ドライブするお話。2


・・・



「はー、食べた食べた」

 ありがとうございました、威勢の良い店員さんの声を背に私達は外に出た。
 30枚分のお寿司をぺろんと平らげたお母さんは、味はともかく、満腹感に満たされた顔をしている。思わず笑みが漏れた。
 東京の夜は車も人も依然として多くて、会社帰りの人達で賑わっている。来店を促す店の看板は、ネオンの光できらきらと輝いていた。

 夜空を見上げても、星はよく見えない。
 北海道とは違うなって思った。
 でも、寂しいとは思わなかった。
 人工的に作られたこのネオンの光も、私は嫌いじゃない。

「すっかり東京に慣れちゃった……」

 北海道から東京に引っ越してきて、もう1年が経った。
 この1年で、がらりと環境が変わった。
 沢山の人達と出会えた。
 その出会いの中に、千春くんもいる。

「2人はちょっと、アレね。遠慮しすぎね」

 唐突に告げられた言葉に目を丸くする。
 お母さんは左右をキョロキョロしながら、空席のタクシーを探しているようだった。

「もうちょっと、胸の内を晒しちゃってもいいんじゃない? 我慢は体によくないぞ」
「先生に我侭言えないもん」
「なんでよ。彼女なんだから別にいいっしょ」
「……嫌われるもん」
「そんな事で嫌うような男に、娘を委ねたりしないぞ私は」
「………」

 何が不安なのかはわかってる。
 でも、どう解決したらいいのかわからない。
 年齢の差はどう頑張っても縮めようがないし、その差に感じる不安や劣等感はこの先も拭えそうもない。成人を迎えたら消えるとも思えなかった。

 目の前でタクシーが停まる。
 後部座席に乗り込もうとするお母さんのコートの裾をチョイ、と引っ張って止めた。

「ん? なに莉緒」
「先に帰ってて」
「アンタは?」
「買い物してから帰るね」
「ひとりで大丈夫?」
「大丈夫。ちょっと一人になりたいの」

 私がそう言うと、お母さんは苦笑交じりに肩を竦めた。

「遅くならないうちに帰ってくるのよ」
「うん」
「はい、これ。タクシー代」

 ぽん、と手のひらに5千円が乗る。
 そのまま、お母さんを乗せたタクシーは走り去っていった。
 タクシー代にしてはちょっと多いけれど、素直に受け取っておく。ご飯代も兼ねて、丁寧に使わせて頂くことにしよう。お寿司はほとんど食べなかったから、さすがに小腹が空いた。

 歩道をゆっくり進みながら、建ち並ぶ店の看板をひとつずつ覗き込む。通りは居酒屋さんが多いけど、ファーストフード店もそこそこ目立つ。

 何食べようかな。
 ご飯系じゃないものがいい。
 あ、パンがいいかも。

 あれこれ思案してた時、すぐ近くの居酒屋さんの扉が開いた。
 中から、数人の団体客が出てくる。

「───莉緒?」
「え……」

 突然名前を呼ばれて、心臓の音が跳ねる。
 お店から出てきた人達に混じって、よく知る人の声が聞こえてきた。同時に動く長身の影。

「え、先……ち、はるくん」

 先生、と口から出そうになって言い直す。
 駆け寄ってきた千春くんの背後には、彼と同じくらいの年齢っぽい男の人が数人立っていた。
 暖簾をくぐり、なんだなんだと千春くんに目を向けている。

 学校の先生達じゃない。
 友達、かな。

「こんな所で会うと思わなかった」
「わ、わたしも」
「今帰り?」
「はい」

 そこで腕時計に視線を落とした千春くんが、顔を上げた。

「車で送るから待ってて」
「え、でも」
「俺も今帰るところだから」

 そう言って優しく笑う。

 偶然とはいえ、こんな形で会えるなんて思っていなかった。嬉しいけれど、でも後ろの人達はいいのかな。
 躊躇していると、連れらしい人達が近づいてきた。千春くんの背後からひょこっと顔を覗かせて、興味津々な視線を向けられる。居心地の悪さを感じて萎縮してしまう。

