彼の想いと彼女の苦悩2


「あの、私……ね。全然素直じゃないし、可愛げもないし、口下手で話もうまくないし、余計なことは言いたくないって自分をセーブしちゃうし。言葉足らずで速水くんを困らせて、不安にさせてばかりで、その……ごめん……なさい」

 いざ口に出すと焦りが生まれる。言いたいことが頭の中で整理できなくて、すんなり言葉が出てこない事がもどかしい。さっきまでは淀みなく彼に不満をぶつけていたくせに、本音を伝えようとした途端このザマだ。
 思えば私はいつもそうだ。
 心の中では色々な事を思ってるし考えてる。様々な感情や言葉がぐるぐると回っているのに、それらを口に出すことはない。
 トイレで陰口を叩かれていた時も、山崎さんに適当に扱われた時も、内心では相手に悪態をつきまくっていたのに、結局声を上げることはしなかった。



 どんな時でも穏便に、何に対しても無関心でいればいい。何事もなかったように平然と過ごすには、口を閉ざすのが一番だ。言葉にしなければ誰かを傷つけることも、自分が傷つくこともない。そうすることで私は私の世界を守ってきた。
 周りの声にも耳を塞いで、本当に口に出さなきゃいけないことも、怖いとか面倒だなんて理由を挙げて口に出さない。そうやって、自分本意に動いてきた結果がこれだ。

「速水くんに嘘までついて、今度は自分のしたことを棚に上げて、速水くんを一方的に責めて……、わたし最低です。ごめんなさい」

 今、速水くんはきっと自分を責めてる。嫉妬に駆られて私を振り回してしまったことに、罪悪感を感じてる。
 でも違うよ、私だって悪いんだよ。
 速水くんだけの問題じゃない。
 だから自分を責めないでって、拙い言葉で訴える。

「……名刺を捨てたくなかったのは、特に深い意味はなくて。佐倉くんのものとか関係なくて、『貰った名刺を捨てる』っていう発想が、私の中に無かっただけで。佐倉くんに連絡を取ろうとか仲良くなりたいとか、そんなつもりは全然ないの」
「……うん」
「……あの時嘘をついたのは、確かに速水くんが怖かったからって理由もある、けど……一番怖いのは、速水くんに嫌われることで」

 ぎゅ、と浴衣を握り締める。
 本音を知られることへの恐怖で、拳に汗が滲んだ。

 速水くんを好きな気持ちは、綺麗なものばかりじゃない。純粋な想いとは裏腹に、彼を独占したい気持ちや嫉妬心も存在してる。
 だから胸の内を晒すのは、本当は嫌だし怖い。醜い感情を知られたら軽蔑されるんじゃないかと、そう思うと怖気づいてしまう。
 でも、このまま佐倉くんの事を疑われたままなのはもっと嫌だから。

「……私、速水くんのこと本当に好きで、大切で。だから、佐倉くんの名刺を隠し持ってることがバレたら怒られるって、嫌われるって思ったら怖くて言えなくて。でも、捨てるのも佐倉くんに申し訳なくてできなくて。だから本人にこっそり返して、穏便に事を済まそうとしてた。……ごめんね、私都合だよね、ごめん」
「………」
「でも、信じてください。佐倉くんとどうこうなりたいとか、そんなこと微塵も考えてなかった。どうやって速水くんに隠し通すか、正直に話すか、それしか考えてなかった。バレたら嫌われるって、思った……っ」
「……嫌わないよ。そんなことで嫌ったりなんてしない」


『そんなこと』

 速水くんは今、そう言った。
 ずっとずっと心残りだった不安事を、全部払拭するだけの力強い言葉。嫌ったりしない、一番望んでいた筈の言葉なのに、それでも心は軽くならない。
 だって速水くんは、本当の私を知らない。
 だから「嫌わない」なんて簡単に言えるんだ。

「……私、速水くんが思ってるほどいい子じゃないの」
「うん」
「小心者だし、嘘だってつくし、いつも人の顔色ばかり窺ってる」
「うん」
「本当はすごく、嫉妬深い」
「うん」
「意地っ張りだし」
「うん、知ってる。ずっと見てきたから」
「……っ、猫、被ってるし」




 ───弱くて、卑屈で、臆病者。
 自己肯定感が低くて、劣等感の塊で。
 そのくせ承認欲求だけは強くて、見栄っ張りで、他人の愚痴や文句だけは一人前。
 心の中は汚いし、腹の中なんて真っ黒だ。

 それが私。

 自分の性格の酷さは、自分が一番理解してる。
 だから、そんな自分を速水くんに知られたくなくて、ひたすら自分を偽った。
 どんな時でも気丈を振る舞って、平然を装って。一番彼の隣に相応しくない女なのに、その事実を認めたくなくて、彼女という立場にしがみついた。

 全部、全部、自分のため。

 彼が私から離れていかないように必死だった。
 だって、速水くんがいなくなったら、私は…………、

「みんな、どこかしらで自分を偽ってる。天使さんだけじゃないよ」
「……私は、打算だらけだよ」
「みんなそうだよ」
「本当の私を知ったら、速水くんは私を嫌うよ」
「嫌わないよ」
「なんで断言できるの」
「好きだから」

 どく、と心臓が大きく音を立てた。
 息が詰まって、咄嗟に何も言えなくなる。

「……っ、こ、答えになってない」
「答えにならないかな」
「っ、だ、だって、なんでこんな女がいいの。私は、私が嫌いなのに。速水くんが好いてくれる理由がわからない。みんなだって、」

 あ、と口を衝いた時には遅かった。


 ───"みんなだって、"


 一番触れたくない話題に、自ら持っていってしまったことに後悔が押し寄せる。

「……部署の、みんなだって。私のこと嫌ってる」
「俺は俺だし、他人は他人。部署の人間がどう思おうが関係ない。俺は天使さんが好きだし、天使さんしか見えてないし、離れたくない」
「………」

 ……この人は、優しい。

「……私も、離れたくない」
「うん」
「離れたく、ない……けど」

 優しすぎるから、苦しい。

「私が離れたくないって思うのは、打算で動いてるからで」
「………」
「私にはもう、速水くんしかいない、から……、速水くんに嫌われたら、わたし……っ」

 呼吸が乱れる。震える唇を噛み締めて、漏れそうになる嗚咽を必死に堪えた。
 速水くんが私から離れて、あの部署にひとり取り残される未来を想像しただけで恐怖が募る。

 泣いちゃダメ。ここで泣くのは狡い人のすることだ。だから泣くな、そう自分を戒める。
 それでも言葉が続かない。声が喉に詰まって出てこない。とうとう肩まで震え始めた時、浴衣の擦れる音が耳元で聞こえた。

 伏せていた瞳を開けば、私の頬にそっと触れた、速水くんの手のひら。
 宥めるように撫でてくれる動きがあまりにも優しくて、我慢の限界が近づいてくる。
 瞳が合えば、柔らかく微笑んでくれた。

「……大丈夫だから」

 労るような声に、涙腺が緩んでいく。

「……泣いてもいいから、話して」

 その一言で、涙が溢れて。

「…………っ、わたし、











 会社、辞めたい」



 想定外の本音が、落ちた。


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