かき揚げ丼のお話。3


「……かき揚げ丼、チーズも食べるんですね」

 拾ったばかりのかき揚げ丼は本当に小さくて、口にしていたものは、ペースト状に仕上げた離乳食。乳歯が生え始めたばかりだったから、食べられるものも限定されていた。それからしばらく経って、かき揚げ丼は千春くんに引き取られたんだ。
 かき揚げ丼と離ればなれになってしまったから、千春くんのところでどんな生活をしていたのか、どんなものを食べていたのかまでは把握していない。

「というかね、何でも食べるよ。ご飯もお菓子も漬け物でも。この間なんて、納豆食べられた」

 そう言い放つ千春くんの顔は少し、ゲンナリしている。聞けば、どうやら一悶着あったみたい。

 納豆を食べちゃった時、フィルムがかき揚げ丼のお鼻にくっついて、剥がれなくてパニックに陥ったかき揚げ丼は、それはそれは大暴れしたらしい。
 千春くんが取ってあげたけど、顔がネバネバになって、納豆の匂いが刺激になったのか、くしゃみを連発。千春くんが綺麗に洗ってあげようとしたら、更に大暴れ。
 水に濡れるのが嫌いな猫ちゃんにとって、顔を洗われるのはかなりのストレスだ。でも納豆の匂いをプンプンさせたまま放置もできないし、本当に大変だったみたい。
 千春くんには申し訳ないけど、その光景を想像したら微笑ましくて、つい笑みが漏れてしまった。

「猫ちゃんは納豆食べないって聞いたことあるけど」
「食べたよ。普通に。本当にね、そんなものまで、って思う物も平気で食べるから。その辺に置いておいたら、すぐ無くなるよ」
「食いしん坊……」
「胃がブラックホールなんじゃないの」

 もう一度リビングを覗いてみれば、2人掛けソファーの上で、盗んだチーズをもぐもぐしてるかき揚げ丼の姿がある。
 とっても美味しそうに頬張っていて、その愛らしい姿に心がほっこりしてしまう。同時に嬉しさも込み上げる。

「……いっぱい元気になったんだね」

 結局、かき揚げ丼の親猫がどこにいるのかはわからなかった。捨てられたのか、もしくは親猫ちゃんに何かあって、はぐれちゃったのかもしれない。
 あんなに泥だらけで、足元もおぼつかないほどフラフラしてた。お腹を空かせて、今にも消えそうなくらい弱々しい声で鳴いていたあの子は、今、元気いっぱいな姿を私に披露してくれる。
 鈴をりんりん鳴らしながら、あちこち走り回って、跳び跳ねて。たくさん食べて、たくさん寝る。

 色んなものを食べられるようになった。
 素敵な飼い主ができて、遊べるものも沢山できた。
 かき揚げ丼の首元に付いている鈴は、あの日、私が紐に通してオモチャ代わりに使ったあの鈴だ。1年経った今でも、かき揚げ丼のお気に入り。

「そういえば、莉緒とあほ猫の出会いって聞いたことないね」

 千春くんの一言に、はた、と我に返る。

「あれ。そうでしたっけ?」
「うん」

 そっか、そういえば話していなかったかもしれない。

 千春くんがどうやってかき揚げ丼と出会って、どういう経緯で飼い主になったのか。
 それはちょうど1年前、千春くんが私のバイト先───つまり、お父さんの店に訪ねて来た日に、彼とかき揚げ丼は出会っている。私が紹介したからだ。
 でも、私とかき揚げ丼の出会いは、彼は知らないんだ。

 だから私は、中途半端になっていた料理を再開しながら千春くんにお話した。
 店の路地で見つけた、白い子猫ちゃんとの出会いのこと。
 首元の鈴のこと。
 最初は離乳食だったこと。
 ひとつひとつ思い出しながら話を続ける私を、千春くんは途中で口を挟むこともせず、聞いてくれる。

「離乳食って、お店で作ったの?」

 私の話を一通り聞いた千春くんが、そう問いかけてきた。

「うん。でも、作り方わからなかったから、スマホで検索して、必要な材料を買いに出掛けて、それから………、千春くん?」

 不意に言葉を止めて彼を見やる。
 私を見返す千春くんは、何だか神妙な顔つきをしていた。いつも余裕たっぷりで穏やかな笑顔を崩さない彼にしては珍しい表情だった。

 どうしたのかな?

