やきもち3


「でね、ちゃんと構ってあげないと、おっさんのストレスが溜まって髪の毛が1本1本抜けてくの」
「………」
「で、全部抜け落ちてハゲになったら」
「……なったら?」
「おっさんは死ぬ」
「ストレス現代社会の末路じゃねえか」

 どんだけハゲに厳しいゲームだよ、とボヤきながら、郁兄の人差し指がメニュー欄を押す。
 育毛剤だらけのアイテム一覧を眺めた後、スマホを返却してきた。

「なんつー名前のゲーム? それ」
「えっとね」

 なんだっけ? 結構タイトル長いんだよね。
 一度ホーム画面に戻って、アプリの名前を確認する。

「『プリ☆ハゲ〜プリティうっさんの逆襲』」
「………」

 また郁兄の眉間に皺が寄った。
 ちょっと皺寄りすぎじゃない? そのうち取れなくなりそう。
 まあ全然プリティなおっさんじゃないし、そもそも何を逆襲するのかも全くわからないタイトルだから、色々突っ込みたくなる気持ちもわかるけど。

「うっさんって何だよ」
「アプリの名前」
「おっさんだろ」
「うっさんって書いてるもん」

 郁兄の眉がまた寄る。

「……そのアプリ名って?」
「うっさん」
「育成するのは?」
「おっさん」
「ゲームの名前は」
「うっさん」
「ハゲてんのは」
「おっさん」
「お前ふざけてんの?」
「なんでさー!」

 事実を述べてるだけなのに、怒られる理由が全然わからない。

「ねえ、彼女の写メとかないの?」
「ない」
「えー」

 見たかったのに。
 ブーブー文句を言ってたら、階段を駆け上がってくる音が聞こえてきた。
 郁兄の部屋の前で足音が止まり、ドアが控えめにノックされる。
 この叩き方は春だなあと思いながら目を向けたら、ゆっくりと扉が開いた。

「ちょっとごめん。あのさ郁也、今日の夕飯なんだけ……ど……?」

 私の姿を見つけて、春の目が丸くなる。
 郁兄の部屋に私がいるとは思っていなかったみたいで、ぱちぱちと瞬きを繰り返してた。
 今帰宅してきたらしい春は、学生服のまま。
 土曜日なのに学校に行って、お友達と勉強してたのかな。
 受験生って大変だなあ、なんて他人事のように思ったりして。

「……何してるの2人とも」

 ぽつん、と呟いた春の声には覇気がない。

「ゲームやってる」
「株やってる」

 私と郁兄の声が同時に重なった。
 はあ、と謎の溜め息を吐いた春は、此処に来た本来の目的を完遂すべく、郁兄に話しかけた。

「……あのさ。夕飯の準備、ちょっと遅くなりそうなんだけど、大丈夫かな」
「いいよ別に」
「うん。もか、ちょっと手伝ってもらってもいい?」
「いーよー」

 アプリを終了させて、スマホの電源を落とす。ベッドから這い出れば、やっと邪魔者がいなくなった、なんてボヤキが真横から聞こえてきた。
 軽く蹴りを入れてから、郁兄の部屋を後にする。
 春の背中を追いかけながら、2人で階段を降りていく。

「春、今日のごはん何?」
「………」
「てか、勉強しなくていいの? 私代わろうか?」
「………」
「あっ、あのね、郁兄と話してたんだけど、12月からうちら2人で夕飯作ろうって話し、」
「もか」

 ちょうど階段を降りてキッチンに足を踏み入れた時、春の低い声が聞こえた。
 途中で言葉を遮られて、アレ? と首を傾げる。
 春の雰囲気がいつもと違う気がして、ちょっと焦る。
 私の方を振り向いた春は、なんか、拗ねているような子供っぽい表情をしてた。

 私が一方的に話しかけてたから、煩いと思われたかな。怒っちゃったのかな?
 でも私が一方的に騒ぐのはいつもの事だし。

「春、怒ってる?」
「ちょっとね」
「なんで?」
「わからない?」

 逆に問い返されて、頭の中はクエスチョンマークでいっぱいだ。

「……受験勉強で疲れてるのに、私が煩かったから?」

 とりあえず思いつくままに答えてみるけれど、春は拗ねたような表情を変えることもなく、「違う」と否定した。
 言い方もヒヤッとするほど冷たくて、もかちゃん、今ちょっとビビってます。

