ドライブするお話。3


 それからの時間はとっても楽しかった。

 車を走らせている間、千春くんとたくさんお話した。お母さんがお寿司30枚分食べたと言ったら笑ってた。今度、おいしいお寿司屋さんに連れてってあげると約束してくれた。
 私はずっと喋りっぱなしで、千春くんは笑いながら話を聞いてくれて、一緒に買った焼きたてパンは、ふわふわでとっても美味しい。自然と笑顔が溢れてくる。

 そして、ふとした瞬間に思う。

 帰りたくない。
 一緒にいたい。
 この楽しい時間が、ずっと続けばいいのにな。

「……あ」

 話の途中で、千春くんが言葉を切った。
 外の夜景をしばらく見つめた後、急にハンドルを切る。

「いいとこ見つけた」

 首を傾げる私に、悪戯っぽく笑う。
 そのまま、車は細い路地に入った。
 街灯はほとんど無く、周囲は薄暗い。なのに何だろう、車内からでもわかるくらい賑やかな声がどこからか聞こえてくる。
 そしてその疑問はすぐに解けた。

 路地を抜けた先にあったのは小さな公園。
 まばらに人が佇んでいる。
 中には地面にシートを敷いて、お酒を持ち込んでいる人達までいる。
 目線の上にあったのは満開の桜。
 地元に住んでいる人達が、ご近所さんを連れて夜桜を楽しんでいるようだった。

「……すごい、綺麗」

 車内から見えた光景に息を飲む。降り注ぐ月光と、舞い落ちる桜色の花弁から生み出されるコントランスは、見惚れてしまうほど綺麗だった。
 思わず感嘆の息が漏れてしまう。まさか、1年後にもこうして夜桜を眺める日が来るなんて思わなかった。
 よく似た光景を、私は前にも見た事がある。

「……懐かしいな」
「……え?」

 小さく囁かれた呟きに首を傾げていると、千春くんの目が私に向いた。降りよう、そう訴えているのがわかる。頷いて、助手席から降りた。
 公園を囲む柵には、小さな照明が取り付けられている。そのお陰か足下は明るくて、砂利道でも余裕で歩くことができた。

 入口付近に立った私達を出迎えてくれたのは、見事なソメイヨシノ。
 間近で見上げた桜景色に圧倒されて、しばらく無言のまま眺め続けていた。

「初めて会った時も、こんな感じだったね」

 隣から、そんな呟きが聞こえてきた。

「……こんな感じ?」
「覚えてない?」

 見つめ返してくる瞳は優しい色を帯びている。

「………覚えてますよ」
「ほんとに? 今の間はちょっと怪しいけど」
「……ぼんやりと覚えてます」
「ぼんやり、ね」

 疑いの目を向けられたけど、本当に覚えてる。
 千春くんと出会った日のこと。







 1年前の4月。
 高校3年になったばかりの春。
 北海道から東京に引っ越して、転入先の高校へ挨拶に向かった日。
 時間はもう夕刻を過ぎていた。

 誰もいない教室の片隅。
 窓際から見える桜景色を眺めていた時、不意に感じた視線。
 そこで私は、ひとりの先生と出会った。

 偶然その場を通りかかったらしいその男の人は、何故か私の方をじっと見つめた後、静かに微笑んでその場を立ち去った。あの微妙な合間は何だったんだろうと、疑問を抱いたのを覚えてる。

「あの時通りかかったのは、千春くんだよね」
「そうだよ。覚えてたんだ?」
「うん」

 そうだ。あれが、先生だった千春くんと生徒だった私の、初めての出会い。

「あんな時間にまだ下校していない生徒がいたから、声掛けようと思ったんだ。でも見慣れない子だったから、あれ? って思ったよ」

 そう言われて納得した。

 あの日、学校へ出向いた際に私が着ていたのはその高校で指定されている制服だった。
 だから千春くんが、私が転校生だとすぐに気づけなかったのも仕方ないかもしれない。見た事のない生徒が高校指定の制服を着ていたら、不思議に思うのは当然だよね。

