溺れる3


「じゃあ、する?」
「……する」

 むすっとしながら答える私の頬を、むにむにと春の指がつつく。

「そんなに怒んないでよ」
「怒ってない」
「やりづらくなるから」
「春がしたくないならいい」

 怒ってる訳じゃないんだけど、面白くなかった。
 さっきから私ばかり答える側になってて、春がどうしたいのかは聞けていないままだ。
 前のときは逆だった。
 前は春から誘われることが殆どで、私は春の誘いに乗ってばかりだった。
 春も、こんな気持ちだったのかな。

「春は、したくないの」
「したいよ」

 迷うことなく答えた春は、そのまま体を起こして私に覆い被さってきた。
 顔の真横に肘を立てて、閉じ込められる。
 上から見下ろしてくる春と視線が重なる。
 困ったように微笑まれて、私も眉を下げる。

「好きな子と毎日同じ家で過ごしてて、でも全然手が出せない男の心境とか考えたことある?」
「……ない」
「こっちは来年までの辛抱だって我慢してるのに、誰かさんは俺以外の男のベッドに潜り込んでるし、後ろから抱き締めたら眠ろうとするし、お風呂上がりはいつも薄着で徘徊してるし」
「………」

 徘徊って。ひどい。

「もう嫉妬と生殺しのオンパレードだよ」
「……え、えっと、なんかごめん」
「意味わかってないのに謝られてもね」
「うっ……」

 心なしか、春の口調がキツい気がする。
 なにこれ。私が悪い事になってるの?
 話の流れがわからなくて混乱する。

「というか、もかってどこでも寝れるよね。テーブルの上でもお風呂の中でも冷蔵庫の上でも寝るよね。この間は階段で寝てたからびっくりした」
「もう普通に文句だらけ!」
「文句も言いたくなるよ」

 容赦ない叩きにぐうの音も出ない。
 でも、どれだけ口調がキツくても、頭を撫でる手つきはゆったりとしてて優しい。
 愛情の籠った触れ方に、つい頬が緩んでしまう。

「なんで笑うかな」
「だって」

 こめかみに指を差し込まれた。
 髪をいじりながら下へと滑る指先が、今度は耳朶をいじる。
 ふにふに揉まれて気持ちいい。
 さっきから、どこかしこに春の手が触れているのが嬉しい。

 私の耳とお戯れの指を掴んだら、互いの指同士が絡んだ。
 そのまま、布団の上に縫い付けられる。

「今は寝ないでね」
「……寝ないし」
「寝かせないけどね」

 ずるい一言と共に、春の唇が私の唇を塞いだ。

 どこで、そんな甘ったるい言葉の使い方を覚えてきたのか。
 とても18歳の高校生が吐く台詞とは思えない。
 軽く触れ合ってくる唇の合間に漏らす吐息といい、このただならぬ色気は一体何事だ。

「……ん、あ、まって春」
「ん?」
「体洗いたい」

 乾いてきたとはいえ、さすがに雨に濡れたままでは嫌。来る途中で走ったから汗もかいちゃったし。
 真っ当な主張をしたつもりなのに、何故か春は不満そうな顔をしている。

「え……今入るの?」
「え……その為にお湯張ったんじゃないの?」
「でも、せっかく制服でするの初めてなのに」

 春の主張にはた、と瞬きを落とす。
 今までは家の中で、お風呂上がりに互いの部屋を行き来して触れ合ってきた。だからパジャマやナイトウェアが当たり前。
 そう言われてみれば、確かに制服を着たままでするのは初めてで……………、ん?

「春のえっち。へんたい」
「男子高校生なんてそんなものだよ」

 あっさりと認めて、春の片手が私の制服に手をかける。
 ぷつ、と一つ目のボタンを外された。

「あっ、ちょっと」
「もう卒業まで日が無いんだよ? この機会逃したら、もう制服なんて着れないんだから」

 ぷつんぷつんと、手慣れた感じで外される。
 2年間培った経験の果てに得たその手腕は見事なもので、1分もしないうちに前全開の状態にされてしまった。
 隠れていた胸元が暴かれる。
 肌の薄い部分に唇が触れて、身体が小さな反応を示す。
 鎖骨に、生ぬるい感触が滑っていく。
 ぞわりと鳥肌が立った。

「ひゃ……!」
「……したいんでしょ?」
「ん……っ」
「煽ったのはもかだよ」

 当然の如く言われたけれど、それおかしくない?
 わたし煽ったの? 煽られたんじゃなくて?
 私は言わされた方なのに!

