覚悟のお話。1 夕食後は、お風呂を拝借した。 先に入ってもいいよ、千春くんのその言葉に甘えさせてもらった。 体を隅々まで洗って、髪も丁寧にごしごしして。 そして湯船に浸かりながら、思う。 「……私、どこで寝たらいいんだろう」 ちゃぷん、と湯が揺れる。 小さな疑問に応える声は、もちろん無かった。 1週間以上、彼氏の部屋に寝泊まりする。 それがどういう事なのか、ちゃんとわかってるつもり。その間、何も起こらない訳がない。 今までだって何度か千春くんと触れ合ってるし、数日前、自らソレ目的で「泊まりに行きます」宣言をしたのは、私の方だ。 一緒のベッドで寝るのなら、必然的にそういう流れになるんじゃないかと思ってる。そこまで鈍くはないつもり。 ただひとつ、気になる事がある。 それは今朝のこと。 目が覚めたとき、隣に千春くんはいなかった。 彼はソファーで眠っていて、私はひとりで、寝室のベッドを占領していた。後で聞けば、車内で寝落ちしてしまった私をわざわざ部屋まで運んでくれたらしい。 でも、どうして千春くんは私と離れてソファーで寝たんだろう。 それが、ずっと引っ掛かってる。 以前泊まったときは、一緒に寝てくれた。 あの時は「一緒に寝よう」と私から誘ったからだけど、今回はそうじゃない。 だけど今更、彼と一緒のベッドで寝ることに抵抗なんてあるわけ無い。それは、千春くんだって気づいているはず。わざわざ私と離れて寝る意味がわからなかった。 千春くんが私と一緒に眠らなかった理由。 考えて考えて、ふと、答えが浮かんだ。 以前、千春くんが実家に来てくれた時、私は彼を強く拒絶してしまった。 恥ずかしいのに、彼に触れられる事を喜んでいる自分に戸惑った。こんな自分は自分じゃないと意地を張った。自分がはしたなく思えて目を背けようとした。怖かったんだ。 でも千春くんは、私に触れたり触れられるのが嬉しいと言ってくれた。怯えたりしなくていい、楽しんでくれたらそれでいい、って笑ってくれた。そんな感じでいいんだって思ったら、すごく心が軽くなったのを覚えてる。 でも、私が千春くんを拒んでしまったのは事実。 もしかしたらあの日の事を、千春くんは気にしているのかもしれない。触れるにしても、少し距離を置こうと思っているのかもしれない。 だとしたら、私はショックです。 「……やっぱり、今日は私から誘わなきゃ」 触れられることに、羞恥や恐怖が全部消えた訳じゃない。 それでも、触れてほしい。 いつまでも怯えてる訳にはいかないのだ。 千春くんになら何されても受け入れたいって思ってるし、そしてできるのなら、私も千春くんにいっぱい触れたい。 それで千春くんが喜んでくれたら、私も嬉しいの。 怖いとか、恥ずかしいよりも、嬉しいとか幸せって気持ちをたくさん知りたい。 「……うん」 大丈夫。 恥ずかしいからってもう逃げない。 緊張するけど、がんばる。 おっきく息を吐く。 乱れる呼吸を落ち着かせてから、私は浴槽から出た。 そして、今。 「ふかふかにゃ〜」 「………にゃ」 真っ白な毛並みに頬擦りしている私がいる。 お相手はかき揚げ丼。 やや面倒くさそうな鳴き声を発せられた。 千春くんは私と入れ替わる形で浴室へ行ってしまって、待ちぼうけをくらってる私は、ソファーに座りながら彼が戻ってくるのを待っている。背もたれの上で毛繕いをしていたかき揚げ丼に、ほっぺすりすり。至極のもふもふタイム突入。 でも、かき揚げ丼は迷惑だったみたい。 「にゃん!」 「あ、」 もう限界と言わんばかりに、ぴょん! と勢いよくソファーから飛び降りる。キッチンの方へ颯爽と逃げ出してしまった。 後に残ったのは私ひとり。 「……フラれちゃった」 「ベタベタしすぎるからじゃない?」 素っ気ない声に振り返れば、そこにはシャワーを終えた千春くんの姿がある。タオルを肩に羽織った状態でリビングに戻ってきた。 白のTシャツ姿に古着のジーンズ。 最近やっと見慣れてきた、彼の普段着。 濡れた髪を拭きながら、千春くんは私の隣に座った。 つい身構えてしまった私に、彼の両腕が伸ばされる。よいしょ、と抱きかかえられて、今や定位置となってしまった彼の膝の上に、またもや乗せられてしまった。 互いに向かい合っている状態。 至近距離で目が合う。 「俺はベタベタされても逃げませんよ」 「………」 ……千春くんは猫ちゃんじゃないし。 