溺れる2


「もか、今お湯張ってるから。先に入ってもいいよ」

 部屋に戻ってきた春を見上げる。

「……もか?」
「……はるー」
「なに?」
「これボタン押しちゃった」
「………」

 事態を把握した春が、小さく溜め息をついた。
 うう、ごめんなさい。

「……もかはそのへん、触ったらだめ」
「……はい」

 叱られちゃったので、もかは従います。

 大人しく冷蔵庫を閉める。
 でも玩具はちゃっかり取り出しておいた。

「うわあ、すごい」

 謎の物体をまじまじと眺めてみる。
 クリアなピンクで出来たそれは、色は可愛いけど、形状がグロテスクなお陰で不気味な仕上がりになっている。
 ボタンらしきものを押せば、突然うねうねと動き出した。
 生き物みたい。きもちわるい。

「……へ、変なのっ!」

 電源をオフにしてから、ぽす、と布団の上に放り投げた。
 あんなもの使って気持ちいいものなのかな。
 よくわからない。
 もはやお気に入りとなってしまったふかふかベッドに乗り上げて、ぽす、と寝転がって顔を埋めた。

 なんだかな。ラブホに来てるのに、全然そういう雰囲気にならない。
 別に期待してたわけじゃないんだけど。
 なんか…………なんだろ。
 何が言いたい私。

 ぱら、と紙を捲る音が近くで聞こえてきて、顔を上げる。
 ソファーに座りながら、春はフードメニュー表を眺めていた。

「……春くん」
「なに?」
「全然えっちな気分にならない」
「そりゃ、あれだけテンション高かったらね……」

 呆れ口調で言う春は、上だけワイシャツ姿になっていた。
 ネクタイはちゃんと締めている。
 濡れてしまったブレザーは、ハンガーにちゃんとかけて干してあった。
 春はそういうとこ、私よりしっかりしてる。
 いい主夫になりそうだよね。
 私もブレザー脱いでハンガーにかけようかな。

「春、なんか食べるの?」
「いや。お腹は空いてるけど、今食べたら夕飯残しそうだからやめとく」

 コンビニで何か買ってこればよかったね、そう告げてからメニュー表を私に差し出してきた。
 手渡されたものは、さながらレストランのメニュー表のような仕上がり。どんぶりにスナック、ラーメン、デザート何でもござれ。
 カラオケのフードメニューよりも断然多い。

「もか、どうする? 食べる?」
「……ううん、私もいいや」

 メニュー表を春に返す。
 そうすれば、元の場所に戻してくれる。
 一息ついて、仰向けの状態でぼんやりと天井を眺めた。

 窓ひとつ無い個室。
 雨音も聞こえないし、外の様子なんてわからない。何室かは人が入っているようだけど、人の声も物音も全然聞こえない。
 お洒落な音楽が静かに流れているだけ。

 春がソファーから立ち上がり、浴室へ向かう。その後ろ姿を黙って見届けた。
 お湯、止めにいったのかな。

 時計もないから、針が時を刻む音もない。
 こんなところにずっといたら、時間も、曜日の感覚すら忘れてしまいそう。
 目を閉じて、春の帰りをひたすら待った。

 本当に、このまま何もしないで帰るつもり……なのかな。
 せっかく、家じゃない場所で春と2人きりなのに。



・・・



 何分ぐらいそうしていただろう。
 僅かにベッドが沈む感覚に気づいて、そっと目を開けた。
 浴室から戻ってきた春が、ベッドの端に座って私を見下ろしている。

「おかえり」
「寝てたの?」
「ううん、目瞑ってただけ」
「急に黙り込んだから、寝たのかと思った」

 スリッパを脱いで、春もベッドに乗り上がってくる。
 すぐ隣に来てくれて、頭を撫でられた。
 甘やかされている感覚に、胸が高鳴ってしまう。
 むくりと起き上がって、ブレザーを脱いだ。

「暑い」

 ぽふ、と枕元に向かって無造作に置く。

「暑い? 温度下げようか?」
「ううん、いい」
「もか」
「なに?」
「なんで拗ねてるの?」

 さっきからむう、と頬を膨らませている私の様子に気付いて、春が小さく笑った。
 なんで拗ねてるかなんて気付いてる癖に、わざと私に言わせようとしてる。
 また私に伸びてきた手が、今度は無遠慮に、ほっぺをふにふにし始めた。

「最近の春、ちょっと変」
「そう?」
「イジワル度が増した」
「そうかな」
「うん、変。すごく変」
「そんなに何度も言われたら傷つくよ」

 全然ショックを受けていなさそうな笑顔で言うから、私はますます拗ねてしまう。
 子供みたいだよね。
 わかってるんだけど。

 最近の春は、私への想いを隠そうとしない。
 普通に好きって言ってくるし。
 やきもちも妬くし。
 イジワルしてくるし。
 今だって、簡単に触れてくる。
 あと、ちょっと大人っぽくなった。仕草とか。
 一緒の歳なのに、なんでこんなに差が出ちゃうんだろう。
 なんで私はこんなに子供なんだろう。
 触れてきそうなのに触れてこない春に焦れて怒るなんて、本当に幼稚でどうしようもない。

 春の、余裕な態度ばかりが目に付いて、最近の私は翻弄されてばかりな気がする。
 大人になっていく春に、置いてけぼりにされている気がして嫌になる。
 焦燥感ばかりが募って、塞ぎこんでしまう。
 さっきまでのハイな私はどこいった。

 黙りこんでいたら、春の手が私の頬から離れた。
 ぽすん、と寝転がって「ほんとにふかふかだね」なんて呑気に言ってる。
 ずっとふさくれてるのも馬鹿らしくなって、私も春の隣に寝転んだ。
 しなやかな指先が、私の髪を掬い取る。

「……したい?」

 形のいい唇が、誘いを促す。
 横を向けば、目と鼻の先に、春がいる。
 主体性のないその一言が、何を言おうとしているのかなんて、聞かなくてもわかる。
 でも素直に頷けなくて、だんまりを決めてしまう。

 春の手が、ゆっくりと髪を梳く。
 気持ちよくて、私はとろんと瞳を細めた。

「もか」

 呼び掛ける声は酷く優しい。

「……春は?」
「ん?」
「したいの?」
「先に訊いたのは俺だよ」
「………」

 意地悪。
 そう文句を言いたいのに、口に出せない。
 春がしたいって言ってくれたら、私もいいよって、言えるのに。
 でも春は、私に言わせたいみたいだ。

 相手に望んでいるばかりじゃ、何も変わらない。
 私はいつも、「待ち」の態勢に徹して、自ら動いたことがない。
 春が望んでくれるから、する。
 その理由だけで、今まで春を受け入れてきた。
 でも違う。
 私だって望んでいたから、受け入れてきたんだ。

 視線を上げれば、優しい瞳と交わった。
 誰の前でも見せない、甘くて柔らかい笑み。
 ちょっとだけ首を傾げて、「どうする?」って無言で訊いてくる。
 その仕草が妙に可愛くて、頑なだった心は次第に解けていく。

「……したい?」

 もう一度問いかけられる。

「……したい」

 そう素直に告げれば、春も笑みを深くした。

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