お花見デートのお話。2


・・・



「おはよう」
「おっ、おはようござい、ます!」
「元気だね」

 そして、約束の時間。
 お家まで迎えに来てくれた千春くんに一礼すると笑われた。
 変に緊張してぎこちない動きになってしまっている私は、前髪をいじったり服の裾を引っ張ったり、落ち着かない仕草ばかりしている。
 対して千春くんは、今日も相変わらず冷静な様子で私を眺めていた。

「可愛いね」
「え」
「髪。巻いたんだ」
「あ、うん」
「ピアスも」

 千春くんの手が伸びてきて、髪に触れる。顔に掛かる一部を指で掬って、そのまま耳に掛けられた。
 露になった耳朶に、千春くんの指先が触れる。
 ピアスを覗き込んでくる彼の顔が近くて、かあっと頬が熱くなる。
 両手にバスケットを抱えている私は身動きも出来ず、千春くんのされるがままになっていた。

「この間とは違うやつだね」
「わ、わかるの?」
「まあね。誰よりも先に気づいてあげたいし」
「…………あう……」

 甘い。
 甘ったるいです。空気が。

「うん、かわいい」

 とっても綺麗な笑顔で言われて、嬉しくて飛び上がりたくなる気持ちを必死に抑え込む。
 頑張って巻いてよかった。
 千春くん、とっても上機嫌っぽい。

 改めて彼と向き直る。
 ブルーグリーンのサマーニットにロング丈の白Tシャツ。首からリングネックレスを下げていて、シンプルなのに、おしゃれな印象だった。
 千春くんは背も高いし、姿勢もいい。
 どんな服でも似合っちゃうね。

「はい、プレゼント」

 彼の私服姿に惚れぼれしていると、唐突に何かを差し出された。
 手にしていたバスケットを一旦床に置いて、素直に受け取ってみる。プレゼントと称して手渡されたそれは、水色のチェック柄に彩られた紙袋だ。
 大きさにしてB5サイズくらい。
 見た目は小さいのに、手にした瞬間、ずしりと重みを感じて軽く衝撃を受けた。

 え、何だろうこれ?

 中を覗き込もうとした時、突然ごそごそと袋の中身が動き出した。
 ビックリして固まる私。
 そして中から白いものが、ぴょんっ、と飛び出してくる。

「にゃん!」
「かき揚げ丼!」

 千春くんの飼い猫ちゃんだった。

 思わぬ来訪客に驚いている私に構うことなく、かき揚げ丼は軽々と肩に飛びついてくる。
 まだ体は小さいけれど、出会った頃に比べるとそれなりに成長しているかき揚げ丼を肩に乗せるのは、なかなか容易なことじゃない。
 両腕に抱き直してから、千春くんに目を向ける。

「そいつも一緒に行きたいそうです」
「わあ。じゃあ3人でお花見デートですね」
「人、じゃないけどね。いい?」
「もちろん大歓迎です」

 ごろごろと甘えてくるかき揚げ丼の、喉や背中をゆっくり撫でる。ふわふわの毛並みが頬をくすぐって、つい顔が緩んでしまう。
 2人きりではなくなったけど、こんな可愛い子が一緒にいてくれるのに、不満なんてあるはずない。

「おはよー」

 背後から、お母さんの呑気な声が掛かる。
 カーディガンを羽織り、数歩離れた場所からひらひらと手を振っていた。

「おはようございます」
「センセ、しばらく娘をお願いね」
「はい」
「何だったらそのまま同棲しちゃってもいいから。結婚しちゃってもいいから。役場行く?」
「今日は日曜日ですよ」

 冷静に切り返す千春くんに、突っ込むところはそこなんだろうかと、内心思う。
 そんな私をよそに、お母さんはふふ、と意味ありげに小さく笑った。

「アンタ達は変わらないわね。立場や関係が変わっても」

 思わず目を丸くする。
 お母さんが何を伝えようとしているのかわからなくて、答えを探し求めるように、千春くんに目を向ける。
 けれど千春くん自身も、お母さんの真意がわからないみたいで、困ったような笑みを浮かべながら肩を竦めてみせた。

「私ね、高校中退してるの」

 私達の訝しげな視線を受けて、お母さんは自らの過去を打ち明けた。

「そうなんですか」

 千春くんが静かに頷く。驚いている様子も、動揺している感じもない。教職員に従事している身でありながら、中退者を前に、意外なほど反応は薄かった。
 無関心なのか、過去は過去だと割り切っているのか、それとも中退者に対して特別な感情は持ち合わせていないのか。なんとなく、後者な気がする。

 教師だけじゃない、大抵の大人は学校を辞めた人間にいい印象を抱かない。
 お母さんは先生としての千春くんの反応を伺っているようにも見えた。

「驚かないのね」
「驚くことなんですか」
「私が中退している事を知った人間は、大体私を毛嫌いするわ」
「中退しても、立派に家業を継ぐ人もいれば、自ら店を経営する人もいます。講師になった方もいます。いい大学を卒業しても、犯罪に手を染める人間だっています。学業や教育の良し悪しで、人の価値を計るべきではないと思いますが」
「……貴方はやっぱり先生としては失格かもね」
「そうですね」