「あの、千春くん」 「ん?」 一緒のベッドで寝てもいいのかな、そう問いかけようとしたけれど、何故か千春くんはずっとニコニコしていて。妙な違和感を覚えた。 ちょっと、裏のある笑い方。 視線を落として、念の為に確認。うん、ブラは見えていない。 なんだろう? と首を傾げていたら、千春くんの人差し指が私の鼻をぷに、と押した。 「すっぴん、可愛い」 「………」 直後、稲妻のような衝撃が脳天に落ちる。 …………私、今すっぴん、だ。 忘れてた!!! 「わわ、みないでみないでっ」 「嫌です。ちゃんと見せて」 「ふえ、やだあ」 そうだった。 一緒に寝泊りするという事は、すっぴんもがっつり見られるという事だ。 どうして今まで気付かなかったんだろう。 慌てて顔を隠そうとしても、両手首をがっしり掴まれてしまっては難しい。 「なんでそんなに嫌がるかな」 「だ、だって可愛くない」 「そんなことないよ」 「そんなことあるの」 今の私はカラコンを外してるから、お目めだって小粒サイズだしお肌てかてか、眉も薄い。彼氏の前に出せるような顔じゃない。 大好きな人にはいつも、一番可愛い自分を見てもらいたい。すっぴんなんて論外。そう思うのに、この乙女心が千春くんには理解できないみたい。 顔を見られたくなくて俯きっぱなしの私に、彼は呆れたように、溜息をひとつ吐く。 「男はね、莉緒ちゃん。好きなコのすっぴんが大好きな生き物なんですよ」 「……好きなコ」 キュンとした。 「じゃないの! 見ちゃだめなの!」 「だーかーらー、俺から見たら全然可愛いの。ちゃんと見せるの」 「やー!」 場所の安定しない膝上で、ひたすら押し問答を繰り返す私達。一歩も引けない勝負は、けれど次の瞬間、あっさりと決着を迎えた。 「莉緒」 「っ、ん」 後頭部に回された手が、強引に頭を引き寄せる。びっくりして顔を上げると同時に唇が塞がれた。 数時間前、キッチンで押し倒された時にされたキスとは全然違う。労わるように啄む優しい触れ方に胸が高鳴っていく。 彼のキスひとつで大人しくなるなんて、私ってば、千春くんに懐柔されすぎじゃないかな……。 「……莉緒は、キスしたら大人しくなるんだね」 しかも言われた。 死ぬしかない。 「そ、そういうことは言わなくてもいいの……」 耳まで真っ赤に染まってる私を、千春くんの優しい眼差しが降り注ぐ。 羞恥心に駆られて顔を俯きそうになったけれど、すっぴんを見られたくらいで恥ずかしがっていては駄目だと思い留まった。 この程度で逃げてちゃだめ。 私はこれから、千春くんを一緒のベッドに誘うんだから! 「あ、あのね」 「うん?」 「変なこと、聞いてもいいですか」 「なに?」 「……今朝、なんで私と離れて寝たの……?」 拒まれてる、なんて考えたくない。 「え? そんなこと気にしてたの?」 「う、うん」 「あー、そっか。うん」 一人で納得したように頷いている千春くんを、黙って見やる。 お風呂上がりで、湿気を含んだ髪。 細くて綺麗なフェイスライン。 覗く鎖骨はどことなく、色気があって。 半袖から露出する二の腕にいつも抱きしめられていたんだと思うだけで、全身が発火したように熱くなる。 いつも思う。 千春くんは、綺麗な男の人だ。 初めて彼と出会った時も、そう思った。 格好いいのは勿論だけど、綺麗という印象が私の中では強い。 「莉緒」 名前を呼ばれて、はっと我に返る。 千春くんに見惚れていた自分に気が付いて、ぼぼっと顔に熱が上がった。 こんな有様で、彼を誘い出すことなんて大胆なこと、私に出来るのかな。 本人を目の前に、弱い自分が顔を出す。 何か言わなきゃと気が焦る私を前に、千春くんが先に口を開いた。 「あのね莉緒」 「な、なんですか?」 「うん。俺も、今から変なこと言うけど。ちゃんと聞いてね」 「……?」 空気がぴりっと張り詰めた気がして、一気に緊張感が増す。 何を言われるのか全く予想ができなくて、思わず黙り込んでしまった私に、彼は目を逸らすことなく、告げた。 「今日は……というか、今日から、かな」 「?」 「俺は今日から莉緒のこと、ちゃんと抱こうと思います」 「………」 呼吸が止まった。 抱くって。 え、抱くって。 え。 「っち、はるくん」 声が裏返った。 動揺して、うまく言葉が紡げない。 千春くんの真摯な眼差しを受けて、彼の言葉が本気なんだと悟った。 トップページ |