過去の過ち2


 村瀬は委員会で居残りだから隣にいない。それを彼女達は知らなかったんだろう。不思議そうに首を傾げながら、いつも騒がしい女の子が話しかけてきた。

「冴木先輩、1人ですか?」
「……そうだけど」
「えー、村瀬先輩は帰っちゃったんですか?」
「村瀬は委員会があるから帰り遅くなるよ」
「へー、そうなんですかあ〜」

 わざとらしい語尾の伸ばし方が鼻につく。会話すら億劫でその場を離れようとしたけれど、彼女達はそれを良しとしなかった。

「あ、待って冴木先輩。村瀬先輩って何の委員会なんですかあ?」
「……ごめん、知らない」
「ええ? オトモダチなのに知らないんですか〜?」
「……」

 本当は知ってるけど、なんで君らに教えなきゃいけないのか。彼女達も悪気はないんだろうけど、言い方がいちいちウザくて癪に触る。

「すず〜、どうする? 待つ?」
「……え、えっと……」

 その言葉に思考が止まった。 「待つ?」ってなんだ、また待ち伏せするつもりなのか。しかめっ面のまま彼女達に目を向ければ、すずと呼ばれた女の子と目が合った。
 戸惑いに満ちた表情を浮かべながら、救いを求めるように彷徨う視線が俺に止まる。ビクッと肩を震わせて、彼女は慌てて俺から目を反らした。その怯えきった態度に苛立ちが募っていく。

 ……いいよね、君は。
 女だから。
 性別が違う。ただそれだけなのに、秘めた想いを口に出せる自由を生まれながらに持っている。
 それすら出来なくて苦しんでいる人間がここにいるのに。

 ───虫酸が走るんだよ。

「ねえ」

 咄嗟に、華奢な手首を掴んでいた。

「ちょっと話あるから。ついてきて」
「えっ、」

 例の彼女が驚いて顔を上げる。大きく見開いた瞳は戸惑いに揺れていて、縋るように見つめる視線を、今度は友人達に向けた。その弱々しい態度に内心舌打ちしながら、拒絶など許さないとばかりに強い力で引っ張った。

「え? ちょ、どこ行くのすず!?」

 慌てた声が背後から聞こえてきた。
 振り向いて、余所行きの笑顔を披露する。

「ごめん、ちょっとこの子借りるね」
「え、あっ、あの」

 苛立ちが最高潮にまで上った時、人は良し悪しの判断ができなくなるらしい。今の俺がまさにその状態で、彼女の声を無視して音楽室まで強制連行した。
 放課後になれば、ここは静かだ。人の気配もなければ誰かが来る気配もない。そんな場所に連れ込まれて、さすがに怖くなったのだろう。手を離して彼女を見やれば、怯えた瞳が俺を映し出す。警戒心剥き出しのまま距離を取る彼女に笑いたくなった。心配しなくても襲ったりしないのに。

「あ、の。冴木先輩、話って」
「村瀬のことなんだけど」

 直後、彼女は顔を赤らめて動揺した。村瀬の名前を出しただけで舞い上がれるなんて、羨ましい限りだと思う。頬をほんのりと染め、誰から見ても恋してる女の子の姿だ。可愛くて、いじらしくてーー……心底、腹が立つ。

「いつまで村瀬をつけ回すつもり?」
「……え」

 棘のある一言に彼女の顔つきが一変する。全身を緊張で強張らせ、みるみるうちに表情が曇っていく。顔に出やすいタイプなんだろう。わかりやすい子だなと思いつつ、俺は言葉の刃を彼女の心に斬りつけていく。

「あんな風に教室の外で毎日騒いで、恥ずかしくないの? すごく煩いし、みんな迷惑してるんだけど。最近、村瀬の周りもウロチョロしてるよね」
「……っ、あ、あの」
「ずっと待ち伏せされる村瀬の迷惑とか考えなかったの? 村瀬、俺に言ってたよ。ずっとつけ回されて嫌な気分だって。迷惑してるって」
「……っ!」
「俺もそう思う。気持ち悪いよアンタ。ストーカーみたいで」

 侮蔑に満ちた表情を浮かべた俺に、彼女は血の気が引いたように青ざめて固まった。気持ち悪い、男からそう言われてショックを受けない女子はいないだろう。最低なことを言ってるのはわかってるけれど、優しい言い方も気遣いもするつもりはなかった。こっちは被害者で悪いのはこの子達なのに、優しく接してやる必要なんてない。そう思いながらも、本当はそれが真意ではないこともわかっていた。
 行き場のない村瀬への想いを、どこにぶつけていいのかわからない。口に出すことも許されない。バレたら絶対に嫌われるという恐怖も消えない。それらは全部、過剰なストレスになって俺の中に蓄積していく。どこかで発散しないと俺自身が壊れてしまう気がした。
 この子だけが悪いんじゃない。言うべきことがあるなら、残してきたあの子達にもちゃんと伝えるのが妥当な判断だ。なのに俺はこの子だけを連れてきて、高圧的な態度と口調で責め立てている。
 間違った正義感を振りかざして、溜まりに溜まったストレスをこの子にぶつけたかった。気持ち悪いなんて言葉を使えば、この子が傷つくとわかっていたから口にした。俺のやってることは忠告でも説教でもない、ただの悪意ある苛めだ。
 わかっていても、一度爆発した不満は止まることを知らなかった。

