溺れる1


 誰か説明してください。
 どうして私は今、こんな事になっているんでしょうか。





「は……ん、あっ……!」

 思いのほか強い衝撃が襲ってきて、息が詰まる。
 可愛い嬌声とは程遠い、引きつったような声が喉の奥から零れ落ちた。
 ずっと慣れ親しんできたはずのそれは、全ての感覚を飲み尽くさんとばかりに、奥の奥まで蹂躙していく。
 耳元で、低い声が落ちた。

「っ……、ふふ、もかの中、また締まったね」
「な……」

 ―――なんで楽しそうなの!?

 なんて嘆きたい言葉は、全部喘ぎに変わってしまう。
 下腹部の圧迫感に苦しさを覚えたのは最初だけで、すぐに快感を得た身体は、春の思うままに翻弄されていた。
 トン、と軽く突かれただけでも、尋常でない刺激が襲う。

「……もか、大丈夫?」

 そう呼び掛ける声は優しいのに。

「だいじょぶ、じゃ、ない」
「うーん。でも、俺ももう止まんないし」

 緩やかに揺さぶられて、一気に快感が上り詰めていく。
 目尻に、じわりと涙が浮かんだ。

「あ、だめ、動いちゃだめ」
「もかが悪いんだよ? あんな風に煽るから」
「ちが、ちがうもん」
「もう少し、耐えられる?」
「っえ……な、なに、を?」

 不穏な空気を感じ取って、逃げの体勢を取る。
 けどそんな私の動きをあっさりと封じて、春は極上の笑顔で微笑んだ。

「ちょっと、激しくするから」 

 さらりと死刑宣告される。
 ひく、と顔がひきつった。

 ―――ああ、春が。
 あの天使な春くんが、ケダモノになっちゃった……。



・・・



 事の始まりは1時間前。

「春」
「ん?」
「私、イッたことない」
「………え」
「いってみたい!」
「………」

 しとしとと、冷たい雨が降り続ける中。
 下校途中、適当に目をつけた軒下で、春と一緒に雨宿りをしていた時のこと。
 不意に頭に浮かんだその思いを口にしてみたら、春の眉間に皺が寄った。
 はあ、と盛大に溜め息をついて、額に手をあてている。
 私、そんなに変なこと言った?

「………もかってさ」
「ハイ」
「なんていうか……大胆だよね、たまに」
「そう?」
「そうだよ……人の気も知らないで」

 うなだれながら、そう零す春の口調はやや呆れ気味。
 最後の方は、うまく聞き取れなかった。

 軽い感じで言っちゃったけど割りと本気だ。
 好きな人と一緒に、っていう気持ちは、女の子なら抱く感情じゃないのかな? 私だけ?

 春との行為に不満があったわけじゃない。
 春はいつも優しかったし、いっぱい気持ちよくしてくれた。イくっていう経験はまだないけど、心は確かに満たされてた。
 だから、この発言は不満とかじゃなくて、ただの好奇心。
 ……あとは、雨のせいで病む心を振り払いたい気持ちもある。

 雨が降ると体調が悪い。
 気分も落ちる。
 だから、なんかアホっぽいこと言って病みそうな気持ちを払拭したいっていう思いから発した言葉であって、決して誘いの言葉ではありません。断じてね。

「……そんな事言われても、俺テクなんて持ってないし」
「………テコ?」
「………テク」

 ………てく。

「それ以前にもか、シたくないんでしょ」
「うぐ」

 それを言われると弱い。

 両想いだって知った日から、なんとなく、そういう行為を避けている。
 郁兄も一緒に住んでるお家で、隠れてそういう事をしている自分が恥ずかしくなったから。
 行為そのものが、嫌になったわけじゃない。
 家でするのが嫌になっただけ。
 それに、春も受験勉強で大変だし、我慢しようって思いもあった。
 でも、春はどうなんだろう。
 この間も、春の部屋でそういう雰囲気になりかけてたのに、結局キスだけで終わった。
 それが寂しいと思ってる自分も確かにいて、物足りなさを感じているのが正直なところ。
 変だよね、それ以上の事を望んでいないつもりだったのに、キスされたら足りないとか。
 乙女ゴコロは複雑です。

 春はキスだけで満足したのかな。
 物足りないとか、思ってくれていないのかな。
 でも、それを真っ向から聞く勇気は無い。

「……春」
「……なに」
「……テク? って、必要なの?」
「………さあ」
「………」

 変な空気が満ちる。
 微妙に重い沈黙が落ちて、何か言わなきゃと気が焦る。

「………もか」
「な、なに?」
「あそこの建物、何かわかる?」
「え?」

 突然の話題転換に目を丸くする。
 春が目を向けたのは、住宅街から少し外れた空き地。更に離れたところに、大きな家がぽつんとひとつ、建っている。
 真っ白い外装に、3階建ての建物。
 人が住むような家じゃない、ホテルの造りにも似た構造。
 でもビジネスホテルやゲストハウスとも違う、独特の雰囲気を漂わせている。

 入口には、ぴかぴかと光る怪しい看板。
 3時間休憩で2980円、なんて文字が永遠と流れている。

「……らぶほ、ですな」
「あそこ、入ったことある?」
「な、ないよ。あるわけないじゃん」

 行きたいとすら思ったことない。
 大体、学生はああいうとこ、入ったらだめなんじゃないの?

