お花見デートのお話。1


 チュン、と雀のさえずりが聞こえる。

 アラームよりも先に目が覚めた。
 スマホで設定していた時間より、1時間も早い。
 起きた瞬間から頭の中は今日のことでいっぱいで、意識し始めた途端、胸が急激に高鳴っていく。
 まるで遠足の前の日みたいな心境。
 小学生みたいで笑っちゃう。

 だって仕方ない。
 今日は待ちに待った、千春くんとお花見デートをする日なんだから。
 そして彼のお部屋に数日間、ごやっかいになる日の始まり。



 カーテンを開けば、日の光が室内にキラキラ差し込んで瞳を細めた。目線の先には、雲ひとつ無い澄んだ青空。窓を開けてみても、風はほとんど感じない。
 スマホで天気予報をチェックすれば、今日は1日中、晴れマークがついていた。

 空からは、ぽかぽかと春の日差し。
 気温も上々。
 まさに絶好の花見日和。



 顔を洗う為に1階に下りれば、居間には既に、お母さんとお父さんの姿がある。
 両親が経営しているお店は今日から多忙のスケジュールで、顧客リストやシフトを見ながら、期間中の予定を確認し合ってるようだった。
 ああだこうだと言い合っている様子を横目で見ながら、洗面所へと向かう。

 自室に戻ってからは着替えを済ます。
 グレーのニットワンピにデニムの重ね着。
 初めてのデートとはいえ、場所が場所だから可愛いデザインは控えておいたけど。

「……すっきり過ぎたかな?」

 一瞬迷いが生じたけど、これ以上手を加えるのはやめておきたい。
 可愛い服は、お泊りデートの時に着るんだもん。



 軽くメイクをして、巻き髪用のスタイルミストを吹き掛ける。コテでくるくると巻いて、ゆるふわ風ヘアスタイルの出来上がり。
 いつも真っ直ぐなストレートロングだったから、服装はシンプルでも、せめて髪型だけはおしゃれにしてみたかった。うまく巻けたと思うけど、千春くんは何て言ってくれるかな。ちょっとどきどきする。

 お気に入りのピアスもつけて、タンスの引き出しからエプロンを取り出す。千春くんと約束した、手作りお弁当を作る為に。
 必要なものは事前に買って冷蔵庫に詰めこんであるし、下準備もしておいた。
 あとは精一杯作るだけ。

「あら、おはよう」

 意気込んでキッチンへと向かえば、そこには既に先客がいる。エプロンを身に着けて、朝食を作っているお母さんの隣に並んだ。

「お母さん」
「なあに?」
「今日の私は可愛いですか」
「ハイ。可愛いです。莉緒ちゃんは世界で一番、未来永劫ずっと可愛いです」
「………」

 そこまでは聞いてない。

「今日から泊まるんだっけ」
「うん」
「莉緒ちゃんがついに嫁にいっちゃう」
「まだだもん」

 会話をしつつも、手は休めない。冷蔵庫から惣菜や果物を取り出して、次々にキッチン台へと並べていく。
 千春くんは少食だから作り過ぎない方がいいのかな、そんなことを考えながら、保存パックから食パンを数枚取り出した。
 野菜や果物を色々挟んで、見た目も中身も楽しめるサンドウィッチにするつもり。

「ねえお母さん」
「ん?」
「なんであんな事したの」

 私の問いかけに首を傾げてるお母さんの格好は、花柄のマタニティワンピース。妊娠2ヶ月で、お腹はまだ膨れていない。一応高齢出産にあたるけど、お母さんは本当に若く見える。
 忙しい身なのに、化粧も服装も一切手を抜かない。肌だってつやぴか。寝不足のせいで目の下にクマが出来ちゃってるけど、あのクマが消えたらもっと若く見えそう。

 妊娠かあ。
 いつか私も結婚して、子供とか出来たりするのかな。
 そんな自分は全く想像できないけれど。

「あんな事って?」
「GWのやつ」

 お母さんが無理やり画策したお泊り会。
 あの提案が無かったら、GWの予定はお泊りデートだけだった。
 千春くんと一緒に過ごすことも無かっただろうと思う。

「あれなー」
「うん」
「ほんとは千春センセ対策だったんだけど」

 今度は私が首を傾げる番。
 千春くん対策ってどういうこと?

「あの人、結構ヘタレでしょ」
「……そう?」

 鍋がコトコトと音を鳴らす。
 蓋を開けて覗き込んでみれば、ちくわや卵、はんぺんがぎゅうぎゅうに詰まってた。朝からおでん。
 昨日の夕飯の残り物みたい。

「先生は中身もかっこいいもん」
「そう思ってるのは莉緒だけよ」
「そんな事ないもん」
「はいはいノロケ乙」

 むう、と頬を膨らませる。
 ぷにっと人差し指でつつかれて、空気の抜けたほっぺが萎んだ。

「私があんな事言う以前に、GWは一緒に過ごそうとか、一度でも言われた?」
「先生から?」
「ん」
「仕事で忙しい、とは言ってたよ」
「ほら言わんこっちゃない」
「だって、仕事だもん。仕方ないよ」
「ばかね。男だったら、仕事と女どっちも両立させろっての」
「生活掛かってるんだから、仕事を優先させるべきだと思う」
「アンタそういうとこ現実主義よね」