 ……という結論に至った私の考えは、けれど即座に否定された。

「あ、違う違う。俺があの時莉緒を見てたのは、そんな理由じゃないよ」
「……違うの?」
「違うよ」
「じゃあ何で」
「教えない」
「え」

 そこまで明かしておいて、一番肝心なところだけ秘密なんてズルいです。

「そんな言い方されたら気になります」
「気にする程の事じゃないよ」
「じゃあ教えてください」
「お断りします」
「何で?」
「恥ずかしいから」
「え、恥ずかしい事なんですか?」
「俺にとってはね」

 その微妙な言い回しがいつもの千春くんらしくなくて、じっと顔を見上げてみる。
 私の視線の意味に気づいた千春くんは、観念したかのようにはあ、と溜息をついた。

「そんなに気になる?」
「だって」
「あの時、莉緒は桜に見惚れてたよね」
「え? あ、はい」

 あの日も、こんな夜桜だった。
 幻想的な光景に目を奪われて、ずっと窓辺から桜を見ていたんだ。

「俺は莉緒を見てた」

 そう打ち明けられる。

「……? うん」
「意味わかる?」
「え?」

 謎掛けみたいな会話のやり取りに困惑する。
 なんだろう。千春くんは何を伝えたいんだろう。

「見惚れてたんだよ」
「桜に?」
「わざと聞いてる?」
「え、と?」
「莉緒を見てたって言ったよ俺」
「…………あ」

 一拍置いて、顔に熱が上がる。
 とんでもなく恥ずかしいことを言われた気がして、つい目を逸らしてしまった。

 頬が熱い。
 千春くんの顔がまともに見られない。
 ぎゅうっとスカートを握り締めて、もう一度問い掛ける。

「え、あの、それって、あの」
「もう言わない」
「ふえ」

 なのに千春くんは口を閉ざしてしまって、遠回しに告げられた告白の真意を聞くことはできなかった。私も聞き返すことは出来ずに押し黙る。
 聞いてしまったら、色んな感情が爆発して心臓が壊れてしまいそう。


 本当はずっと不思議だった。
 どうしてこの人は私を選んでくれたんだろう、って。


 私なんかより綺麗な人も、可愛い女の子も、千春くんの周りには沢山いる。学校の外でも、すごくモテているのも知ってる。
 私は中身だって良い方だとは言えない。どんくさいし、口下手で人と喋るのも苦手だしすぐに泣く。同性から見ても、私はきっと面倒くさい子なんだろうと思う。
 何より私は子供で、生徒だった。
 だから、どう頭を捻って考えても、先生だった千春くんが生徒の私を好いてくれる要素なんてない。
 なのにこの人は、私を好きと言ってくれる。

 ずっと、胸の奥で引っ掛かっていた疑問。
 今までそれを口にする事は出来なかった。
 照れくさくて、聞く勇気がなかったから。
 けれど今日、その答えを聞くことが出来た。

 私を見てた、って言った。
 言葉通りに受け止めるなら、別段何も違和感のない一言。
 でも、きっとそうじゃない。
 あの一言は、もっと深い意味がある。
 そしてその意味に、私は気付いてしまった。

 正直、嬉しいという実感が沸いてこない。
 むしろ驚きの方が大きくて、にわかに信じられない気持ちが強かった。
 そんな、まるで「一目惚れでした」みたいな言い方。信じろという方が難しい。

「………あ、の」

 どうしよう。何を言えばいいんだろう。

 何となく気まずい空気の中、必死になって話題を探してみるものの、私の頭の中はすっかりパニックに陥っていた。何か言わなきゃと思うのに、気ばかりが焦ってしまい言葉が出てこない。
 千春くんも、これ以上は言いたくないような雰囲気を纏っている。本当に恥ずかしいみたいだ。

「そろそろ帰ろうか。約束の時間過ぎちゃうし」
「あ……はい」

 気を利かせた千春くんの一言で、ざわついていた思考が一旦落ち着く。
 重い沈黙から解き放たれて、緊張していた体から余分な力が抜けた。ほっと息をつく。



 車に戻る前に、もう一度後ろを振り返る。
 満開のソメイヨシノが、公園の中で一際美しく、咲き誇っていた。
 夜風に揺られ、花びらが舞う。

 ………ん、あれ?