「……それってさ」
「? はい」
「どこに、買いに行ったの?」
「え? えっと、コンビニ」
「ひとりで?」

 こく、と頷く。

「コンビニって、どこの?」
「か、歓楽街通りの方……」
「………」

 そう。当時の私のバイト先───
 つまりお父さんのお店は、歓楽街の近くにある。その歓楽街の通りに、大きなコンビニがある。

 私はまだ高校生だったし、あの通りを歩くのは危険行為。治安の良くない場所だから誰かに絡まれることもあるし、補導される可能性だってある。
 でも、深夜でも品揃えがいい店舗はそこしかない。他にもコンビニはあちこち点在しているけれど、夜遅い時間帯だと物が少ないし、商品も入荷されていない。
 必要な時に、必要な材料がないと困る。
 あんなに弱ってる子猫を、私は放っておけなかった。

 とはいえ、私が安易にそんな場所を選んでしまったことに、千春くんは怒っちゃったのかな。自分の教え子がそんなところを歩いていたなんて、教師なら嫌なはず。
 そんな風に思ったけれど、見上げた彼は怒ってる風には見えないし、不機嫌そうな態度でもない。うまく言えないけど、なんか、呆けてる。

 本当にどうしちゃったんだろう。
 ますます困惑する私。

「それ、いつの話?」

 千春くんが静かに問い掛ける。
 さっきから質問攻めが止まらない。

「え……と、千春くんが私のお父さんに初めて会いに来た2、3週間くらい……前かな?」
「……何時頃?」
「え?」
「その、コンビニに行った時間」
「え、えっと」

 この状況に困惑しながらも、私は必死に記憶を辿っていく。

「……23時頃、です」
「23時……」

 ポツリと呟き返した千春くんの声は弱い。

「……あー、やっぱり。" あの時 "か」

 首を傾げながら見上げる私に、彼はにっこり微笑んだ。さっきまでの曇っていた表情は、嘘みたいに晴れている。どうやら彼の中で、納得する部分があったみたいだ。

 でも、私はちんぷんかんぷんだ。

 なるほどって、なにが?
 あの時って、どの時?

「さて、夕食の準備しますか」

 あ。はぐらかされた。

「千春くん、どうしたの?」
「何が?」
「途中から、なんか変だったよ」
「そう?」

 うん。変だった。
 私がかき揚げ丼の離乳食を作るために外へ出掛けた、あたりから千春くんの様子がおかしかった。
 でも。

「そんなことないよ」
「………」

 極上の笑顔で交わされる。
 とっても怪しい。
 千春くん、私に何か隠し事してる。

「千春くん」
「ほら、早く作らないと遅くなるよ」
「なに隠してるの」
「なにも隠してないよ」
「うそ」
「嘘じゃないよ」
「教えてくれたら、お母さんが用意した猫耳メイドさんのコスプレするの」
「前に、その通りで莉緒に似た女の子を見かけたことがあったんだよね」

 あっさりと白状した。
 千春くんの一言に、私は目を丸くする。

「前に?」
「うん。ちょうど1年前の今頃。ナオの店に寄った帰りにね。確か23時頃」
「え、え」
「見間違いかなあ、とも思ったんだけど」

 思わず目を見開く。
 予想すらしていなかった返答に驚きを隠せない。

 そうなの?
 そうだったんだ?
 まさか、当時先生だった千春くんに見られてたなんて知らなかった。1年後に、こんな形で知ることになるなんて。

「それ、きっと私です」
「やっぱり?」
「あの辺の通りは怖いから、絶対行かないようにしてたので。そのコンビニに行ったのも、その日が初めてで」
「女の子がひとりで出歩くには向かない場所だね」
「わあ、びっくり」

 そんなことってあるんだ。
 今度は私が呆ける番。
 元通りに戻った千春くんは、ものすごくいい笑顔で、私に顔を近づけてきた。

 え、何?

「メイドさん」
「え」
「してくれるの?」
「あ……」
「楽しみにしてるね」

 その一言で、急激に恥ずかしさが込み上げてくる。
 千春くんの隠し事を明かしたくて、勢いついでに出てしまった失言。何のコスプレかまで暴露してしまった。自爆。

「あ、あの、撤回させてくださ、」
「聞こえませんね」

 そして、飄々とした態度の千春くんと、そんな彼に翻弄される私の、いつも通りの構図が出来上がっている。
 必死に撤回を訴える私の傍らで、チーズを食べ終えたかき揚げ丼が、いつの間にかカウンターの上に乗っていた。皮だけが剥けた状態のじゃがいもを、前足でころころと転がして遊んでいる。
 かき揚げ丼にとっては、見るもの全てがオモチャに見えるのかもしれないね。

 私と、千春くんと、かき揚げ丼。
 2人と1匹で過ごす時間。
 こんな穏やかな日々が、この先もずっとずっと、続けばいいな。






 ………でも、キッチンでえっちなことは、だめです。

mae表紙tugi

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