 なんて文句を言いたくても、ちゅ、と肌を吸われた私の口からは甘い吐息しか出てこない。

「あっ、くすぐったい、ってば」
「もか、ここ弱いよね」
「や、やだぁ」

 弱いところを指摘された羞恥と、触れられる嬉しさで綯い交ぜになった声が漏れる。
 執拗に弱いところを唇で触れられて、声が上ずってしまう。
 気持ちいい。
 久々に与えられる快楽に、官能が刺激される。
 火照り始めた身体のせいで、頭がぼんやりする。

「そういえば、イッてみたいって言ってたね」

 けどその一言に、靄が掛かっていたような思考が途端にクリアになった。

「……そ、そんなこと言ったっけ?」
「言ったよ。まさか、もかがそんな願望を抱いてるなんて気付かなかった。ごめんね」

 その、ごめんね、に威圧感を感じたのは気のせいですか。
 どことなく黒い気配を感じて腰が引く。

「ごめんね、もか」
「……な、な、なにが?」
「今まで、俺ばかり気持ちよくなってたから。これからは一緒に気持ちよくなろうね」
「……い、いやいいです今まで通りで大満足です」
「もかがちゃんとイけるように、今日から頑張るから」

 聞いてくれない。
 危機的状況に追い込まれて、咄嗟に逃げを打つ。
 枕を掴んで上半身を逸らそうとしても、春の重みで動けない身体は、完全に自由を奪われているような状態にあった。

「テクないって言ってたのに」

 1日でどうこうできるものだとは思えない。

「言ったけど、こうすれば出来るかな、って思う部分はあるから」
「……え、え、え、うそ」
「今まで何回、もかとシたと思ってるの? もかの弱いところも、良いところも、もう全部知ってるから」

 優しげに見つめてくる瞳は楽しげな色を帯びている。

 さあ、と血の気が引いた。
 行き過ぎた好奇心は我が身を滅ぼす、なんて、何かのドラマで聞いたような台詞が脳内で何度も再生される。

 好奇心で、あんな事言うんじゃなかった。
 久々に触れ合うなら、やっぱり優しくされたい。特別なことなんて何にもいらない。
 だから1時間前の、あのアホな発言を撤回させてください。

 なんて言ったところで、完全に春のペースに持っていかれてるこの状況下で、そんな勝手な言い分がまかり通るとは思えない。
 またもや謎のスイッチが入ってしまったらしい春は、にっこりと微笑んだまま、私の頬を撫でた。

「がんばろうね」

 その一言に、これから我が身に起こるであろう災難を薄々感じ取った。



・・・



「うう、疲れた……」

 気だるい体を引きずって歩く。
 雨は止み、雲の合間からは日が射している。
 ラブホからこそこそ出てきた私達は、家までの岐路を、隣同士に並んで辿っていた。
 周囲に人の気配は無い。
 誰にも見つからずに帰宅できそうな気配。
 春の歩調はゆっくりめで、私に気を遣って合わせてくれているのはわかる、けど。

「楽しかったね」

 なんて、平然とそんな感想を口に出来る本人をじろりと睨む。
 にこりと微笑み返す春の、なんとまあ楽しげなこと。

「そうですね。春は楽しそうでした」
「もかも楽しかったでしょ?」
「あれを楽しいと言えるならね!」

 誰かさんが調子に乗っちゃったお陰で、私は今、疲労困憊で廃人と化している。
 テクどころか、私の弱点なんてとうに熟知している春は、なかなか容赦がなかった。
 弱いところを散々責められて、初めてイっても全然休ませてくれなかったんだから。

 お陰で今、猛烈に身体が重い。
 疲労感がずしりと襲い掛かってくる。
 なんかもう食欲ない。
 喉が乾いた。
 フルマラソンを一気に走り抜けた後みたいな感じになってる。

 罰として、春には私の鞄を持ってもらっている。これくらいは許されるよね。

「もうしばらくシたくない……」
「ごめん、やり過ぎたね」
「帰ったら寝る」
「俺の部屋で寝る?」
「いいです」

 つっけんどんな私の態度にも、春は全然怯まない。
 超ご機嫌ですよこのひと。
 反省の色が見えませんね。
 挙句の果てに、

「また来ようね」

 なんて言う始末。

「もう来ない」
「リベンジさせてよ。今度は優しくするから」
「………」
「ね?」

 その胡散臭そうな笑顔に頷きたくなる自分が恨めしい。

 春は、私の知ってる春はもっと、真面目で誠実で優しくて可愛い男の子だったのに。
 天使が堕天使になるなんて。
 どこで道を間違えちゃったの。
 それでも右手に繋がれた手を振りほどけない私の甘いこと。

 きっと一生振りほどけない。
 この手だけは。
 春だったら、どんなに意地悪されても許しちゃうんだろうなあ。そんな気がする。

 そんな気がする程に、私はもう、彼に溺れてしまったのだから。

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