ドライブするお話。4 エンジンはかかっているのに、車が動く気配がない。 真剣な眼差しを向けられて、なんだろう? と首を傾げる。 「GW、どうするか決めた?」 一瞬、表情が強張ってしまった。 「まだ日はあるし、急いで決めなくてもいいから。泊まりに来なくても、会いに行くし」 「……うん」 「気負う必要ないからね」 「はい」 そう返事をしても、千春くんの手はハンドルを握ったまま動こうとしない。 「千春くん?」 「……本音言うとね、来て欲しいと思ってる」 「え……」 「一緒にいたい。帰したくない」 「………」 「……って、そう思ってる事だけ伝えとく」 思わず目を見張る。いつも余裕たっぷりで飄々とした態度を崩さない千春くんは、あまり本心を明かさないから。 そんな彼から告げられた、真っ直ぐな言葉。 それは、私の中にあった劣等感の塊を、少しずつ溶かしていく。 「……ほんとに?」 「うん」 「迷惑じゃない?」 「全然」 「……千春くん」 そこで、千春くんの表情が柔らかく崩れた。 「あとアホ猫がね、莉緒がいないと寂しがるから」 「かき揚げ丼?」 「一人で帰ってくるとさ、莉緒がいないからって拗ねるんだよ。ティッシュの箱の中に潜り込んで出てこなくなる」 「猫ちゃんは狭いとこ好きだから」 「はた迷惑な話だよ」 「ふふ」 それが本当なのか、千春くんが大げさに言ってるのかはわからないけれど、どっちにしても素直に嬉しいと思った。 私が彼の家にお邪魔する理由を、千春くんが作ってくれている。彼らしい心遣いに胸が温かくなる。 「じゃあ、かき揚げ丼のストレスが爆発しちゃう前に行かなきゃ」 「そうして頂けると助かります」 「千春くん、私ね」 「ん?」 「千春くんが彼氏で、嬉しいです」 「莉緒」 「ずっと彼女でいたいです」 ふわりと浮かんだ想いが、するりと口に出てしまう。言ってから恥ずかしくなって、笑うことで誤魔化した。 「俺の方こそ、彼氏にしてくれてありがとね」 「……はい」 自然と笑みが浮かぶ。 もしもこの先。 本当はこんな事考えたくないけれど。 この人といつか別れるような事になったとしても、初めての彼氏が千春くんでよかったって思えたらいいな。 「……余計帰したくなくなるな」 「え」 「ほら、俺が車の中に引きずり込む前にお家の中に逃げなさい」 「……千春くん、帰らないの?」 「莉緒が家の中に入るのを見届けてから帰るよ」 「?」 「いっつも寂しそうな顔してたから」 「……へ」 「顔に出やすいからね、キミは」 そう言われて気がついた。私は思ってることがすぐ顔に出やすいって、よくお母さんにも言われることに。 帰り際、私がいつも寂しがっていた事も、千春くんは既にお見通しだったんだ。既に見抜かれていたと思うとちょっと恥ずかしい。 「そ、そんな顔してました?」 「してた」 「う……すみません」 「なんで謝るの」 「だって、困らせたから」 「まあ、確かに困るね」 その一言でしゅんと肩を落とした私に、千春くんの声が掛かる。 「ああいう顔されるとね、可愛くて引き止めたくなるんだよ。だから困る」 「……え?」 ……なんか、予想外の返答が返ってきた。 「……可愛くはないと思う」 「可愛いよ。何言ってんの」 「………」 何故か怒られました。 「……千春くんも」 「うん」 「寂しいって、思うの?」 「寂しくなかったら、帰したくないなんて思わないよ」 「……千春くん」 「寂しいからさ、帰ったらLINEしてもいい?」 「う、うん」 「ありがと。楽しみが増えた」 へら、と笑う。 普段の穏やかな笑みとは違う、少し砕けた感じの笑い方。なかなか拝見することができない素の笑顔に、否応にも胸は高鳴っていく。 これが千春くんのやり方だ。 自分に非があるように見せかけて、相手に責任を負わせない。適当に見せかける事で、相手にプレッシャーを与えない。時には自分を悪者に仕立てて、相手が傷付かないように上手く立ち回る。 今だってそう。寂しいと言えば困らせてしまう、私が密かにそう思ってることを、彼はきっと見抜いてる。 だから千春くんは、自分が寂しいからと主張したんだ。自分に責任転嫁することで、私が気に病まないように配慮してる。 いつも、寂しさでいっぱいだった帰り際。 今日は帰った後も千春くんとお話できると思ったら嬉しくて、寂しさなんて一気に吹き飛んでしまった。 