浮気のお話。4


「ほ、ほんとにっ!?」
「なんで嬉しそうなの」
「だ、だって」

 さっきは、抜いてないって言ってた。
 雑誌や動画では抜いてない、って意味で。
 でも今の発言は、私に向けられた言葉。ちゃんと私の事を、女として見てくれてるって事だよね。
 今更理解する私に、千春くんの口から重い溜め息がひとつ。

「……あのね。何度、莉緒に触れたと思ってるの」
「え?」
「好きな子を前にして、欲情しない男なんていないから」

 はた、と瞬きを落とす。
 決定的な言葉を告げられて、思わず顔に熱が上がる。

「あんな風に乱れてる莉緒を見て勃たなかったら、俺、彼氏失格だよ」
「たっ……、」

 た、たつ?
 え、たつって、た……た、たつ、の?

 いつぞやの「謎のやる気スイッチ」がまたもや入ってしまった私は、その勢いのまま千春くんに身を乗り出した。
 ズボンのベルトに手を掛けたところで、がしっと両手首を掴まれる。

「何してるの」
「確かめようと思って」
「しなくていいです」

 そのまま離されてしまった。

 思い当たる節はある。
 千春くんはよく私にくっついてくるけれど、えっちしてる時に腰を押し付けてこない。
 私が怖がるかもしれないから、彼なりに気遣ってくれてたのかもしれない。

「莉緒は何をそんなに悩んでいたの?」
「え……」
「そんなアホな思考に陥るまでに至った、根本的な悩みは何?」

 根本的な、悩み?

「それは、えっと」
「………」
「………なんだっけ?」

 思い起こしてみる。

 そうだ、有理ちゃんの一言がきっかけだ。好きな人を最後まで抱けないのは、男は辛いんじゃないかと言っていた。
 そこで心底落ち込んでしまったのは、自分の自信の無さの表れだ。

 いつも思ってた。
 私なんかじゃ、千春くんは満足できないんじゃないかと。



 大人な彼に見合う自分になりたくて、背伸びしようとした。化粧を頑張ってみたけれど、外見だけ見繕ったところで自分に自信なんかつかなかった。呼び名を変えてみたところで、年齢差が縮まるわけが無い。
 未成年だから、子供だから、年が離れてるから、経験が少ないから。理由を挙げたらキリがないけれど、私はいつも言い訳を探してた。
 いつか、子供過ぎる私に飽きて彼が離れてしまった時、私は子供だったから、未成年だったから仕方なかったんだと言い訳できるから。私だけを見て欲しいなんて主張だけは一人前にする癖に。

 千春くんの想いも愛情も確かに感じていたのに、最初の頃は確かに幸せでいっぱいだったはずなのに、次第に不安に駆られていった。
 千春くんがどうして私なんかを彼女にしてくれたのか、それがわからない事も、不安要素に拍車を掛けていた。





 ───……あ、そうか。

 私はただ、千春くんが私を好きな理由が知りたかっただけなんだ。



 好き、なんて一言じゃ足りなくなった。
 一目惚れ、みたいな曖昧な表現じゃ実感が湧かなかった。
 ちゃんと、彼が今、私と一緒にいてくれる理由が知りたい。言葉にして欲しかった。



 靄がかかっていた思考が、嘘みたいに晴れていく。今までずっと悩んでいた時間は何だったんだろうと思える程に。
 未成年だから、経験が少ないから、だから何だというのだろう。そんなもの承知の上で千春くんは私と付き合ってくれているのに、千春くんが気に病んでもいない事を私が引きずっていても、仕方が無いことなんだ。

 悩むくらいなら、動いてみる。
 迷うくらいなら、口に出す。
 立ち止まる前に、砕ける覚悟で走ってみる。
 千春くんと出会う前の私は、少なくともそういう考えを持っていた。出口の見えない迷路だったとしても、とにかくゴールだと思えるところまで全力で走ってみる。理由なんてゴールした後で考えればいい、結果は後からついてくるものだと。

 どうして、こんなに臆病な人間になってしまったんだろう。恋愛をしたことで、私は少し、弱い人間になってしまったみたいだ。



 千春くんの服の裾を、ちょいと引っ張る。
 真摯な眼差しとぶつかった。

「千春くん、私ね」

 色素の薄い瞳に、私が映る。

「千春くんが好きだから、一緒にいたくて」

 胸がどきどきする。
 初めて胸の内を彼に晒す事に対しての期待と、少しばかりの不安が混じる。

「でも、好き以上に私は、千春くんのことを尊敬しています」

 相手の気持ちを知りたいのなら、自分から先に気持ちを伝えなきゃいけない。千春くんがどうして私と一緒にいてくれるのか。それを知りたいなら、私も、彼と一緒にいたい理由を伝えなきゃ。
 年の差に怖がってる場合なんかじゃない。
 ただ「好きだから」、一緒にいたい訳じゃないって知ってほしい。

