと、去年の今頃、当時主将だった先輩から直接伺っていたけれど、正直これ程だとは思っていなかった。 特に私と春が通う今の高校は、県有数のスポーツ強豪校だ。 高校バスケにおいても毎年好成績を残しているから、学校側としては、後釜にもきっちり指導を入れたいのだろう。 全てが終わった頃、季節は秋を迎えていた。 互いに触れたいと密かに思ってはいたけれど、私には時間的にも精神的にも、余裕がなかった。 春もそれに気付いていたのか、私を誘うことはしなかった。 気を遣ってくれていたんだと思う。 「……ていうか、ほんと」 春との事、どうしよう。 自分の中でどうしたいのかは決まってる。春の為にも、この曖昧な関係をいい加減に断ち切るべきだ、って。 もう少しだけこの関係を続けたい、そうは思っても、いつまでもズルズル引きずっていい訳がない。 長引かせた分、自分が辛くなるだけだから。 受験に合格すれば、春は来年から大学生だ。 仲間と呼べる人はもっと増えて、人脈が広がって、いずれ恋人だって出来るかもしれない。 春にとって大切な人が出来た時に、私の存在が、この関係が重荷になってはいけない。 そうなる前に、春まで辛くなる前に、この関係を終わらせた方がいい。 でも、どう伝えればいいのだろう。 どのタイミングで言えばいいんだろう。 それが、ずっと私の頭を悩ませている。 来年は郁兄も春も、この家を出て行く。 そして残される私も、いずれこの家を出ようと思ってる。 桐谷家に住んでいる以上、例のしきたりに従わなきゃいけない事もある。 でも、それだけじゃない。 両親を事故で亡くして、泣きじゃくる私を抱きしめて支えてくれた。 快く引き取ってくれて、家族同然に接してくれた桐谷のおばさんとおじさんに、恩返しがしたい。 私が費用の掛かる大学より就職を選んだのは、その為だった。 いつまでも、この家にご厄介になる訳にはいかない。早く自立して、働けるようになりたかった。 私は1人でも大丈夫だよって、桐谷のおじさんとおばさんを安心させてあげたかった。 それに1人暮らしって、ちょっと憧れだし。 「……おい。何してんだ、ばか」 「もかです。名前間違ってますよ」 「わざとだよ」 む、としながら声の主を睨み付ける。 ソファーの背もたれ越しに、冷めた目つきで私を見下ろしている郁兄の姿があった。 スーツをばっちり着こなしている姿は悔しいくらいに格好いい。 女の子達が騒ぐわけだ。 「え、郁兄、今日仕事なの?」 「休日出勤」 「はー……大変だね」 郁兄は休日でも、家に不在の時が多い。 その休日出勤とやらが会社の指示なのか、それとも郁兄本人の意思なのかはわからないけれど、社会人になるってこういう事なのかな、って現実を思い知る。 学生のうちは自由っていうのは、社会やに縛られないからなのかも。 「お前は? 部活引退したなら、早く起きる必要ないだろ」 「そうなんだけど、もう癖みたいになっちゃって」 なんて、軽い嘘をついた。 学校が休みだろうが何だろうが、バスケの朝練は当然ある。 だからこの時間に起きているのは、普段であれば当たり前の事だった。 けれど3年になって部活を引退した今、朝早く起きる必要はない。 だから今日、こんな早朝に起きているのは早くシャワーを浴びたかったからで、つまり春との情事の所為なんだけど、当然郁兄に言えるわけがない。 だから朝早くに目が覚めるのが癖になったからだと、咄嗟に嘘をついた。 その嘘自体に違和感はなかったと思う。 郁兄本人も疑うことなく、興味なさげな返事だけを残してリビングへと行ってしまった。 起き上がって、その背中を黙って見つめる。 「……うーん……」 改めて思う。 春と郁兄は、本当に性格が正反対だ。 優しくて自分より他人を気遣う春は、その性格故か、人より一歩引いてしまう癖がある。 逆に郁兄は、どちらかといえば自らが率先して先に動くタイプだ。 自分にも他人にも厳しい郁兄は、遠慮なしにズバズバとものを言って、自らの意見を貫こうとする。時には、強引に。 数年前の事を思い出す。 あれは確か、中学の学力テスト前。 春から直接勉強を教わっていたら、その光景を見た郁兄が、過保護すぎだと春に言い放った事があった。 『もかを甘やかすな。甘え癖がつく』 冷淡な一言に、春は困ったように眉を下げた。 『……でも、もかも問題解けなくて困ってるし』 『何でもかんでも全部教えようとすんな。それくらい自分で調べさせろ』 そう言い残して家を出て行った郁兄に、腹が立たなかったと言えば嘘になる。 でも今にして思えば、郁兄は何も間違ったことは言っていない。 確かに、ノートや教科書を見直せば自力で解けるような問題ばかりだった。 郁兄に言われて、春に頼りすぎている自分に気付けた。 郁兄の厳しい言い分にはちゃんと意味があって、それは少なからず、私の為になっている。 「ねえ郁兄」 「ん?」 「もし春に彼女がいたら、どうする?」 リビングに目を向ければ、インスタントのカップコーヒーを片手にした郁兄の姿がある。 眉間に皺を寄せて、はあ? と呟きながら私を見返してきた。 「ねえ、どう思う?」 「質問の意味がわからん」 「いいとか悪いとか、まだ早いとかなんか色々あるじゃん」 「早くはないだろ。春樹に女が出来ようが出来まいが俺には関係ないし」 「……それもそっか」 「なんでそんなこと聞くんだよ」 「別に。なんとなく」 何か、春との関係に見切りをつけるキッカケみたいなものを掴めたら。 そんな軽い思いつきで問いかけてみたけれど、その答えはやっぱり、掴めそうになかった。 郁兄は普段から口悪いし、無愛想だし、スパルタ教育だけど、私や春がヘコんでたり迷っていたら、叱咤するなり渇を入れるなり、郁兄らしいやり方で元気付けてくれる。 時には手厳しいアドバイスをして、遠回しに答えを導いてくれる。 何だかんだ言っても、郁兄は頼りになる存在。 私は図々しくも、郁兄に期待してたみたいだ。 でもこれは、春と私と、私の気持ちの問題。 やっぱり自分で考えるしかないみたい。 「難しいなあ……」 郁兄に聞こえないように呟く。 ぽすん、とソファーにもう一度寝転んで、小さく息を吐いた。 静寂な空間に、時を刻む音が響く。 無言のまま耳を澄ましていれば、ソファーの背もたれ越しに郁兄の顔が見えた。 手にコーヒーカップを持ったまま、ソファーの背の上で肘を組んで見下ろしてくる。 その真っ直ぐな目からは、何の感情も読み取れなかった。 「………お前さ、実は」 「なに?」 黙って耳を傾けるけど、郁兄はそれ以上、何も喋ろうとはしない。 私から目を背けて、中身が僅かに残ったコーヒーを飲み干している。 「いや、いい。なんでもない」 「え? 何。言いかけて止めるのは卑怯だぞ」 いつもストレートにものを言う郁兄が、途中で言いよどんで発言を止めるなんて、滅多にない事だ。 郁兄らしくない態度が逆に気持ち悪くて、私はもう一度問いかける。 「ねぇ、何言おうとしたの、今」 しつこく質問攻めをすれば、郁兄は観念したかのように溜め息をつく。 トップページ |