でも、今度は違う不安が押し寄せてくる。 いつも、私に合わせてくれる千春くん。 無理してないかな、疲れたりしないかな。 自分に自信がなくて、どうしても後ろ向きな考えばかりしてしまう。 「ん、何?」 「ううん、何でもないです」 ふるふると首を振る。 それを直接問い掛けることはできなくて、私は口を閉ざした。胸に沸く不安は見ない振りをする。 「ほら、体が冷える前に家の中に入りな」 「はい。おやすみなさい」 「おやすみ」 その場から離れて、玄関の扉に手を伸ばす。 引き戸に触れたまま背後を振り返れば、運転席にいる千春くんと目が合った。 軽く手を振られて、応えるようにバイバイする。 玄関の中に足を踏み入れて、後ろ手で扉を閉めた時、車が走り去る気配を感じた。 ふう、と息を吐く。 寂しさを感じたのは一瞬で、すぐに虚無感は消え去った。 そのまま階段を駆け上り、自室に入る。 着替えたり化粧を落としてる間も、ついチラチラとスマホに目を向けてしまう。 すぐにメッセージが来るわけじゃないのに、ソワソワして落ち着かない。 「おかえりー」 居間を覗けば、お母さんが残ってた。 ダイニングテーブルにノートパソコンを置いて、指は動かしたまま、目線だけ私に向けてくる。 家の中はシンと静まり返っていて、時計の音だけが静に響く。 弟達はみんなご就寝中みたいだ。 キッチンに向かい、湯呑みに生姜湯を淹れて、ハチミツが入ったビンを手に取った。 数滴垂らしてから、テーブルへ向かう。 お母さんと向かい合う形で床に座った。 「お風呂は?」 「ん……これ飲んだら入る」 「そ。早く入って寝なさいよ」 「お母さんは?」 「パパンを待ってます」 パパンって。お父さんのことかな。 「楽しかった?」 「うん」 「そのまま泊まっちゃえばよかったのに」 「……ん」 ほかほかの生姜湯を喉に流し込む。 あったかい。 「ねえお母さん」 「ん?」 「GW、泊まりに行ってもいいかな」 「いいわよ」 「うん」 「吹っ切れたの?」 「……どうだろ。わかんないや」 迷いは完全に無くならない。 年の差に距離を感じる事はあるし、自分に自信はないし、困らせてばかりで落ち込むことも多い。私がまだ未成年だという事に、千春くん自身も何かしら思うことはあるはずだ。 それでも、一緒にいたいと言ってくれた。 帰したくないと言ってくれた。 互いの立場を尊重するのは大事なことで、でもそればかりに気を捉われて相手の気持ちと向き合わないのは、その相手の想いを踏みにじってる事と同じ事のように思えた。 だから千春くんの想いに、私もちゃんと応えようと決めた。 何より、私だって一緒にいたい気持ちは同じだから。 「言葉足らずなのよね、2人とも」 「……そう、なのかな」 「困らせるって莉緒は言うけどね。相手を思いやる事と、遠慮する事は違うのよ」 「うーん……」 よくわからない。 でもお母さんがそう言うんだから、きっとそうなんだろう。 その時、ピロンと音が鳴った。 「あ」 「何?」 「LINEきた」 ポケットからスマホを取り出す。 案の定、千春くんからのLINE通知だった。 帰った旨を知らせるメッセージが、画面に表示されている。 そして、もうひとつ。 「お母さん、見て見て」 添付されていた写真をお母さんに見せたら、怪訝そうな表情を浮かべている。 「なにこれ」 「かき揚げ丼」 「何でこの子、ティッシュの箱の中に入ってるの」 「これ、拗ねてるんだって」 「なんで」 「私がいないからって先生が言ってた」 「可愛すぎか」 ぷっとお母さんが小さく吹き出した。 千春くんから送られてきた写真には、ネポアと書かれた箱の中に、体ごとスッポリ挟まった子猫の姿が映し出されていた。 後ろ足と白いしっぽが、箱の端っこからピョンと飛び出している。窮屈そう。 中身のティッシュはどうしたんだろうと疑問が沸き、千春くんに問いかけてみれば、「全部ヤツに剥ぎ取られた」と返信がきた。写真付きで。 ティッシュの残骸が無惨に散らばった床。 大惨事な有り様を写した写真を見て、また笑ってしまった。 その後すぐ入浴して、布団の中に潜り込む。 箱入り猫ちゃんの写真をまじまじと眺めていたら、少しずつ眠気が襲ってきた。 いつかの日を思い出す。 千春くんとかき揚げ丼と一緒に眠った日。 また3人(?)で眠りたいな、なんて思いながら、私は静かに目を閉じた。 トップページ |