彼女との出会い


 18の春。大手の広告代理店に就職が決まり、卒業と共に地元を出て東京に上京した。築何十年という古い賃貸アパートを借りて始めた1人暮らしは、なかなか快適で悪くはなかった。実家からの仕送りはあっても多くはないし、料理も家事も親に任せっぱなしだったから得意じゃない。試行錯誤しながらの生活はそれなりに大変だったけど、何もかも自分1人でやらなければならないという責任を負うことは、逆に自分への自信に繋がった。
 故に、大きな不安は感じていない。全然ないかと言えば嘘になるけど、頼もしい存在が傍にいたから恐怖はなかった。何の運命の悪戯なのか、就職先まで村瀬と一緒になってしまったからだ。

 腐れ縁というのはこうも離れられないものなのか。卒業した後も村瀬との付き合いは途切れることがなく、俺も秘めた想いを断ち切れないまま村瀬の隣に立っている。所属部署も同じだから仕事上の都合で手を組むことも多かったし、仕事終わりは2人で飲みに行くのが当たり前になっていた。

 高校生の頃よりも、村瀬と距離が近くなった気がする。それを嬉しく思う自分がいるのは否定できない。勤め先の部署は殆どが男性社員ばかりで、異性が少なかったこともあり、環境的にも精神的にも比較的穏やかな日々を過ごせていた。
 それでも、誰にも言えないコンプレックスに悩まされる日々は変わらなかったけれど。

 そんな日々が続いて、2年が過ぎた。



「村瀬くん!」

 背後から、聞き慣れない声が響いて足が止まる。遠くにいてもよく通る、張りのあるトーン。隣に並んで歩いていた村瀬の足も止まり、勢いよく後ろを振り返っていた。
 視線の先にいた声の主を瞳に映した瞬間、村瀬の表情がパッと輝く。見慣れている筈の柔和な笑みが、まるで幼い子供のような無邪気な笑顔に豹変して驚く。村瀬は高校の頃から男女問わず人気者だったけど、特定の人物に媚びたり態度を変えたりするようなことは基本的にしなかった。誰に対しても同じテンションで接する村瀬が、背後に現れた女の子から声を掛けられただけで、その穏やかな表情を一変させた。

「水野さん! お疲れ様!」
「おつー!」

 そこでやっと、後ろの人物に目を向けた。
 ぱっちりとした二重まぶたに、力強い光を宿す瞳は目力があり、勝ち気そうな印象を受ける。綺麗に切り揃えられた前髪は短めで、幼さを感じさせた。
 柔らかな茶髪をゆったりとなびかせて、彼女は軽快なステップを踏みながら俺達へと走り寄ってくる。村瀬と知り合いのようだけど、俺は彼女を知らない。初めて見る子だった。
 花が咲き誇るような全開の笑顔には裏がなく、人柄の良さが如実に現れている。周りの目を自然と惹き付ける笑顔と綺麗な声に、村瀬の声も1トーン高くなっていた。

「今日も元気だね、水野さん」
「元気元気! ポッキー食べる?」
「またお菓子配ってんの?(笑)」
「そう! 今日は何日!?」
「え? 11月11日」
「何の日!?」
「……あー! ポッキーの日か!」
「そうでーす! お隣さんもどーぞ!」
「え、」

 彼女の大きな瞳が、今度は俺を捉える。急に話を振られてさすがに驚いたけど、彼女は何の躊躇もなく、俺に菓子を差し出してきた。素直に手を伸ばせば、彼女は白い歯を見せながらニカッと無邪気に笑う。人見知りしないタイプのようだ。
 その接し方に圧倒されながらも、視線は彼女の笑顔に釘付けになってしまう。見惚れていた訳ではなく、笑顔の作り方が上手かったから素直に感心した。下の歯が見えないように口角を上げ、前歯だけを見せる笑い方はそうそう出来るものじゃない。下品な印象は全く無く、完璧すぎる笑顔を仕上げた彼女に対する好感度は高かったように思う。