「千春くんは、いつも誰かの為に動ける人で」

 そして私のことも助けてくれた。
 家族を救ってくれた。

「誰とでも仲良くなれて、いつも冷静で、色んな事をたくさん知ってて」

 それは、私には持ち得ない千春くんの魅力。

「どこにいてもみんなの人気者で」

 彼が見た目以上に中身で好かれる人だって、私はもう知ってる。

「千春くんは私の憧れで、理想の人なんです」
「莉緒」
「だから私は、千春くんからもっと色々学びたい」

 私の知らない知識。感情。
 それらを全部教えてくれた人。
 これから先の事も、この人から全て教わりたい。

「やっぱり私にとって千春くんは、いつまでも憧れの先生みたいです」

 それだけはきっと揺るがない。

 憧れが強くて自分に自信を無くしたりもしたけれど。今だって、全然自信ないけれど。
 それでも、千春くんと一緒にいたい。
 この人の側で学べることは、きっと、もっとたくさんある。
 だからもう少しだけ、私の先生でいてほしい。

「……その言い分だと、莉緒はまだ生徒って扱いになるわけ?」
「え?」
「それだと俺、"また"莉緒に手出せなくなるよ」

 さすがに生徒に手は出せないと、まっとうな意見を述べる千春くんに苦笑する。

「千春くん、高校生の私に一度だけ手出したよ」
「あ、今それを言うか」

 珍しく私に切り返されて、千春くんはむ、とした顔で私の両頬をつねってきた。八つ当たりとばかりにむにむにされて、私は彼にされるがまま。
 私のほっぺはお餅じゃないのに。
 この人はやっぱり容赦が無い。
 彼の手で執拗にむにむにされた私のほっぺは、そろそろアルデンテ並の柔らかさにまで解されたような気がする。

「先生兼、彼氏さんでどうですか」
「それなら安心です」

 納得したように頷かれて、顔を解放された。
 見惚れてしまうほど綺麗な笑顔が広がる。

 千春くんの中で、生徒と先生の基準がズレてる気がするのは私の気のせいでしょうか。
 手を出していいのか駄目なのか、見定める点がそこなんだとしたら、千春くんは本当にどうしようもない人です。
 でも嬉しい。
 千春くんが私に触れたいと思ってくれていることが。


 最後まで抱けなくても。
 綺麗な人が周りにいても。
 可愛い子に囲まれていても。

 千春くんは、私を選んでくれたんだ。


 嬉しさで胸が満たされる。
 好きって想いがたくさん溢れてくる。
 人は人の欠点ばかりを見つけるのが得意な生き物だと誰かが言ってたけど、そんなの嘘だ。だって私は千春くんのいいところ、いっぱい言えるもん。
 今すぐ言葉にしたい。
 千春くんの好きなところ、憧れてるところ。
 溢れそうなこの気持ちごと、全部伝えたい。

 でもそれは、もうちょっとだけ我慢。

「千春くんは」
「ん?」
「私の、どこが好きですか」

 自分から訊いてみるのは恥ずかしくて、ずっと胸の奥に仕舞いこんでいた疑問。心の奥底に仕舞い込んでいたままの思いを、やっと口に出すことができた。
 どきどきと胸が高鳴り続ける。
 なかなか本心を見せない千春くんに、それを聞くのは容易なことじゃない。
 けど、もう少し。
 あと一押しが足りない。
 千春くんも、私と一緒にいたいと思ってくれている理由が、私を選んでくれた理由をちゃんと聞きたい。そんな切な願いを言葉に託して問いかける。

 しばらく考え込むように天井を見上げていた千春くんが、それはそれはもう爽やかな笑顔を浮かべながら、言い放った。

「莉緒、じゃんけんしようか」
「………え?」

 まさかのじゃんけん要求に目を丸くしている私の手元からプリンが奪われる。そのまま、テーブルの上に置かれてしまった。

 あれ? 私の好きなところは?

 またはぐらかされたのかと肩を落とす。
 胸に湧く不満は、けれど次の言葉で消滅した。

「賭けをしよう」
「賭け?」
「負けた方は、相手の好きなところを必ず言うって事で」
「え」
「はい、じゃんけん、」
「あっ、ちょっと待っ……」

 ぽん。

「はい俺の勝ち」
「……今のは心の準備が出来ていなかったの」
「じゃんけんに心の準備はいりません」

 むう、と頬を膨らませる私に「ほら、俺の好きなとこ言いなさい」とせかしてくる。すごく、いい笑顔で。

 やっぱりこの人はズルい。
 ズルくて、意地悪で、素直じゃなくて。
 それから、優しい。






 じゃんけんの勝敗ごとに提示された条件は、どちらかに偏ることなく平等に権利が譲渡される。
 私が負ければ千春くんの好きなところを言うしかなくて、私が勝てば、千春くんが私の好きなところを言うしかない。
 そう言わざるを得ない条件を持ち出してくるあたり、やり方が本当に千春くんらしい。



 じゃんけん勝負はしばらく続いた。

 千春くんがとびきり甘い事を言う度に、私は嬉しさで舞い上がったり、恥ずかしさでソファーに突っ伏して身悶えたりと忙しい。
 そんな私の痴態っぷりを、千春くんは楽しそうに眺めている。
 そして言ってくれた。

「元気でアホっぽいところが莉緒のいいところで、俺の好きなところだよ」

 と。

 全然褒められてる気がしないし、ちょっと怒ってもいい場面だと思うけれど、なのに私は笑ってた。
 なにも飾らなくていい、そのままの私でいいんだと、暗にそう言ってくれているのがわかったから。






 胸につっかえていたものが消えていく。
 後に残ったのは、ふわふわとか、ほわほわした、温かくてまあるい気持ち。

 テーブルに置いたままの食べかけプリンは、既にぬるくなりかけていた。

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