かき揚げ丼のお話。2


「千春くん」
「ん?」
「まだ料理終わってないの」
「俺の役割は終わったよ」
「じゃがいもの皮剥いただけなの」
「後は莉緒を愛でる仕事しか残されていません」
「………」

 自由奔放に生きる千春くんは、発言も自由。
 そんなお仕事は用意していないのに、勝手に自分で決めて遂行しようとする。
 千春くんの犠牲になったじゃがいも達は、皮を剥いただけの状態で、まな板の上に放置されていた。

 千春くんは頭が良くて何でも出来るし、何でもしようとするし、そういうところは素直に尊敬できる人だけど、ベタ甘なところは全然ダメかもしれません。
 でも、くっつかれると嬉しくなっちゃう私も大概です。人のこと言えないのは、私も同じ。
 でも、今は真面目に調理中。
 私はもう千春くんと対等の立場なんだから、遠慮することないよね。
 ここは、私がびしっと言わなくては。

「千春くん!」
「はい」
「夕飯を作ってる時は、離れてほしいのです」
「なぜですか」

 強い口調できっぱり拒否を示したつもりなのに、千春くんは全然堪えていない。

「包丁とか使います」
「うん」
「火も使います」
「IHだから使わないけどね」
「うっ」

 揚げ足を取られました。

「と、とにかく、危ないから嫌なんです!」
「くっつく度に嬉しそうな顔してる癖に説得力ないよ莉緒」
「うぐっ」

 バ、バレてた。

 直球で図星をつかれて、顔全体を引き締める。
 う、嬉しがってません。
 怒ってるんです!

「ご、ご飯だって、作るの遅くなっちゃう」
「一緒に作れば早く出来るよ」
「千春くんは仕事で疲れてるんだから、休まないとだめなの」

 学校から帰ってきた千春くんの、ちょっとお疲れ気味な様子を見てしまったら、お家ではちゃんと休んでほしいと思ってしまう。
 だから夕飯は私が作るって決めたのに。
 千春くんの負担を少しでも減らしてあげたいのに、彼はちっとも理解してくれない。

 正式にお付き合いを始めて、約1ヶ月。
 既に亀裂が走り始めています。

「……1人で夕飯待ってるとさ」
「?」
「暇だし、寂しいんだよね」
「え……」

 はたり、と瞬きを落とす。
 突然の弱音発言に目を丸くする私の背後で、はあ、とわざとらしい溜め息が聞こえた。

「だから、俺は考えました」
「……?」
「疲れた体を休めつつ、寂しさを紛らわせる方法を」
「………」
「ぼっちで暇な時間を有意義に使おうと思った結果がこれです(ひっつき虫)」
「もっと別の使い道があると思います」

 そもそも今は、料理中にくっついてくると困る要因について話していたはず。
 千春くんがひっつき虫になるまでの経緯は聞いていません。

「と、ともかくですね」
「はい」
「今日は一緒に夕飯を作ります」
「そういう約束だからね」
「なのに今、千春くんは、……その………、」

 違和感に気付いて、ぴくりと体が反応する。

「……………千春くん」
「ハイ」
「太ももを撫でるのはやめてください」
「なぜですか」
「その質問こそなぜですか」

 そろりと肌を撫でる悪戯な手を、ぺいっと払う。

「いきなり触ってきたらびっくりします」
「今から太ももを撫でます。これでいいですか」
「事前報告をすればいいって話ではありません」

 そう抗議しても、千春くんはめげなかった。
 お腹に添えていた片方の手を、今度は内股に忍び込ませてくる。
 思わずぴくりと反応してしまった。
 本当に油断も隙もないんだから。

「っ、千春くん!」

 後ろを振り向いて睨みつければ、何を勘違いしたのか、今度は顔を傾けて唇を重ねてきた。

 ううう、違う。
 違うんです、キスをせがんだ訳じゃないのです。
 そう訴えたくても、塞ぐ唇がそれをさせてくれない。

「……あー、無理かも」

 唇が離れたと同時に囁かれた。
 肩に両手を置かれて、体がくるりと回転する。
 向かい合わせになった直後、カウンターの上に押し倒された。
 嫌な冷や汗が背中を伝う。

「ま、まって、だめ」

 圧し掛かってくる千春くんの胸を押し返そうとしても、まるで微動だにしない。
 そして、全然退けてくれる気配もない。
 絶望的な状況すぎて私は青ざめた。

 涼しい顔で私を見下ろしてる千春くん。
 でも、その目は獲物を捕まえた野生動物のようにギラついている。肉食系動物。
 はち切れんばかりに、ぶんぶん振っている尻尾が見えた気がした。