 呆れた口調でお母さんが言う。
 何も間違ったことは言ってないと思うんだけど、違うのかな。現実主義だと言われても、あまり実感が無い。
 それに私は、先生をやってる先生も好きだもん。仕事より私を優先する先生なんて、なんか嫌だ。

「その点、樹を見なさい。仕事も女も子育ても両立させて、子沢山に恵まれてわたし超幸せ」
「はい、のろけ乙」

 お母さんに突っ込みながらトマトやキュウリを淡々と切っていく。
 千春くんはあまり好き嫌いがなくて、基本的に何でも食べる。特に野菜や果物が好きみたい。
 サンドウィッチと相性がよくて良かった。

「あの人も惜しいわね」
「何が?」
「顔はいいのに、中身がかっこ悪いもの」
「む。そんな事ないです」
「アンタから見たらかっこいいんだろうけどね。私から見たら、まだまだケツの青いガキだわー」

 からからと軽快に笑われた。

 千春くんが子供扱いされてる。
 なんて新鮮な光景。
 しかも罵っている相手がお母さんだなんて。
 千春くんごめんなさい。

「───ああ、でもあの時の先生は格好よかったわ」

 ふと、お母さんの表情が和らいだ。
 あの時、が一体いつの時なのかわからなくて、私は首を傾げてばかり。

「千春センセが初めてうちの店に来た日、私達に頭下げたでしょ」
「……? いつ?」

 何のこと? と首を傾げる。

「あら? 覚えてない?」
「うん」
「あ、そっか。"あの時"事務所にいたのは、私と樹と先生だけだったわね」
「え? なに、何の話?」

 お母さんは一人で納得してて、全く会話が噛み合っていない状況に私は混乱してばかり。





 それは今から1年前。
 私にとってまだ『先生』だった千春くんが、お父さんとお母さんが経営しているお店を訪ねてきた事があった。
 これには深い事情がある。

 その頃私は、お父さんが働くお店でアルバイトをしていた。しかも、学校に内緒で。
 アルバイトは基本、二学期から許可されているけれど、私はどうしても早く働きたくて、4月からシフトに入っていたんだ。
 でも、それが千春くんにバレてしまった。
 その件で千春くんが、私の両親と話をする為にお店に来てくれたわけだけど、千春くんが両親に頭を下げているところなんて私は一度も見ていない。何故ならその時、私は別室にいたからだ。
 だから詳しいことは、何も知らない。

「ねえ、なんで先生が頭下げたの?」
「おしえなーい」
「ええっ、なんで」
「いやあ、あの時の千春センセの勇姿を莉緒にも見せたかったわー」
「だったら教えてください」
「いやですぅー」
「………」

 悪ふざけもいい加減にするといいのです。

「いいもん。後でお父さんに聞くもん」
「パパンはもうお店に行きましたー」
「………」

 なんか、すごくイヤな感じ。
 私が知らない千春くんの姿を、お母さんとお父さんは知っている。
 私よりお母さん達の方が、千春くんをよく知ってるみたいな口ぶりに聞こえてとても癇に障るのです。

「それ何に使うの?」

 腑に落ちない気分のままボールの中身をヘラでかき混ぜている私に、器を指差しながらお母さんがそう訊ねてきた。

 中に入っているのは、練りに練り込んだホイップクリーム。パンに塗りつけて、輪切りにしたイチゴやキウイを挟んでフルーツサンドにする予定。
 それをお母さんに伝えれば、ふうん、と興味なさそうな返事が返ってくる。

「先生、野菜と果物がすきなの」
「男なら肉を食え」
「先生は肉も食べるよ」
「何でも食べるのね」
「何でも食べるよ」

 チョコ以外は。

「和食系は殆ど食べたこと無いって言ってた」
「アンタの得意料理って和食よね」
「うん。和食作ったら喜んでくれたよ」
「莉緒の和食はお母さん直伝の家庭の味だもの。家族を知らない先生には響くでしょうよ」

 さらりと言ってのけた一言に、手が止まる。
 聞き逃しようの無い重い言葉に、私の目が隣に向く。
 鍋の火加減を見ながら、お母さんは静かに微笑んだ。

「……"こういう"仕事してるとね、なんかわかるのよ。心に傷負ってる人とか闇抱えてる人とか、重いもの背負ってる人とかね。色んな人を見てきたから」

 コンロの火を消して、お母さんの手が鍋の蓋を開けた。
 白い湯気と共に立ち込めるあったかい匂い。家庭の味。

「さっきも言ったけど、先生は見た目はいいけど中身が全然ダメだから。心配になるの」
「………」
「あの人は優しすぎる」

 竹串でちくわをぷすっと刺して、私の口元まで運んでくる。
 促されるままに、ぱくりと食べた。

 熱い。口の中火傷しそう。
 でもおいしい。
 心まであったかくなれる、お母さんのおでん。

「ずっと一緒にいてあげなさい。莉緒が思ってる以上に、あの人は弱くて壊れやすい人よ」
「……うん」

 優しい声音に、静かに頷く。
 じんわりと胸の奥まで浸透していくような、心に重く響く、言葉だった。

mae表紙tugi

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