 淡々と交わされる会話に刺々しさはあるものの、2人の雰囲気は和やかなもの。

「私はね、中学もまともに通ってなかったの。学校の連中からは馬鹿にされてたし、教師は上から目線で頭ん中スカスカな奴ばっかで、居場所がなかった。世間体ばかり気にしてる親も嫌で反抗ばかりしてた。尖ってたのよ」
「………」
「だから教師に抱いてた感情って、私の中では最悪でしかないの」

 あくまでも昔の話ね、とつけ加えて。

「だから教師と生徒の理想像とか恋愛観ってよくわからないけど、ひとつ、わかることがある」
「わかること……?」
「学校を辞めると共に終わる縁よね」

 はたり、と瞬きを落とす。
 確かに卒業してしまえば、先生達と会う機会なんてほとんど無くなるけれど。

「同窓会とかで再会はできるかもしれないけど、本来はもう卒業、私みたいに中退なんてしたら、それで終わり。数年、下手したら一生会えなくなる相手」
「………」
「でもあなた達は違うでしょ」

 私の腕の中から抜け出したかき揚げ丼が、ピョン、と床に飛び降りた。
 綺麗に着地して、トコトコとお母さんの元へ駆けていく。
 足下でじゃれつくかき揚げ丼を、今度はお母さんの両手が抱き上げた。

「本来なら、もう途切れているはずの縁が今も繋がってるということは、あなた達にとって意味のある出会いだった、ということよ」
「………」
「そういう縁は大事にしなさい」

 子供に言い聞かせてるような口調は温かくて、優しさに溢れてる。私の中にある迷いを払拭させるだけの強い意志が、その一言に込められていた。

 お母さんに寄り添って甘えているかき揚げ丼がふと、私に目を向ける。
 大きくてつぶらな瞳。
 人懐っこくて甘えん坊で、千春くんには特に懐いているかき揚げ丼。
 でも、もし私と千春くんが出会っていなかったら、千春くんと親しくならなかったら。
 かき揚げ丼は、彼と出会うことはなかった。



 幾多の縁が重なって、縁が縁を呼んでいる。
 私にもたくさんの縁があって、千春くんにもたくさんの縁があって、数多く交差しているその縁の中で彼と巡り会えた事が、特別じゃない訳がない。

 出会うべくして出会った、なんて運命的な事を言うつもりはないけれど、1年前に出会ってからこれまで築いてきた彼との縁を、ただの思い出話になんかしたくない。
 星の数ほどいる人の中で、たったひとり、互いに想い合える相手に出会えた。それって本当にすごいことだ。
 今まで抱えていた悩みなんて、些細なものに感じてしまう程に。

 年の差に悩むより、もっと考えなきゃいけないことがある。大事にしなきゃいけないことがある。
 私は、千春くんと過ごす時間を大事にしたい。
 その為に私は、どうしたらいいんだろう。


 ───私はもっと、人に頼ってみよう。


 一人で考え込んでいても、出口なんてきっと見えない。一人で溜め込むくらいなら、一歩下がって周りに目を向けてみよう。
 お母さんだけじゃない、お父さん、有理ちゃん、大輝くん。頼れる人達は身近にたくさんいる。千春くん本人に直接、気持ちをぶつけたっていいんだ。彼なら、ちゃんと私の話を聞いてくれる。高校生の頃からそうだったから。

 この先も悩みが尽きる事なんてないだろうし、喧嘩だってたくさんするかもしれないけど、周りの人達を頼りながら、千春くんと一緒に乗り越えていこう。
 そうやって、千春くんを通じて出来た縁を大事にしていけば、私達の縁はきっと途切れたりしない。また、新しい縁が生まれるかもしれない。私達の縁が、かき揚げ丼との縁を引き合わせたように。



 私の想いに応えるように、かき揚げ丼が、にゃ、と小さく鳴く。お母さんの両手から離れて、今度は玄関中を走り始めた。
 かき揚げ丼にとって、私の実家は今日、初めて訪れた場所。見るもの全てが、千春くんの部屋とは違うものばかり。初めて目にする光景に、興奮しているようにも見えた。

「おいで、かき揚げ丼」

 しゃがんで両手を広げて見せれば、かき揚げ丼はすぐ私の元まで駆け出してくる。ぴょん、と短い後ろ足を跳ねて、もふもふの感触が腕の中に収まった。
 床に置いたままのバスケットは、いつのまにか、千春くんが手に持ってくれていた。

「じゃあ、行ってきます」

 振り向いてそう告げれば、お母さんがひらひらと手を振った。
 どこか満ち足りた表情で見守られて、少しだけ気恥ずかしい。


 千春くんが一礼して、玄関の引き戸を開けた。
 彼の背中を追って、私も後に続く。

「莉緒」

 不意に後ろから声が掛かる。
 もう一度振り向けば、極上の笑みを浮かべたお母さんは、最後に一言、私に言い放った。

「いい報告を待ってます」



 …………………………何の?


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