 た、食べられる。

 前にも似たような状況に追いやられた事を思い出して、今にも私を食べ尽くそうとする狼さんを、必死にぐいぐい押す。

「ご、ごはん! ごはん作るの!」
「ご飯食べたいの?」
「た、たべたい」

 おなか空いたもん。

「ご飯の前に、先にいい事しない?」
「しない」
「もう全然莉緒に触れてない。欲求不満で死にそう」
「し、しんじゃだめ」
「そうだね。俺が死なないように協力してね」
「んっ」

 抵抗も虚しく、唇を塞がれる。
 両手もあっけなく捕らわれて、台の上に押さえ付けられた。
 完全に捕獲されてしまった私は、ただ彼から与えられるキスに応じるしかない。
 とはいえ私にも、意地というものはある。
 唇の隙間をなぞる感触を拒むように、固く口を閉ざした。

 今、ここで千春くんの誘惑に乗ってしまったら、きっとまた、同じような状況に追いやられた時に抵抗できなくなってしまう。
 それはだめ。
 だって夕食前にこんなこと、こんなところで、やっぱり不謹慎だと思うから。
 それに私だって、いつまでも振り回されっぱなしじゃいけない。流されてばかりじゃないんだぞ、という強い意思を見せなきゃいけない。
 私が本気で嫌がっている意思を見せれば、千春くんだって身を引いてくれるはず。

 と、そう思っていたのに。
 この人はやっぱり容赦なかった。

 いきなり鼻を摘んできた。
 勿論、唇はずっと塞がれたまま。
 当然呼吸は出来なくなって、息苦しさにもがく私はつい、口を開けてしまったわけで。

 新しい酸素を勢いよく肺へと送り込む。
 同時に千春くんの熱も一緒に侵入してきた。

 うう、ひどい。
 イジワル。
 こういう時ばっかり優しくない。
 やっぱりこうなっちゃった……。

「ん、んぅ……ふ……っ」

 艶かしい吐息が漏れる。
 逃げ惑う私の熱を、千春くんはあっさり捕らえて掬い取った。
 舌が絡み合う度に、くちゅ、と湿った音が響き、吸われては咥内に唾液が溜まる。こくん、と飲み下せば、千春くんは満足そうに微笑んだ。

 思わず胸がきゅんと高鳴る。
 この至近距離で、その表情はズルすぎる。
 数分前に抱いていた強気な意思は、いともあっさり陥落した。

 甘ったるい空気に酔ってしまいそう。
 頑なだった心が解されそうになって───

「にゃん」

 この場にそぐわぬ愛らしい声が、聞こえた。

「………え?」

 甘く蕩かされていた頭は、一瞬にしてリセットされた。
 千春くんも、ぱちりと瞬きを落としてる。
 視界の端に、スライスチーズをぱくり、と咥えているかき揚げ丼の姿が見えた。

「……あっ! かき揚げ丼、だめ!」

 叫んだところで、もう遅かった。
 猫ちゃんはすばしっこい生き物。私達の目を盗んで攫った食材を咥えたまま、颯爽とキッチンから逃げ出してしまった。
 夕食に使うはずだったチーズは、まるごと全部、無くなっている。今頃、かき揚げ丼のお口の中だ。
 キッと千春くんを睨めば、乾いた笑みを浮かべながら肩を竦めてみせた。

「まあ、しょうがないよね」
「しょうがなくないの! 千春くんのせいなの!」

 全ての元凶を引き起こした本人の胸を、ぽかぽか殴る。ごめんね、とニコニコしながら謝る当人は、全然悪びれている様子がない。
 むう、と頬を膨らませる私を台から下ろして、千春くんの目が皿に向く。

「何に使う予定だったの?」
「いももち、作ろうと思ってたの」
「いももち?」

 何それ? と千春くんが首を傾げる。

「北海道の食べ物なの」
「へえ」

 芋を潰して、片栗粉で混ぜて形を整えた後に焼いたり、揚げたりする食べ物だ。
 醤油の甘たれをつけるとすごく美味しくて、我が家ではよく作る、定番のお菓子。チーズを加えればクリーミーな風味が加わり、また格別なの。
 夕飯に出すメニューではないけれど、折角こうして泊まりに来てるんだし、一緒に作って、夕食後に食べようと思ってたのに。
 しょぼん、と肩を落としていたら、慰めるように頭を撫でられる。

「明日、また買いに行こう。ね?」
「………うん」

 頭を撫でられると弱い。
 腑に落ちない気分のまま、私はこく、と頷いた。

mae表紙tugi

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