彼の想いと彼女の苦悩1


「……そう。知ってたんだ」
「うん……」
「……俺のこと疑ってたんだ」
「……ごめんなさい」
「……そっか」

 速水くんは一切動揺を見せなかった。
 私の言い分に、否定も肯定もしない。
 私自身、怒りに任せて口走ってしまった部分もあったから、冷静さを取り戻した後に罪悪感が押し寄せてくる。彼が何も反論しなかったことも相まって、渦巻く罪の意識は徐々に膨れ上がっていく。

 ここまで責める必要ってあったのかな。
 大体、私だって嘘をついていたことに変わりはないのだから、まず先に謝るのが筋なんじゃないのかな。

 ぐるぐると思考が巡る。今度こそ嫌われたかもしれない、不安ばかりが募っていく中、小さなため息が聞こえた。
 思わず肩が震え上がって、慌てて顔を上げる。
 速水くんが私から視線を逸らし、ゆっくりと天井を見上げた。

「……何から話せばいいかな」

 私の問いかけに、ひとつひとつ答えようとしてくれてるのかな。天井の一点だけを見つめている彼の瞳は真剣そのもので、次に何を言おうか、思案しているようにも見える。

「……佐倉からの伝言の件は、ごめん。嘘ついた」
「……うん」
「あの人の名刺なんて、天使さんに持っていてほしくなかった。あの人と繋がりがあるものは全部断ち切りたかった。仕事とかプライベートで貰ったものだからとか関係なくて……アイツだから、嫌だった」
「……?」

 最後の方は聞き取れないほど小さな呟き。
 でも、ちゃんと耳に届いた。
 まるで、「他の人の名刺なら許せるけど、佐倉くんの名刺は特別に嫌だ」と、そうとも聞き取れる口調に疑問を抱く。
 嫉妬にしては、佐倉くんを特別視し過ぎている気がする。気がするだけ、かもしれない。

「……名刺を探してるフリに気付いてたけど、あえて黙ってたのは他にも理由があって」
「うん」
「あの時の天使さん、『名刺を捨てたくない』って空気出してたから」
「……出してました?」
「出してました」

 ふ、と速水くんの表情が崩れた。
 その力ない笑みから、彼の怒りは感じない。

「……普通に考えたら嫌だよね。縁があって頂いた名刺を、赤の他人から『捨てろ』なんて言われたら。俺が同じ立場でも、いい気分はしないし」
「………」
「佐倉から頼まれた伝言を偽って伝えてしまったことに、少なからず罪悪感はあったよ。俺の一方的な嫉妬で、天使さんを困らせたくもなかったし……それで嫌われたら、元も子もないから。でも、やっぱり名刺を持っていてほしくない気持ちが強くて、だからあんな言い方をした。……ごめん」
「………」

 ……あんな言い方。


「もしかして、レシートと一緒に捨てちゃったんじゃない?」


 佐倉くんから貰った名刺を、探しても見つからないフリを続ける私を見かねて、速水くんはそう発言した。
 思えば、あの一言がキッカケで会話の流れが変わった。それまで気まずかった空気が消えて、いつもの穏やかな雰囲気に戻った。
 速水くんの言う『あんな言い方』は、私を試す為でもあったかもしれないけど、あの場の空気を変える為にわざと言ってくれたのだと、今頃になって気づく。
 そう、だったんだ。

「天使さんがあの時、俺に合わせて嘘をついてくれた理由もわかってる。俺、あの時態度悪かったから。……怖かったよね、本当にごめん」

 ……ああ、私が言わなくても、この人は全部わかってる。私が嘘をついたことも、嘘をついた理由も、全部理解してる。自分のした事に、ちゃんと責任を感じてるんだ。
 なのに私は、速水くんの気持ちを少しも理解していなかった。ただの嫉妬かな、くらいにしか思っていなくて、そればかりか、「彼が先に嘘をついた」なんて幼稚な反感を抱いて責めた。
 もし私が、早く名刺を返していたら。
 名刺を返却したいことを、速水くんにちゃんと伝えていたら。先伸ばしにしなければ、こんな風に話がこじれてしまうことはなかったかもしれない。

「……そこで名刺を拾った時は驚いたし、正直苛ついた。捨てていないだろうなって薄々勘づいてたけど、どうしてこんな所にあるんだろう。なんで彼氏との旅行中に、他の男の名刺なんか持ってきたんだって。俺の知らないところで、佐倉と連絡取り合ってるのかなって思った」
「してないよ」
「……佐倉に、名刺のこと確認しに行ったんでしょ」
「行ってない。エレベーターで偶然会った時に訊いてみただけ。連絡なんて1度もしてないし、する気もない」
「……ほんとに?」
「うん」

 潔く頷く。それは嘘偽りない、本当のことだ。
 けれど速水くんは納得できていないようで、神妙な顔つきを保ったまま。信じたくても信じきれていないような複雑な心情が、その固い表情から読み取れた。
 困ったな。彼についた嘘も、嘘をついた理由も全て知られてしまった以上、私から明かすものはもう何もない。それでもまだ佐倉くんの事を疑われてしまうのなら、何を言っても無駄のような気もする。

 どうしよう。
 こういう時、何て声を掛けたらいいの?

「……速水くん」
「………なに?」

 少し間を置いて彼が応える。今にも消えてしまいそうな声音に、彼が相当沈んでいるのが目に見えてわかる。彼がここまで気落ちしてしまっている理由は、私にだって原因があるんだ。
 嘘なんて言わなきゃよかった。
 自分を守るための嘘なんてつくものじゃない。遅かれ早かれ、どうしたって誰かを傷つける。
 それがわかった以上、今、私が彼に言えることなんてひとつしかなかった。心から思ってること、感じたことを伝えるだけ。本音を晒すのは怖いけど、これ以上嘘をつき続けるよりはずっといい。

mae表紙tugi

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