「東京の、桜の開花予定日って過ぎましたよね?」
「そうだね」
「じゃああれって、ソメイヨシノじゃない桜なのかな」
「違うかもね。桜って300種類以上あるから、中にはソメイヨシノ似の桜もあるんじゃないかな」

 俺もよく知らないけど、そう言って千春くんは運転席に乗り込んだ。
 私も後に続いて車に乗り込む。
 北海道なら今頃が桜の見頃だけど、東京は3月中旬頃だった気がする。お花見している人達の様子をテレビで見た記憶がある。

「花見……」
「ん?」
「私、お花見ってした事ないです」
「そうなの?」

 千春くんの目がぱち、と瞬いた。

「千春くんは?」
「友達同士でね、何度かあるよ」
「楽しい?」
「どうかな。どんちゃん騒ぎは、俺は苦手だけどね」
「今年はお花見、行ったんですか?」
「行ってないよ。忙しかったからね」
「そっか……」

 お花見って楽しいのかな。
 素朴な疑問が湧く。

 北海道に居た頃は、両親が昼夜問わずずっと働きっぱなしだったから、家族が揃う機会なんて殆どなかった。お花見なんて当然した事がないし、家族旅行やクリスマスなんて、我が家にとっては無縁の話。
 今も両親は共働きのままだけど、夜になれば家に居てくれるようになったし、家族で外食に出かける機会も、少しずつ増えてきた。
 けれど4月は、両親が経営しているお店がGW明けまで忙しい時期。家族揃ってのお花見は、やっぱり今年も難しいみたい。

「……する?」
「え?」
「花見」

 その一言に、心がふわりと舞い上がる。

「……千春くんと?」
「俺でよければ」
「……ここで?」
「ここ静かだしね。俺は気に入った」
「……う、うん!」

 勢いよく頷けば、千春くんも頷いてくれる。
 これって、公園デートみたいな感じなのかな。
 いや、お花見デート?
 どっちにしても、2人でお出掛けする事には変わりない。思わず頬が緩んでしまう。

「週末にしようか。確か晴れ予報だったはず」
「でも週末って、千春くんの……あ、」

 誕生日、と言い掛けて、不意に思い出した。
 今日のお昼に千春くんから届いた、LINEのメッセージ。

「私、お弁当作ります」
「お弁当?」
「千春くんのお誕生日なので、頑張って作ります」

 そうだ、手作り弁当だ。
 その手があった。

 実のところ、ここ数日ずっと、千春くんの誕生日に何をしてあげようって考えてた。
 ネットで検索して調べたりもしたけど、いまいちパッとしたアイディアは思い浮かばない。お財布事情もなかなか厳しい現実だ。
 だったら、自分の得意分野で喜んでもらえるものが一番いいかな、と判断した。
 私の得意なものなんて料理くらいしかないし、本当は形に残るものがいいんだろうけど、こういうのは何かをしてあげたいって気持ちが大事だって、よく聞くし。

「手作り?」
「愛情たっぷり詰め込みます」
「それはいいね。食べる前から美味しそうってわかる」

 屈託なく笑ってくれたから、私も一緒に笑う。
 千春くんが笑ってくれると、私も嬉しい。
 よかった。お誕生日プランは何とか決まりそうだ。



 お弁当の中身の候補や好きなおかずを色々聞き出しているうちに、いつの間にか自宅に着いていた。

 時間は22時前。
 明日も市役所の仕事があって、夜更かしはできない。
 すぐお風呂に入って寝なきゃ、そう思いながらシートベルトを外す。
 家の明かりはまだ点いていた。

「金曜日会える?」
「はい」
「じゃあ、迎えに行くね」

 いつも通りの約束を交わす。
 助手席から降りて、千春くんを見送る。
 走り去っていく車を後ろから眺めるのが常だったけど、今日はいつもと違った。


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