「はっきり言うけどさ、目障りなんだよね」
「……」
「村瀬はアンタのこと好きじゃないから。つけ回しても嫌われる一方だと思うよ」

 だから、もう2度と来るなと。
 消えてほしいと遠回しに伝えた直後。

「……っ、ご、……な、さい」

 蚊の鳴くような弱々しい声。謝罪の言葉を口にした彼女は、俯きながら静かに涙を溢していた。
 閉じた瞳から流れる雫が、彼女の頬を伝う。チェック柄のスカートを握り締めて、微かに嗚咽を漏らしながら肩を震わせていた。その姿に、心を抉られたような痛みが襲う。

「……ぁ……、」

 正直、焦った。自業自得だとか、泣いて許しを請おうとするなって言ってしまえばいいのに言えなかった。そこまで非情になりきれなかった。嫉妬から出た言葉の暴力で目の前の子を傷つけた、生まれてはじめて女の子を泣かせてしまった衝撃が大きくて、そこでやっと本来の罪悪感が生まれた。

 彼女は俺を一度も責めなかった。 ただ静かに俺の身勝手な主張を聞いていた。否定もしなければ言い返すこともしない。もしここで彼女が俺を責めてくれたなら、こんなにも罪悪感に苛まれることもなかったかもしれない。

 俺が、この子を傷付けた。

 直後、急に呼吸が苦しくなった。脳が酸欠になっているかのような不快感が全身を襲う。脂汗が止まらなくなって、平衡感覚を失いかけて足元がふらついた。やばい、倒れる。そう悟った瞬間、彼女をその場に置き去りにして逃げ出してしまった。
 無我夢中で走り続けて、個室トイレに駆け込んだ。途中で誰かにぶつかったような気がしたけれど、振り向く余裕なんて当然ない。乱暴に扉を開けて、その場に力無く崩れ落ちる。

「ゲホッ、……ぐ、おぇ……っ、」

 咄嗟に口を抑えたけど、込み上げる胃酸に耐えられなくて吐き出した。喉が焼けるような痛みに生理的な涙が滲み、嘔吐を伴う程の状態に陥るほど、自分の心は既に限界を迎えていたのだと知る。醜い感情だけが心を支配して、周りが全く見えていなかった。
 脳裏に浮かぶのは、理不尽に責められてすすり泣く彼女の姿。


 ……俺は、何をした。
 無抵抗のあの子に、何を言った。


 彼女が羨ましかった。彼女が告白する権利を持っているということは、つまり、村瀬から好意を寄せられる可能性だってあるという事だ。俺には絶対に得られない権利がある上に、村瀬の隣に立っていられるポジションまで奪われそうで怖かった。悔しかった。あんな、友達に誘われなきゃ村瀬に近づけないほど弱いくせに、あんなにオドオドした態度で何の魅力もないくせに。村瀬のこと、何も知らないくせに。そんな子に負けたくなかった、なんて馬鹿すぎて笑ってしまう。どう考えたって、男に生まれた時点で負けているのは俺だ。

 自分が心底気持ち悪い。男の癖に男に好意を抱いて、女の子への嫉妬に狂って自分を失って、挙げ句、人として最低なことをした。相手が悪いと決めつけて攻撃して、自分を優位に立てようとした行いが滑稽すぎて反吐が出る。

「ぅ、……っく……ッ…、」

 壁に額を押し付ける。ポタ、と落ちた涙が手の甲を濡らした。次から次へと溢れる涙が頬を伝って床へと落ちていく。壮絶な敗北感と絶望感に打ちひがれながら、声を押し殺して泣いた。



 なんで自分はこうなんだろう。みんな平等に生まれてくるはずなのに、どうして自分だけがこんなに壊れているんだろう。
 どうして異性に目を向けられないんだろう。
 どうして、もっと普通に生きられないんだろう。

 想っていても報われなくて、救われたいのに救われなくて、精神はもう発狂寸前なのに誰も気づいてくれない。苦しさを吐露する場所もなく、村瀬への想いも捨てられず、どうにもならない現状に嘆くことしかできない。
 俺が受け入れなきゃいけない現実は、この眩しい世界ではあまりにも惨すぎた。



 ……もう、嫌だ。
 何もかもが嫌だ。
 全部消えて無くなってしまえばいいのに。









 ───そして。
 その日以降、彼女が村瀬の前に現れることはなかった。

目次

トップページ

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -