電話するお話。2-先生side-


 あの子が20歳になるまで待とうと決めていたのに、あんな顔を見せられた瞬間、そんな決意はあっさりと揺らいでしまった。寸でのところで思い止まったけれど、今後同じような事が起きても、理性を保てる自信がない。情けないけれど。

 卒業後に香坂と再会して、これまで何度か香坂と触れ合った。
 けど、最後まで事に及んだことはない。
 何もかも未経験だろう彼女を大事にしたい気持ちもあったし、覚悟が決まるまで待ちたいという思いもある。
 けど本当のところは、違う。
 俺はまだ迷っている。
 香坂を、本当の意味で自分のものにしていいのかどうか。



 あの子はまだ19歳だ。俺とは違い、社会に出たばかりの彼女には、これから新しい出会いが沢山待っている。その出会いの中で、香坂に好意を示す男が現れてもおかしくない。そしてそういう男に、彼女が惹かれる可能性だって無くはない。
 そうなった場合、俺は大人しく身を引くつもりでいた。教師の俺よりも、知らない男の方が彼女を自由に出来るなら、幸せにできるのなら、いつだって離れるつもりでいた。その為に、香坂とはある程度の距離感を保っておきたかった。
 けど彼女を最後まで抱いてしまったら、きっとその距離は保てなくなる。俺は一生、あの子を手放せなくなる。
 この先、様々な出会いや経験を繰り返すだろう彼女の未来を、俺なんかが奪っていいのかという不安が常にあった。

 そしてもうひとつ、香坂がまだ未成年だという現実が、俺にとってネックになっていた。



 刑法、児童福祉法、青少年育成条例。
 未成年を守るために制定されたこれらは、あくまでも18歳未満の子供が対象であって、既に19歳を迎えている彼女には適用されない。
 公務員法に至っても、香坂と付き合い始めたのは高校を卒業してからだから、法的に違法はしていない……

 いや、嘘だ。
 一度だけ違反行為をしてしまった。
 が、彼女が高校を卒業してしまった今となっては、既に過ぎた事だ。
 問題があるとすれば監護権を持っている親権者の存在だが、俺達は既に互いの両親に、卒業後に交際をしたい旨を伝えていて許可を得ている。
 親公認の交際であれば、法や条例だけで見れば違法性はなく、俺が香坂を抱いたとしても、本人同意の元であれば問題はないかもしれない。

 ただ、世間の目はそうじゃないから。

 たとえ香坂が高校卒業したからといって、卒業したばかりの生徒と高校教師が交際をしている、そんなことがPTAや生徒の保護者に知れたら、俺も香坂も、そして学校側も、不審がられるのは目に見えている。生徒に恋愛感情を抱くような教師がいる高校に、大事な子供を預けたくはない。親の心情を考えれば、そう思うのは当然だ。

 20歳になれば何でも許される訳ではないけれど、未成年という枠組みから外れる、香坂を自分と同じ大人として扱えるだけでも、相当リスクは減る。世間の目もある程度は、緩和される。あの子が成人を迎えるまで待とうと決めた背景には、こういった事情も含まれていた。

 俺が今、こんなことを考えているなんて、きっと香坂は気付いていない。
 彼女にとっては、今が一番楽しい時だ。
 なんせ彼女は、男と付き合うという経験すら、今まで無かったんだ。
 俺が抱えてる悩みを、香坂に悟られる訳にはいかない。あの子まで不安にさせてしまう。



 ビルの建物を背に寄りかかって、空を仰ぐ。
 4月ももうすぐ終わりだと言うのに、今日は一段と空気が冷えている。吐き出す息が、白く染まる。ポケットからスマホを取り出して、着信履歴を表示した。
 並んだ一覧の中には、香坂の名前もいくつか含まれていた。

 ……声が聞きたい。
 まだ起きてるかな。
 タップして何度目かの発信音の後、鼓膜に響いた彼女の声。

『……先生?』
「うん。ごめん、寝てた?」
『いえ、まだ。今から寝ようと思ってたところでした』
「ああ、そっか。ごめん。切った方がいいかな」
『大丈夫ですよ。先生、今どこにいるんですか?』
「いつもの店で飲んでて、今はその帰り」
『わあ、そうだったんですね』
「うん」
『いいなあ。私も早く先生と一緒に飲んでみたいです』
「その時が楽しみだね」
『はい』

 それはまるで、数年先の約束を交わす事でこの先も一緒にいる事を誓い合っているようで、むず痒い気分になる。
 香坂と正式に付き合い始めてまだ日は浅く、恋人としての距離感がいまだ掴めていない。教師と生徒だった期間が長かったから、新しいこの関係に、互いに慣れていない部分はある。その割には色々と、彼女に手を出しているが。
 電話でこうして話すのも全然慣れてなくて、直接会って話をしている時よりも、ダイレクトに耳へと響く香坂の声に照れを感じてしまう。中学生かと自分に突っ込みたくなった。

「今日、何してた?」
『ずっとお家にいました。お掃除して、洗濯して。料理とか、いっぱい作りました』
「せっかくの休みなのに、働くね」
『でも、久々に弟達と遊びましたよ。楽しかったです』
「そっか。あんまり無理するなよ」
『あ、はい。……えへ』
「なに?」
『今の、すごく彼氏さんっぽかったです』
「彼氏さんですよ」
『そうでした』

 電話越しに香坂の小さな笑い声が響いて、俺まで自然と笑みが零れた。つい数分前まで沈んでいた気分は一気に浮上して、胸に押し寄せてくるのは紛れもない幸福感。
 きっと香坂も、今の俺と同じ心境でいる。
 そう思っただけで心が満たされていく。
 同じ気持ちを共有できる事が、こんなに嬉しいものだとは思わなかった。

 彼女との時間はまだ始まったばかりだけど、この先もこうして築いていけたらいい。
 一緒に過ごす時間も、感情も、絆も。全部。

「急に電話してごめんな」
『いえ、そんな。嬉しかったです』
「うん、俺も声聞こえてよかった。そろそろ切るね」
『はい、おやすみなさい』
「おやすみ」

 電話を切った後、近くで停車していたタクシーに乗り込む。窓から流れる風景を眺めていた時、ふとマナーモードにしていたスマホが震えているのに気付いて、慌てて取り出した。
 液晶画面に表示されたメール通知、そこに表示されていた名前にまた口元が緩んでしまう。
 どう返信しようかと考えを巡らすこの時間もまた、愛しいと思った。

mae表紙tugi

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