 これが、水野さんとの初めての出会い。






「水野さんは、俺らと同期。MD課だよ」

 嵐のように現れて、そして嵐のように去っていった彼女───水野さんが立ち去った後、村瀬がそう教えてくれた。
 彼女の第一印象は、華やかで朗らか。悪く言えば騒がしくてバカっぽい。本来であれば俺が苦手とするタイプの子だけど、あまり苦手意識を感じなかったのは、あの笑顔の印象が強かったせいもある。
 けれど、ちょっとノリが軽くて頭弱そうだな……なんて失礼すぎる感想を抱いていた俺の考えなんて、村瀬はとっくに見抜いていたんだろう。彼女が去った後に、あの子が同期だと教えてくれた。
 そして、まさかの部署名に目を見張る。

「MD課って……本当に?」
「マジで」
「花形部署じゃん」
「すげーだろ」
「……なんで村瀬が自慢げなのさ」
「MDだぞ? マーケティングのスペシャリスト軍団みたいなとこじゃん、あそこ。俺らと同期でMD課所属って水野さんだけだから。かなり仕事できる子なんだと思うよ」
「……ふうん」

 興味が薄いせいか、返事がおざなりになってしまった。彼女が誰かよりも、村瀬の浮かれっぷりの方に意識が向いてしまうのは致し方ない。同期にすごい奴がいて、妬みや嫉妬に駆られることもなく、さながら自分の事のように喜べる村瀬の方がすごいと俺は思うけど。余程、彼女を慕っているのか尊敬しているのか。多分どちらもだろう。
 ……けれど、確かに凄い話かもしれない。
 入社1年から4年はまだ若手社員と呼ばれる期間で、マーケのスペシャリストと呼ばれる部署に配属されるということは、それだけ上の人間から実力を買われているということだ。更に言えば、その実力をあの部署できちんと発揮できる人でなければ、若手社員がMD課に配属されるはずがない。失礼な言い方だけど、人は見かけによらないという表現がしっくりくる。
 ……とはいえ、あの子がどこの部署でどれだけ仕事で評価されているのかなんて、俺には関係ないしどうでもいい。それよりも。

「……村瀬、いつあの子と知り合ったの?」
「入社してすぐだよ。新人社員がMD課配属ってすげーことらしいから、入社してきた当時はかなり噂になってたんだよ。知らなかった?」
「……全然」
「だから気になったんだよね、どんな子なのかなって。それで、社食堂で昼食中だった水野さんに突撃訪問した」
「……村瀬らしいね」

 俺は、全然知らなかった。水野さんの噂も、村瀬が水野さんに興味を抱いていたことも、村瀬と水野さんが、入社してきた当時から仲が良かったことも。2年も経ってから、こんな形で知ることになるなんて思わなかった。急に疎外感に襲われて、胸がちくりと痛む。

「……知らなかった」
「何が?」
「そんなに前から仲良かったなら、教えてくれてもよかったのに」

 言い方がやらしいな、と自分でも思う。だけど嫉妬を隠しきれなくて、つい憎まれ口を叩いてしまった。

「あー、あえて言わなかった」
「なんで」
「言ったらお前、不安定になるだろ」

 その一言に思考が止まる。村瀬が放った一言は、湖畔に一石を投じた後に広がる波のように、じわじわと俺に嫌な感覚を広げさせる。不穏な響きを感じ取った心臓が、ドクンッと不協和音を鳴らした。
 冷や汗がじわりと滲む。違う部署の女の子と仲がいい、それをあえて俺に隠していた意味。告げれば俺が不安定になるからと指摘した村瀬に、ひとつの疑惑が思い浮かぶ。

 ……まさか、バレてる?

 俺の気持ちは隠し通せていると思っていたし、一生隠さなきゃいけない想いの筈だった。バレたら気味悪がられる、嫌われると思っていたから、想いを伝えるようなことはしていない。誰だって、ずっと友人だと思っていた男に好意を抱かれていると知ればドン引きするだろう。だから知られてはいけなかったのに。
 さあっと血の気が引いていく。呼吸が上手く出来なくて、喉がカラカラに乾いているのに冷や汗が止まらない。村瀬からも目が反らせなくて、誤魔化そうとしても何も言葉が出てこない。

「……っ、むら、せ」

 やっとの思いで絞り出した声は、すっかり掠れきっていた。「ん?」と何もなかったかのように視線を合わせてきた村瀬は至って普通通りの態度で、結局俺は何も答えられないまま、この場をやり過ごすしかなかった。

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