「え、水嶋帰んの?」
「明日早いんだよ。これ以上付き合うのは無理」
「てか、だれ? 妹?」
「違う。彼女」

 はっきりとした口調に少しばかり驚く。隠す気はないんだと軽く衝撃を受けた。
 それは周りにいた人達も同じだったようで。

「は、え、カノジョ? お前に!?」
「なんだよ」
「おいまじか! しかもめっちゃ可愛いし!」
「はっ、はじめましてっ」

 どう答えていいかわからず、ありがちな挨拶だけが口に出た。
 勢いよく頭を垂れれば「元気だねー」と笑い交じりの声が掛かる。

「え、てか若いね? 年いくつ?」

 その瞬間、思考が止まる。

 それは何気ない問い掛けだった。
 けど、今の私にとってはタブーに近い質問。
 追い込まれているような心境に陥って、思わず言葉を詰まらせた。

 19歳です、なんて言えない。
 未成年と付き合ってるなんて知れたら、千春くんの印象が───

「20歳」

 そう答えたのは私じゃなかった。

 千春くんの声は普段と何も変わらない。
 動揺している様子もない。
 平然と、私の年齢を偽った。
 その事実に少なからず、私はショックを受けた。

「はたち!?」

 どよめきがその場を支配する。
 衝撃と羨望の眼差しを同時に受けている千春くんは、眉を寄せて居心地悪そうな顔をしていた。
 すぐに私の手を握って、颯爽と歩き出す。

「じゃーな」
「あっ、テメ、逃げんな水嶋!」

 おろおろと挙動不審な私の様子に目もくれず、千春くんは駐車場へ向かって歩いていく。連れの人達の呼び掛けにも動じない。

 えと、いいのかなこの流れ。
 大丈夫なのかな。
 不安を抱きつつも、千春くんに手を引っ張られる形で私も後をついていく。彼らの姿が遠くなったところで、歩く速度が緩んだ。
 駐車場はもう目の前だ。

「ごめんね」
「え?」
「ああいうの、莉緒、苦手でしょ?」

 何の事を言ってるのか、すぐに気づく。
 だから小さく頷いた。
 確かに、あんな風に大声でひやかされるのはちょっと苦手。それが男の人相手だと、やっぱり怖い。
 だから千春くんは、連れの人達から私を引き離してくれたんだ。

「それに、咄嗟に嘘ついた。ごめん」
「あ……平気。気にしてない、です」

 それこそ嘘だった。
 気にしてる。
 頭の中で、20という数字がぐるぐると回っていた。



 未成年の子が彼女だなんて、安易に打ち明けられない事だってわかってる。元生徒だって悟られる可能性があるから。
 それでも、仕方ないとしてもやっぱり、悲しかった。
 
 振り向いた千春くんは、ちょっと気まずそうな表情を浮かべていた。
 私が今何を思ってるか、何を悩んでいるかなんて、きっとこの人は気付いてる。私に何を言えばいいのか、思案しているようにも見えた。

 ……また、困らせちゃった。

 気落ちしていたら、ぐううぅ、と呑気な音が派手に鳴る。
 ………空気読んでください、私の腹の虫よ。

「お腹空いてたの?」

 苦笑しながら彼が言った。
 強張っていた空気が少しだけ和らぐ。

「何か食べに行こうかなって思ってて」
「じゃあ、これから一緒に行く?」
「えと、あの人達は」
「大学の友達。久々に飲みに誘われてさ」

 自分の車で来たから飲んでないけどね、とつけ加えて。

「飲みは、もういいんですか?」
「いいのいいの。今更戻っても、質問攻めに合うだけだから」

 むしろ離れられて良かった、なんて言いながら運転席に乗り込む。千春くんに続いて、私も助手席に乗り込んだ。

「莉緒、家に電話掛けられる?」
「え? あ、はい」

 素直に頷いてスマホを取り出す。
 何度目かのコールの後、お母さんが電話に出た。もう帰ってきてたんだ。

 今から帰ること伝えなきゃ、そう思って口を開きかけた時、隣から手が伸びてきた。
 そして、さらりとスマホを奪われる。
 あれ?

「ちょっと借りるね」
「え、」
「もしもし、水嶋です。ああ、莉子さん。今晩は」

 きょとんとしている私の隣で、悠然とした笑みを浮かべながらお母さんと会話を交わす千春くんがいる。
 ……何だろう、この状況は。
 成す術もない私は、2人の電話越しの会話を見守るしかない。

「偶然莉緒さんと会いまして。ええ、そうです」
「………」
「それで、今からちょっと娘さん借ります」
「……?」
「22時には家に帰しますので」

 2人がどんなやり取りをしているのかわからないから、千春くんの断片的な言葉で探るしかない。察するに、私達はまだ一緒にいられるみたいだ。
 しかも、22時まで。
 いつもより1時間長い。

「あ、ごめん。勝手に切っちゃった」

 スマホを返してくれた千春くんが、申し訳なさそうに言う。

「あ、大丈夫です」
「うん」
「どこか行くんですか?」
「うん、行こう」
「?」
「ドライブしよう」

 ね? と同意を求められる。
 もちろん拒否する気なんてない。
 一緒にいられるのが嬉しくて、笑顔でこくこく頷いた。
 さっきまで不安でいっぱいだった癖に、もうこんなに元気になってる。

「あ、その前にお腹満たさないとね」

 夕飯の要望を言うと、千春くんは近くのパン屋さんに車を停めてくれた。
 店内に入り、焼きたてパンを吟味する。選んだのはクリームパンとチーズパン、それとウインナーエッグパン。
 トレーに乗せて、千春くんがレジへと向かった。

 帰ってくるのを待つ間、お母さんにLINEでメッセージを送る。すぐに返信が来た。

『根詰めないようにね』

 その一言に、スタンプを押して応えた。


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