「あそこね、最近ラブホ名変わったんだよ。今までの名前がいかにも怪しげだったから、ラブホだってわからないように変えたんだって。ついでに内装も全部リニューアルしたらしいよ」
「へ、へえ」

 曖昧に相槌を打っておく。
 なんで春がそんな事知ってるのとか、そういう事は訊かない方がいいのかな。

「歓楽街でもないのに、こんな住宅街ひしめく場所にラブホがあるって問題があるような気がするんだけど。近くには小学校もあるし」
「……う、うん……?」

 なに、この会話。
 春は何を言いたいんだろう。

「でも、需要があるから、潰れないんだろうね」
「そ、そうだ、ね……?」
「うん、じゃあ行くよ」
「へ」

 突然手首を掴まれて、春がその場から歩きだした。
 結果的に私も軒下から出ることになって、また小雨の標的にされている。
 ぽつぽつと降り注ぐ雫が、制服に吸い込まれていく。

「春、雨がまだ……」
「向こうで雨宿りしよう。屋根がある方がいいでしょ」
「え、や、でも」
「寒い。このままじゃ風邪ひくよ」
「あそこ入ったら、お金かかっちゃうよ」
「大丈夫、持ってるから」
「……う、うん」

 えと、いいのかなこの流れ。
 ほんとに雨宿りだけなんだよね?
 でもあそこは、つまりそういう事をする為に存在している場所であって、そして私はさっき、トンデモ発言を春にぶっちゃけている。

「………」

 でも、雨宿りしようって春は言ってた。
 目的は雨宿り、のはず。

 悶々とした気持ちを抱えつつも、春の後をついていく。途中で雨が強くなってきて、急いで建物の中まで走った。
 入口横には大きなパネルがあって、部屋の写真がずらりと並んである。
 空室と書かれているボタンをひとつ押して、エレベーターに乗った。






「うわああぁ広いー! でかい!」

 ずっと胸の中で渦巻いていた複雑な心情は、部屋に入った瞬間に一掃された。ド真ん中にどーんと主張している、キングサイズ並の大きなベッドに目を奪われたから。
 ダッシュして、思いきりジャンピングしてみる。
 真っ白いお布団がふわっと私を包み込んだ。
 なんという弾力性。
 保健室のベッドでも、こんなにふんわりしていないぞ。

「ふかふか……」

 このまま寝れちゃいそう。
 でも夢の世界へ行く前に、一度起き上がって部屋をぐるりと見渡した。

 料金が安いお部屋を選んだはずなのに、内装といい装飾といい、アンテークな造りでおしゃれ感満載。ここだけ別世界のような空間が広がっている。
 テレビもあるし、冷蔵庫もあるし、電子レンジまである。何でも揃ってる。すごい。
 入口の扉以外にもうひとつ扉があって、覗けばトイレと、テレビ付きのお風呂があった。
 しかも浴槽の底にライトが取り付けられていて、七色にぴかぴか光るの! すごい!

 ラブホ半端なかった。

「……もか、はしゃぎすぎ」

 精算を済ませて部屋に戻ってきた春は、私のはしゃぎようを見て小さく噴きだしていた。
 子供扱いされたみたいでむっ、てなったけど、口には出さないでおく。今の私は気分がいい。
 雨から逃れたお陰で、体調も良くなったみたい。

 鞄をソファーに置いて、春の手が財布を仕舞う。
 ラブホは前払い清算が当たり前みたいで、お金を支払う場所が部屋の入口にあるんだって。
 機械が会計してくれるんだよ。すごいね。

「お風呂にお湯入れてくるから」
「え?」

 春の言葉にはたり、と瞬きを落とす。

「お風呂、入るの?」
「寒くない?」
「……寒い」
「うん」

 そう言い残した後、浴室へ続く扉が閉まる。
 ぽす、とお布団に顔を埋めて、さっきの春の言葉を思い起こしてみた。

 何でお風呂入るんだろう。
 そりゃ寒いけど、でもお部屋あったかいし、雨宿りするだけなのにお風呂に入る必要ってあるのかな。
 でもあのお風呂は入ってみたい……。

「ん?」

 顔を傾けた先に、小さな冷蔵庫が2つ、隣同士に置いてある。

「……2つもある」

 むくりと興味が沸いて、ベッドから離れて冷蔵庫に近づいた。
 そのうちのひとつを開けてみれば、中にはジュースやお酒の缶が1本ずつ、トレーに入っている。
 蓋がついてて、引っ張っても取れない。
 取っ手の部分に値段が表記されたボタンがあって、そのボタンを押さないと中身は取れないみたい。
 ボタンを押せば料金が加算されて、中身が取れる仕組みらしい。

 迂闊に押せないなあと思いつつ、冷蔵庫を閉める。
 そして、もうひとつの冷蔵庫も開けてみた。

「?」

 さっきと同じ、トレーに物が入ってる。
 でも、ジュースやお酒の缶じゃない。

「うわあ」

 パンストとかパンツ入ってる!
 怪しげな玩具みたいなものも入ってる!
 無駄にテンションが上がる私。
 初めて目にする、ラブホならではって物がたくさん詰まっていた。

「えー、中見れないかなあ」

 トレーの中身が気になって、一生懸命覗き込む。
 人の好奇心はどこまでも貪欲で、なんとかして中身を見たい(でもお金は払いたくない)私の行き過ぎた行為は、思わぬ悲劇を生み出す事になる。

 がつ、と肘がぶつかった。

「あ」

 ボタンが光る。
 ぱか、とトレーが開いた。
 中に入っていた玩具らしきものが姿を現す。

「………」

 やっちゃった。

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