「夕飯作りが面倒だとか」
「違う」
「おなか空きすぎてイラついてるとか」
「違う」
「春のTシャツとおじさんのパンツ一緒に洗っちゃったから」
「そんなことしたの」
「ごめんなさい」

 もう10年も前の過ちです。



 春は基本的に怒ることがなくて、というか、怒ってもあまり顔に出さない。
 だから、こうして怒りを露にするのって、本当に珍しいことだと思う。
 怒りっていう程怒ってもいないように見えるけれど、機嫌がよろしくないのは確かだ。

 私、何かしたかな?

「……春?」
「こら」

 一歩距離を詰めてきた春が、私の両肩に手を置いた。こち、と額と額を軽くぶつけてくる。

「あれはだめだよ」
「あれ」

 って、何?

「なんで郁也と一緒のベッドにいるの」

 その一言に、はた、と瞬きをひとつ。
 郁兄の部屋に突撃訪問するのは、今回が初めての事じゃない。それは春も知ってるはずだけど。
 どうして今更? という疑問が残る。

「1人で暇だったから」
「郁也とベッドに入る意味はないでしょ」
「寒かったんだもん」
「暖房ついてたじゃん」
「なんで春怒ってるの」
「妬いてるんだよ」

 一瞬、言葉を失った。
 さらりと告げられた嬉しい一言に、気持ちが一気に舞い上がっていく。

 妬きもち。
 焼き餅じゃなくて、妬きもち。
 つまりアレだよね、好きだから嫉妬するってやつ!

「相手は郁兄だよ?」
「相手が郁也でも、だめ」

 顔がにやけそうになるのを必死に耐える。
 春は真剣なのに、笑ったりしたら失礼だよね。
 その本人は相変わらず、むすっとした顔のまま、額をぴったりとくっつけてくる。

「もかはもう、俺のなんだから」
「………」
「他の男とくっついたら、だめなんだよ」

 小さい子供に言い聞かせるような口振りに、私はこくんと小さく頷いた。

 俺の。俺のって言った。
 照れる。

「わかった。気をつけるね」
「うん」

 そう伝えれば、やっと春に笑顔が戻った。
 嫉妬なんて、私、初めてされた。
 春でも嫉妬するんだ、しかも兄相手に。
 なんか嬉しい。嫉妬って醜い感情みたいに思っていたけど、裏を返せば好きってことだもん。
 春が、ちゃんと私を好いてくれているのを実感できる。

 郁兄の部屋でごろごろするのも楽しいんだけど、春さまの命とあらば仕方あるまい。
 郁兄の部屋にお邪魔しても、ベッドに潜り込むのは控えることにしよう。

「あ、あのね。郁兄、彼女いるよ」
「え、うそ」
「ほんとほんと」

 春は心底びっくりしてる様子だった。
 それもそのはず。
 郁兄は昔から、女嫌いで有名だったもんね。
 過去に付き合ってた人もいるみたいだけど、「女は面倒くさい」って理由ですぐ別れてたから。

 ていうか、春にバラしちゃった。
 大丈夫かな。
 「お前喋ったな」って、いつか郁兄に頭グリグリの刑を執行されそう。

 でも、いずれ郁兄にも私達のこと、話さないといけない時が来る。
 だから、おあいこって事でいっか。

「2人で何の話してたの?」

 すっかり機嫌が戻った春は、冷蔵庫から食材を取り出しながら私に尋ねてきた。
 じゃがいもと玉ねぎ、牛乳、ブロッコリー。
 今日はシチューかな。

「アプリの話してた」
「アプリ? どんなやつ?」
「おっさんを育てるゲーム」
「………面白いの、それ?」

 郁兄と同じこと言ってる。兄弟だなあ。

 このゲームの素晴らしさを春にも理解して頂くべく、郁兄にもした説明を、今度は春に熱弁した。
 春の顔が徐々に曇っていく。

「春も一緒にやる? プリハゲ」
「……………受験終わったらね」

 確実性のない口約束を交わしてから、私達は一緒に夕飯作りに取り掛かった。

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